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日本人、2人に1人はガンにかかるってよ。

我が家・我が一族には、これまでガンで死んだ人は一人もいないのはおろか、ガンに罹患した人もいなかったんです。

だから、表題に掲げた、統計に基づく警句、これは我が家・我が一族には縁のないものだと、勝手に思い込み、決めつけていました。

この度、父が膀胱がん(ステージ2?くらい?正式告知はなし)で入院・手術を宣告されたことで、私の中で何かが瓦解しました。

父の膀胱がん自体は、そんなに深刻に思い詰める程度ではない・・・だろう・・・と思いたいのですが、最も気になっていることは、入院・手術の予後のこと、父の気力・体力がこれを機に衰弱してしまうのではないか、という懸念が、私を苦しめています。

父は今年、77歳になります。1月3日には心房細動から来た、軽い脳梗塞(一過性脳虚血発作)で救急搬送され、本来、心房細動の治療のための手術期だったこの4月に、代わりと言ってはあまりにもアレなことに、膀胱がんの手術です。

父は、幼少期は虚弱だったものの、成人してからこれまで、入院はたったの1回、全く原因不明の吐血があっただけで、健康優良な人でした。

控えめな晩酌は毎日欠かさないし、64歳頃まで喫煙者でもありましたが、ほとんど病院とは縁がなく、むしろ薬やサプリメントを服用することは逆に体に悪い!と言い出さんばかりの人間でした。

脳梗塞のときも、倒れて救急車を呼んでいる間に症状は治まり、呂律も回るし、救急車にも歩いて乗っていったしで、後遺症らしいものは皆無でした。今回の膀胱がんでも、自覚症状といえば、赤ワインのような血尿が出ただけで、下腹部が痛むとか、体がだるいとか、そういうことは一切ありません。

なので、本人としてもいまいち「患った感」がないので、今までと同じ日常生活を送っています。

だからこそ、入院・手術で参ってしまうのではないか、めげてしまわないか、これが気がかりなのです。

※※※※

子の私としても、父が老い衰えてゆくのを見るのは辛いです。

私が家庭でも持っていたなら、もっと相対的に親のことを見るのでしょうけど、幸か不幸か私は独身、13年前に東京から実家に帰ることになって以来、毎日顔を突き合わせ、無いスネを齧りまくって、すっかり依存し密着した親子関係になっていました。

朝食時、我が家では7時半から『おちょやん』を見て、その流れで火野正平さんの『こころ旅』を見るのがルーティンなのですが、月曜日は旅の本編ではなしに、「火野正平さんが訪ねられなかった場所」を視聴者のお便りと共に紹介する、という構成ですよね。

月曜こころ旅あるあるで言うと、

夫または父、母、兄弟、友達と何処其処に行って、こんな景色を見て、こんな会話があって、こんなことをして・・・

「そんな夫(父、母、兄弟、友達)も、昨年亡くなりました」

という〆になることが多々ありますね。

私の場合、親が70歳を過ぎてからでしょうか、その〆を聞くたび、「嗚呼・・・」と心の中で泣けてくるんですよね。。

おととい、父と説明を聞きに行った病院の駐車場は、桜の木で囲まれたような形状でした。もう満開の桜で。

車から病院の建物に入るまで、その桜を眺めながら「もう桜も咲き切った感じだね」なんて会話をしたわけですが。

「いつか、亡き父親との思い出に変わる」この現実に、予感ながらもいたたまれない気がして、出来れば忘れてしまいたい、と願ったのでした。

※※※※

我ながらしんみりした話になりました。

わては家族で初めてガンになった親父の子じゃきい、ガンなめたら・・・なめたらいかんぜよ!!

おや、懐かしい、綺麗だった夏目雅子でこの文章の〆。

いやホント、ガンに縁遠い人生なんて、ないのね。

皆さま、ご自愛ください。


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