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「無名」

 薄ら暗い、空気の入れ替えを万年怠っているであろう書斎か物置かよくわからないこの部屋こそが現在ワタシの置かれている場所である。

 ワタシがこの部屋に来たのは、といっても自身の意志でここに来たわけではなく、この部屋の主人である初老の男性に“連れてこられた”といったところであろうか。

 私は本なのである。歩くことも話すことだってできない。しかし、そこいらの本たちと一緒にしてもらっては困る。どこで見たり聞いたりしたわけではないが、きっと私の中に印字されている文字たちは崇高かつ高尚な言葉を紡ぎ、読む人々を感動、啓発の渦に巻き込む類のものであろうと信じてやまなかった。

 それに引き換えこの部屋の本たちはどうであろうか。彼ら、彼女らに書かれている文章は見たことがないものの背表紙の貧相なこと、その先を察せてしまうのである。私の真向かいに鎮座している太った本は「絶対幸せになる10の秘訣」と書いてあるではないか。そんな秘訣を知っていたらどうか教えてほしいものである。その秘訣の10箇条目に「ただし、決してこのような類の本は購入しないこと。」と書いてあるならまだしも。

 ワタシの隣にある本もどうだろうか。外見はシュッとしてスタイルこそいいが主人が本を抜き取る際に見えたタイトルは「開運! 今すぐできる金運アップのすゝめ」と書いてあるではないか。こちらも先に同じく文末に「ただし、決してこのような類の本は購入しないこと。」と書き添えなければならないだろう。

 この部屋の主人はセンスがないのではないか。そんな疑念が心をよぎった。このような類の本を読んでいる人間は決まってこの本よりも薄い精神性を持ち合わせていると信じてやまなかった。
 しかし、その考えと同時にそんな薄っぺらな精神性を持っている主人が自身を読みふけっているものが自身であるという事実に驚愕した。

「一体、自分はどんなタイトルでどんな内容が書かれているのか。」

急激にその1点が気になって仕方なくなった。今まで信じてやまなかったどこからともない自分自身への驕りが揺らいだのである。

 主人はそんなことに気づく余地もなく、今日も変わらず部屋の片隅に据えてある革製の一人掛けチェアに腰を掛けた。今まで本自身、中に書いてあることが非常に高尚で有益な内容であるが故と感じていたが、それも今となっては跡形もない。
 
 チェアの斜め向かいに立て掛けられた鏡には「開運!今すぐできる金運アップのすゝめ 2」と映っていた。

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