George Iwasawa

旅する建築家です。 https://www.instagram.com/george…

George Iwasawa

旅する建築家です。 https://www.instagram.com/george_iwasawa/

マガジン

  • 建築家、映画を語る。

    建築家による映画エッセイです。

  • 建築家、食を語る。

    建築家による食にまつわるエッセイです。

  • 建築家の「今日の歴史学」

    建築家による歴史エッセイです。

  • 建築家、本を語る。

    建築家による読書エッセイです。

  • 建築家、アートを語る。

    建築家による美術論です。

最近の記事

  • 固定された記事

「ハバナ・キューバ」究極の観光案内~ブエナビスタなんちゃらが聞こえたら逃げろ!~

【序説】 私が初めてキューバはハバナを訪れたのは、もうかれこれ4年ほど前になる。 さらに遡って15年ほど前に、三好徹・著の『チェ・ゲバラ伝』を読んで、雷に打たれたような衝撃を受け(映画『ブルース・ブラザース』のJB教会のシーンを想像させたし)、 「こりゃあオレも革命に参加せねばならぬ!」とキューバ行きを目標としたのがそもそもの始まりであった。 そしてその目標実行のトリガーになったのが、新宿三丁目にあるキューバン・バー「マンボ・バー」である。 ここで、今までとは全く異次

有料
800
    • 酷最高映画!『ゴジラ✖️コング 新たなる帝国』

      ガッジーラにコング、 最初はあまりの茶番に失笑の連続、 そして、その後もひたすらにバカ展開が続く、 失笑に次ぐ失笑、、、 まだ続く、 まだまだ茶番が続く、 この辺で声出して笑い始めた。 そしてスクリーンの奥から声が聞こえてきた気がした、 (おい!貴様!ハリウッド舐めんなよ!) そんな風に聞こえた。 まだまだ、さらにバカが暴走する。 そしてついに、、、、 「バカの壁」を超えたのである。 おお!凄え〜!!! と思うまも無く、バカを更に畳み掛ける、 え

      • 建築家、映画を語る。『M3GAN/ミーガン』

        もうさんざ色々と語れているので、 こちらはもう勝手自由な視点で、 「映画『ミーガン』から勝手に連想するいくつかの映画」について書いていみたい。 とりあえずまずは『キック・アス』である。 この「クライマックスで少女が異様な身体能力を見せつける」というエクスタシー。 あの「ミーガン・ダンス」のシーンからは、 『キック・アス』でミンディが殴り込みをかけて、「Bad Reputation」 Joan Jett & The Blackheartsをバックに「超短い」殺陣で相手を3

        • 一瞬の夏。

          あれは8年前の夏、愛媛県松山市にて。 沖縄の某大学院大学への赴任に半年程かかっていたので、 その間に愛媛県松山市でゲストハウスをつくる計画をフリーランスで請け負った夏であった。 そこにニュースが飛び込んで来た、 モーニング娘。が松山に来る!しかもライブハウス公演!! 一夏しか滞在しない松山で奇跡が起きた。 私は興奮状態でチケットを押さえ、 松山のドンキでサイリウムを入手した。 迎えた当日、私は満を持してライブに臨んだ。 そして、遂にモーニング娘。が松山のライブハ

        • 固定された記事

        「ハバナ・キューバ」究極の観光案内~ブエナビスタなんち…

        マガジン

        • 建築家、映画を語る。
          14本
        • 建築家、食を語る。
          4本
        • 建築家の「今日の歴史学」
          8本
        • 建築家、本を語る。
          4本
        • 建築家、アートを語る。
          1本
        • 旅する建築家の「建築旅論」
          23本

        記事

          建築家、食を語る。「お寿司の話」

          いやさっき、ホント超下らない極みのお寿司屋さん絡みのネタを見てしまった笑(筆者註: 例のラウンジレディーの事案が盛り上がった時期に書かれたテキストです)。 せっかくの機会なので、お寿司の話でもいたしましょう。 まず、お寿司はファストフードである。 トロなんかをありがたがって食べるのも最近の話で(ってオマエ明治生まれか⁉笑)、 客単価数万円の寿司屋なんかは歴史が超浅い。 また、京都なんかから見たら「江戸前」なんてジャンクフードである(寿司とか天ぷらとか)。 私はそん

          建築家、食を語る。「お寿司の話」

          建築家の新歴史学。「人類が元気だった頃」

          弊ノンフィクション『三多摩サマー・オブ・ラブ』は1989年から1992年を描いた。 バブル崩壊の時期と少々被っているが、 幸いにも我々世代はバブルの時期に学生やってて超貧乏で、バブルを喰っていないのでダメージも無かった。 バブルを喰っちゃったオジサンたちは、 どうしてもダサさが抜けないのですぐに分かる。 さて、 1984年から85年に筆者はアメリカの高校に留学している(単位を取って正式に卒業もしている)。 飲酒がバレて強制送還半歩手前まで行ったが、それも含めてすべての

          建築家の新歴史学。「人類が元気だった頃」

          建築家、食を語る。「ラーメン嫌い(ピザも)」

          皆さまご存知の通り、私はラーメンが嫌いである。 食べられない訳では無い。 ただ、アミノ酸とタンパク質と炭水化物を同時に5分で食べる、 という「在り方」が私の美意識と相反するのである。 私は、自宅での夕食も毎日2時間かけている。 「ダーウィンの進化論」に沿って、野菜~貝類~魚類~哺乳類と進む。 これに日本酒やワインという「太陽と大地と水の恵み」を挟みながら食す。 「食」とは、地球との対話である。 地球の成り立ちから植物、生命体の発生までを体験し、今在る大地と水と空気の恵

          建築家、食を語る。「ラーメン嫌い(ピザも)」

          建築家、本を語る。『ボーン・トゥ・ラン:ブルース・スプリングスティーン自伝』ブルース・スプリングスティーン

          オレの人生、たった一つだけ後悔があるとすれば、1985年のブルース・スプリングスティーン来日公演を観れなかったことだ。 入れ違いでアメリカの高校に留学していたからだ。 あとは、ほぼない。 「お前がアメリカに留学しようが博士号を取ろうが、 オレはスプリングスティーンの来日公演を体験している。 アレ以上のものはこの世に無い!」 と、私の幼馴染は酔っ払うたびに語る。 私はこの話を聞く度に、とある戦争未亡人の話を思い出す。 彼女は戦争で旦那を喪ってからずっと再婚することな

          建築家、本を語る。『ボーン・トゥ・ラン:ブルース・スプリングスティーン自伝』ブルース・スプリングスティーン

          建築家、都市論を語る。「渋谷再開発」

          「銀座線に辿り着けない」 久々の東京、 久々の渋谷から浅草に向かおうとするも、 いつまで経っても目的の銀座線に辿り着けない。 それはもう「巨大迷宮ゲームのゴール」の様に。 さて、 「巨大都市」というものはいつの時代も、 「ケミカル・ドラッグの幻覚」である。 そもそも資本主義がケミカル・ドラッグなので、 その「阿片窟化」が大都市である。 つまり、 「不老不死の眠らない夢を見続ける」場所だ。 そこから足を洗いたければ「地方移住」「田舎暮らし」でもするしかない。 恐ら

          建築家、都市論を語る。「渋谷再開発」

          建築家、映画を語る。『ボヘミアン・ラプソディ』

          ※こちらのテキストは映画公開時に書かれたものです。 1985年に開催された「LIVE AID」はリアルタイムで観た。 当時高校で一緒にバンドをやっていた同級生と3人で観た、というか観続けた、最初から終わりまで丸一昼夜全部観た。 当時THE WHOのコピーバンドをやっていた我々のお目当てはもちろんTHE WHOであった。 あと、LED ZEPPELINの再結成は、恐らく当時の世界中が一番楽しみにしていたはずだ。 ローリング・ストーンズは当時解散状態であり、ミックとキー

          建築家、映画を語る。『ボヘミアン・ラプソディ』

          建築家、映画を語る~魅惑のエクソシスト映画

          大本家、ウィリアム・フリードキン監督の『エクソシスト』については別稿でも語っているが、私は「エクソシスト映画」が大好物である。 今回は、『ヴァチカンのエクソシスト』と『エクソシスト 信じる者』について語りたい。 基本的に「エクソシスト映画」のフォーマットは全て同じである。 つまり「寅さん映画」や「ジェイソン・ステイサム映画」と同じ構造だと思ってもらえば結構である。 そして我々「エクソシスト映画ファン」は、 毎回その「期待通り」のストーリーと、悪魔さんのハイテンションっ

          建築家、映画を語る~魅惑のエクソシスト映画

          建築家、映画を語る。~歴史的名作映画を初めて観た『フラッシュ・ダンス』エイドリアン・ライン監督

          映画のオープニング、 テーマ曲のアイリーン・キャラ歌う『What a feeling』が流れるなか、 ピッツバーグの街をジェニファー・ビールスが滑るようにチャリで走り、 そのうちカメラは彼女が働く鉄工所に入っていく。 スティーラーズ、鉄工の街だ。 ‘80年代サウンドバリバリのシンセスネアと鉄工所の作業風景が同期し始めたな、と思った瞬間、 工員の振り下ろすハンマー音とサウンドトラックがピッタリと同期する、 「おいおい!『ベイビー・ドライバー』より40年近く早いぞ!」とビック

          建築家、映画を語る。~歴史的名作映画を初めて観た『フラッシュ・ダンス』エイドリアン・ライン監督

          「三多摩サマーオブラブ 1989-1993」最終話〜ファンクは止まらない

          1993年の冬、 「建築」をやろうと思いついた私はこの年の春に既に東京へと舞い戻っていた。 バンドは相変わらずクアトロでのブッキングが続いていた。 私は「なぜ今までアレをやらなかったのだろう?」 というアイデアが急に浮かんだ。 「ZAPP ft. ロジャー」の「十八番」のネタ、 「ライブのオープニングでロジャーがフロアの後方から肩車されてステージに向かう」というアレだ。 私はいつものように、スタジオでのリハーサルで細かく演出を付けた。 「完全に客の目線をステージに釘

          「三多摩サマーオブラブ 1989-1993」最終話〜ファンクは止まらない

          「三多摩サマーオブラブ 1989-1993」第21話

          渋谷クラブ・クアトロをホームに活動を続ける中、1993年の初秋、我々バンドに新しい仕事が入った。 岐阜県で行われる「長良川河口堰建設反対・野外音楽フェスティバル」への出演である。 トリはムッシュかまやつで、我々はムッシュの前座である。 我々は「河口堰反対フェスティバル用」のショーを組み立て、リハーサルに勤しんだ。 当日の朝、我々メンバーはそれぞれチームに分かれると、それぞれの車に分かれて一路岐阜県を目指した。 私は、実家が愛知県であるキーボードのモロオカのチームであ

          「三多摩サマーオブラブ 1989-1993」第21話

          「三多摩サマーオブラブ 1989-1993」第20話

          我がバンドは3カ月に1度ほどのペースで定期的にクラブ・クアトロでライブをこなしていた。 1992年の夏には川崎の「クラブ・チッタ」のステージにも上がった。 ある時のクラブ・クアトロのライブの翌日、朝起きて家の洗面所の鏡を見ると、自分の顔が「もの凄くスッキリと輝いている」ことに自分で驚いた。 やっと、やっと「音楽の神」に祝福された気分であった。 さて、ところご好事魔多し、トランペットのホリちゃんが実家に帰ってしまうことになった。 私はホリちゃんの「ファンク精神」を心か

          「三多摩サマーオブラブ 1989-1993」第20話

          「三多摩サマーオブラブ 1989-1993」第19話

          衝撃のクラブ・クアトロ・デビューライブを終え、再び練習スタジオに集結した我々は、「おお、今年も芸祭出ようぜ!」と話がまとまった。 すでに我々のバンドは「うちの美術大学で岩石一家知らなきゃモグリ」という存在になっていた。 バンドの一学年下の現役学生メンバーを通してアプローチすると、あっさり「最終日のトリ」が決まった。 思えば2年前、一般学生として「ヌマサワ&スター軍団」を下から見上げていたのが、立場は変わって「大御所」としての御登場である。 かくして、1991年11月3

          「三多摩サマーオブラブ 1989-1993」第19話