私にとっての4月24日とは?
天国の父親に感謝して、今日も「奇跡の一日」頑張って生きます!
今日は4月24日。私にとって4月24日とは父親の命日なんです。
父親は2009年(平成21年)4月24日15時06分に他界しているので、今日で15年となります。あっという間の15年ですね。
父親との思い出。遠い昔の話しとなりますが、ちょっと振り返ってみます。
父親は鹿児島県庁に勤務し、土木関係の仕事をしていました。その関係もあり、転勤も多かったと記憶しています。
奄美大島や鹿屋に勤務していたのは、私がまだ幼少期ではあったものの、鮮明な記憶として残っています。
父親の県庁での仕事内容は、当時は全く分かりませんでしたが、今の自分がこういう仕事をやっていると、よくわかるものです。
しかも、半世紀以上も昔だと、その当時は土木業者との付き合いもかなり多かったんだろうな、と推測できます。
事実、毎晩酒を飲んで帰ってきてましたからね。苦笑
時には酒癖の悪い一面も垣間見え、母親が負けん気も強かったこともあり、ほんと夫婦喧嘩も絶えることがなかったですね。ウンザリでしたよ。しかも、夫婦喧嘩といっても口喧嘩じゃなくて、まさに暴力を振るうよな場面も頻繁にありましたからね。苦笑
まぁ、そういう時代だったんですよ。
とにかく、父親と夕食を共にした記憶もあまりありませんので。
また、父親はいつもカブ(バイク)で県庁に出勤してましたので、わが家には車もなく、家族でドライブに行くなんてこともありませんでした。
・・いやいや、これだと悪い父親像になってしまいますが、それは私の記憶の引き出し方が悪いだけなので。苦笑
父親は野球が大好きで、ソフトボールのコーチ(監督?)もやっていました。その影響で私も野球にのめり込んで行ったんですけどね。
祖母の家に行った時も、餅つきやら大掃除やらでしっかりと父親(祖母にとっては息子)やってましたからね。
なんだかんだ、私も愛され、可愛がられていました。ほんと、今更なんですけどね。
さて、そんな私も還暦です。
父親の生きた人生より一日でも長く頑張りたいとは思いますが、父親以上に家族と過ごす時間はありませんからね。
すなわち、外食ばかりの食生活、健康管理が課題ですよ。
それでも、半世紀以上という時間軸で医療も進化していますからね。まぁ、そういうことで。苦笑
そんな父親に思いを寄せる朝。
私は今日も出張先で迎える朝となっていますが、花粉症、疲労感、腰痛、左耳の違和感に目の疲れ・・とまぁボロボロですが、父親に感謝しつつ、今日も「奇跡の一日」に感謝して頑張りますよ。笑
おまけの一枚はコチラ。空港ラウンジでのオンライン会議。いつでもどこでも仕事ができる時代ですよ。笑
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