休職中には内観する

昨晩も引き続きどうしても寝付けなく、Youtubeでずっと音楽を聴いていた。そしてほとんど泣いていた。

エンドレスで絶賛聴いている曲はこちら。

私は今、この世の中に自分は必要とされていないのではないかという考えに取り憑かれている。適応障害という病は、ただのストレス反応だけにあらずだ。

この曲を聴いていると、何を手放すか。何を手放してきたかを考えずにはいられない。

走り出した午後も
重ね合う日々も
避け難く全て終わりが来る
あの日のきらめきも
淡いときめきも
あれもこれもどこか置いてくる

「満ちていく」

先日私はまた一つ歳を重ねた。どうも今までの誕生日とは違った重みがあった。休職している、体調が悪い、そして一人だった。今までとは全く違ったこれからの生き方を今、なぜか本気で考え始めている。

自分が「正しい」と無意識に思っていたことが、実は人生への「気づき」のためのものだったのではないか。一回、死んだような気がしている。生きているけど、一回死んだ。

この死は、一人だった。望まないスタイルだなと、我ながら思う。最後はせめて笑ってこの世から離れたい。そう思って生きてきたけど、今のままだとちょっと難しそうだと思った。

組織で働いていると、利益追求のための成長が求められる。一生追い求めなければならないものだとするとゾッとする。キリがないのだ。

資本主義の中において、生産性を追い求められ続ける人間は、果たして人間なのだろうか。人間とは何か。立ち止まって考える時期が、もう少しできそうな予感がしている。

決して明るくはない時代に、自分がどう生きるか。

今なぜ涙が出るのかわからない自分がおかしく思える中で、ぼやっと考えている。

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