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黒ヘル戦記 第六話 狼体験

『情況』2021年夏号に掲載された反体制ハードボイルド小説

第六話 狼体験
外堀大学には東アジア反日武装戦線にシンパシーを寄せる学生が多かった。70年代の爆弾グループに、80年代の学生たちは何を見たのか。

 狼の吠ゆれば燃ゆる没日かな
         大道寺将司



 1

 外堀大学時代の同志にJという男がいる。Jと俺は同じ歳で、同じGK(学術行動委員会)の釜の飯を食った仲間である。
 Jは群馬県の農家の生まれ。地元の県立高校を出て、「都会の暮らしに憧れて東京の大学に来た」という男で、新宿や六本木に関しては東京生まれの俺よりも詳しく、裏路地のバーの名前も知っていた。
「なんでそんなことまで知っているんだ?」と聞くと、「雑誌の特集でやっていたんだよ」と答えた。地下鉄やバスの路線にも詳しく、どこに行くにも、何通りもの行き方が瞬時に頭に浮かぶようだった。
「都市ゲリラ戦では、こういう知識がものをいうんだ」
 Jはそう言っていた。が、大学を卒業すると東京を離れ、神奈川県相模原市に本社のある農機具の会社に就職した。
「どうして相模原の会社に?」と聞くと、「田舎暮らしも退屈だが、都会の暮らしもストレスがたまる。相模原あたりがちょうどいいかと思ったんだ」と答えた。
 Jは発想が豊かで企画力に定評があった。会社の上層部はそんなJを高く評価し、彼が四十歳になった時、会社の顔である横浜のショールームの支配人に抜擢した。
 が、この人事は裏目に出たようで、Jは間もなくうつ病にかかり、何年か休職したのち、退職した。その後、職を転々としていたが、五十歳の時、森林事務所駐在官の職を得て、相模原市の西の果て、山梨県との県境に近い山の中に移った。
 それからは調子がいいようで、何年か前にもらった年賀状には「白髪も体重も酒の量も減って、すっかり健康になった」と書いてあった。Jには都市ゲリラより山岳ゲリラの方が向いているのだろう。

 そんなJから久しぶりにメールが届いた。
「先日、横浜まで出かけて、狼の映画をみた。その感想文を添付するから、暇な時にでも読んでくれ。実は今、道路の拡張に反対する住民運動をやっている。この感想文はその団体のメーリングリスト用に書いたものだ。すごく反響があって、私もみましたという人が続々と出てきて、相模原の山の中ではちょっとした狼ブームが起きている」
 Jのいう「狼の映画」とは、動物の狼の映画ではなく、東アジア反日武装戦線の軌跡を描いたドキュメント映画『狼をさがして』のことである。監督は韓国人女性のキム・ミレ。
 この映画は俺もみている。学生時代の同志は、みんな、みているはずだ。
 Jの送ってきた感想文はA4で6ページに及ぶ長大なものだった。山で暮らす彼には長いものを書く時間があるのだろう。
 この感想文には映画の感想だけでなく、Jの「狼体験」が書いてあった。狼体験とは、東アジア反日武装戦線にまつわる思い出話のことだ。東アジア反日武装戦線にまつわる話は「強烈な体験談」として語られることが多い。また、人生を変えた出来事であることも少なくない。狼体験という言葉には、そんなニュアンスも含まれている。
 東アジア反日武装戦線が爆弾闘争を展開していたのは一九七四年から七五年。その頃、Jは小学生で、「事件のことは全然覚えてない」「テレビニュースでみたかもしれないが、群馬の山の中に住んでいたので都会は別世界。現実の話とは思わなかったのかもしれない」と書いてある。
 そんなJが東アジア反日武装戦線のことを知ったのは、群馬の高校に通っていた十七歳の夏だった。

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