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【ほんだな】そして映画館を出た

5年後、3年後、いや半年先のことだって、何が起きるかを言い当てることはできない。

そんななかで企業は生き抜いていかなければならないわけだけど、自分たちの将来を考えると、同じことが個人にも当てはまると思うのね。極端な話、企業という「手段」が今後なくなるかもしれないとさえ思っている。

企業というよりも組織といったほうが適切か。組織、つまり人は群れることによって目的をより効果的に達成しようとした。その始まりが何かは知らないけれど、原始の時代であれば最初はパワーの足し算だよね。獣を狩るのに、ひとりで闘うよりふたりがかりのほうが有利なわけだ。

やがて、役割分担という知恵がついた。3人で一斉に襲い掛かるよりも、おとり、追い込み、攻撃、に分かれてアタックしたほうが効率よく狩れることが分かった。
ドラクエと同じだね。全員戦士の脳筋チームよりも、攻撃呪文や回復役もいたほうがチームとしての総力は上になるってこと。

そうやって、人は群れて組織化し、企業という屋根の下に多様な人が集まった。これがいままでの話。企業というのは、人が目的を効率よく果たすための「手段」にすぎない。企業という形態をとって闘ったほうが狩りがうまくいく。だからみんなそこに集まっていた。

もちろん企業自体にいろんな付帯価値がついて、それを求める側面もある。けれど極論、群れたほうが狩りに便利だから、じゃないかな。それだけ。別に群れなくても目的が達せられればそれでいいし、なんならそっちのほうがよかったりする。だれだって狩った獲物の肉は独り占めしたいでしょ。

そんななか、生成AIブームが到来した。

いままで人がやっていた「作業」は「物知りで手が百本ある新入社員」にとって代わられることになった。ということは……あれ、群れている必要あるのかな。
やりたいことがあって、「有能な新人」と仲のいい社員は、はたしてその他大勢と一緒にいることに意味を見出せるのだろうか。狩った獲物の肉を独り占めしたくならないのだろうか。少なくとも、煩わしい人間関係から解放される道があるのであれば。「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」のであれば。

かくて、夢と能力をたずさえて既存の組織を離れていく社員がひとり、ふたり。一方、この仕事はなくなるのか、いやまだ大丈夫、みたいな議論に花を咲かせている人もいる。でもさ、どの仕事がどうこうじゃなくて、企業自体が代替されるかもよ。その企業が社会の中で担っている役割次第では。

だから、ひとりひとりが、将来の社会像を思い描いて、そこで何をしようかと考える時期に来ていると思うんだ。企業はどうあるべきか、に発想を固定させず、一個人として「自分は何をしようか」を考えておかないと、企業以前に「自分が」生き残れないんじゃないかと真剣に考えている。企業なんて、この先どうなるかわからないんだから。自分の勤め先も、ね。
この流れの速い時代、一人になるのも突然だと思うよ。いざそうなったとき、群れていないと何もできず周囲を見回しながら仲間(同じく、おどおどしている、果たしてこの先たよりになるのかもわからない、同じ境遇の仲間)を探し求める自分か、おぼつかない足取りながらも明るい表情で一歩を踏み出す自分か。どっちがいいのかね。

もし、後者を求めるのであれば、近い未来について「いま」考えなければならない。検討すべきだよね~とか言っている場合じゃない。課題ですねとか先送りにして思考停止している場合じゃない。いま真剣に考えること。これがとても重要。

半年後では遅すぎる。とにかくいま。いま考えることが重要なんだ。半年後にその時点での最新情報を得ればいいじゃないか、そういう人はたぶんこの先もずっと考えることはない。いまアクションを起こす、それ自体に意味がある。



テクニカルな部分はあまり頭に入ってこないかもしれない。でも、食らいつきながらでも、ひとつでもふたつでも咀嚼し、自分の言葉に変換しながら、考えることが大事なんだ。その行動が自分の血となり肉となる。

志のある人にとって、近未来は可能性の塊かもしれない。組織という制約から解放された次のステージでは、あたらしい未来が待っている。

一方で、この仕事は代替されるのか、こっちはどうなのか、に終始している人々は、ひとしきりの議論を終えたあと、晴れやかな顔をして日常に戻る。それはあたかも、映画を観終えて、いつもの街へと帰っていく姿のようだ。

変動の時代にどうやって仕事を作っていくか。それは企業だけに課せられた命題ではない。企業が役目を終えたあと、個人が同じ課題を継承し、取り組んでいくことになる。

いまだ雑誌やWebで特集されている「AIに代替される職業」記事。それが気になるのも分かる。でも、本来はそれを受け「で、自分はどうしようか」を考えることのほうが重要だし、それがこの揺れ動く社会の中での自分を決めるんだ。そこに夢を見る(可能性を感じる)ことができれば、何でもいい、まずは何かをやってみること、とにかく一歩でもいいから前に歩きはじめること、かな。

映画館を出て、さきほどまでの感動もそこそこに飲み屋街へ流れていく人々もいる。でもさ、我々にとって映画はまだ終わってはいないんだ。



これは何かしらの文章に触れたことをきっかけに、頭に思い浮かんだことをつらつらと書き連ねたものです。
原本と文中の内容は一切関係ありません(いや、少しはあるかも)。
書評でもありません(これはホント😆)。

著者の梶谷健人さんはnoteも書かれています。興味があれば検索してみてください。

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