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イスラエル巡礼旅9🇮🇱ヴィア・ドロローサとイエスという「道」

イエスが十字架を背負い十字架にかけられるゴルゴタの丘まで自らの足で歩んだ「苦しみの道」、ヴィア・ドロローサをりこうさぎが歩いたときの記録です。
今回はヴィア・ドロローサの全部の道を順番通りに周るというよりも、ときに思いがけないことにあいながらもイエスに思いを馳せながら一歩一歩道を歩きました。

ヴィアドロローサに向かう途中、エルサレムの街中で可愛らしい飾りを見つけてほっこりしました。
エルサレムのマミラモールから見える聖ヴァンサン・ド・ポール教会の写真です。今回は中に入らないかわりに写真だけ撮りました。賑やかなモールとは対照的に落ち着いた厳かな外観が印象的です。
イエスの刑務所の写真です。
イエスの刑務所は小さな洞窟みたいな場所でした。この中を見学していたアジア系の二人組にヴィアドロローサの道中で再会することになります。
いよいよヴィア・ドロローサを歩きます!
鞭打ちの教会の写真です。この場所で何の罪もないイエスが有罪判決を受け鞭で打たれました。
鞭打ち教会の敷地内は今でこそ穏やかですが、ここで行われたのは壮絶な鞭打ちでした。
ヴィア・ドロローサの第三留に着きました。聞くところによるとイエスが十字架にかけられたとき、その十字架の高さは約2メートルほどとのことです。通りで十字架上でのイエスの発言が周りの人たちに聞こえたわけですね。イエスが十字架で語られた言葉で最も心を動かす言葉について後述します。
イエスの母も弟子たちもなす術がなくイエスが十字架にかけられるさまを見ることになりました。それは旧約聖書に書かれたメシアに関する預言が成就するためでした。そのメシアとはイエスのことです。
シモンというキレネ人がイエスの代わりに十字架を背負った場所です。
次々とヴィア・ドロローサを歩いて写真を撮っているうちに、不謹慎ながらだんだんスタンプラリーをしているような不思議な気分になってきました。小さめのバックパックとトートバッグ程度の荷物なら何てことはない道のりも、重傷の体で十字架を背負って歩くとなったら拷問です。
鞭打ちで使われた鞭には肉体を傷つけるために無数の棘や鋭利な物がつけられていたようです。瀕死の体で重たい十字架を背負って歩く、それも自分を処刑するための十字架を背負うわけですから肉体的にも精神的にも凄まじい屈辱と苦痛だったことでしょう。

「一人で歩いているの?第八站はわかりにくいから教えてあげる。一緒に行こう!」と突然中国語で話しかけられました。なんとイエスの刑務所の跡地で見かけた二人組でした。このときなぜかほっとしたうえに、中国語を話すことができて良かったと思いました。

二人はそれぞれ台湾と香港から来た旅行者の人たちで、りこうさぎと同じようにヴィア・ドロローサを歩いているようでした。通りで鞭打ち教会でもこの二人組を見かけたわけです。

ヴィア・ドロローサの第八留は細い小道にあるようで、そこに行って帰ってくるまで十五分くらい二人が第七留で待っててくれるとのことでした。

ところがりこうさぎは失敗をしました。急いで戻ろうと思い小道の階段を飛ばし半ば走りながら第八留を探していましたが、かなり早い段階でその留をとっくに見過ごしていて、予想外に離れた場所に辿り着いてしまったことに気付きました。

その二人に会った第七留に戻ったころにはかなりの時間が経過していました。二人の姿は見えません。連絡先を交換していないから連絡のとりようがないし、焼け付くような暑さの中でいつまでも誰かを待つのは大変なのできっと二人は次の目的地に向かったのでしょう。

たしかにこの第八留はひっそりとしてわかりにくい場所にありました。

もしアドナーイのご計画ならヴィア・ドロローサの最終地点の聖墳墓教会でその二人に会えると思い、りこうさぎはイエスのお墓があるその教会に向かいました。

聖墳墓教会に到着!イエスの遺体に香油を塗られた場所に人がひしめいていて並び順が縦なのか横なのかわからなかったです。一瞬空いた隙に手をついてお祈りをしたらヨーロッパ系の人が「ホッ!」と声をあげたのでりこうさぎが並び順を間違えたみたいです。
ヴィア・ドロローサの第八留のときといい何回か失敗したものの、「そういうときもあるでしょ!」と気を取り直すというか開き直る速さが異様に上がったことに気付きました。笑

残念ながら件の第七留ではぐれた二人に再会することはできませんでした。それでも「天のお父様のご計画ならいつかどこかで会えるよね」という確信が強かったので、安心した気持ちで聖墳墓教会の中を見渡していました。

何のためにイエスは体を切り刻む鞭を受け、最も残酷な方法で処刑されたのか?
それは人間を赦し救うために人間が受けるはずの罰を全てイエスに負わせるという計画のためです。その計画は天のお父様ことアドナーイのご計画です。

エルサレムの路面電車の写真です。この電車は便利なので乗車率は高めです。
遅めの昼食でファラフェルをいただきました。
エルサレムも建設ラッシュなのでしょうか?あちこちで工事しているようでした。新しくできる建物もエルサレムの決まり通りクリーム色なのか気になります。

エルサレムからバスでテルアビブに戻り、前日に下見をしたコインランドリーに直行しました。
トートバッグに入れた洗濯物を入れ、バックパックも洗濯機に入れているととある二人組の視線を感じました。洗濯を待つ間にテルアビブビーチに向かいました。

前日の安息日とは打って変わって平日夜のビーチは静かでした。海風がとても心地よかったです。


コインランドリーに戻ると、先ほどりこうさぎを見ていた男女二人組のうち女の子の方が話しかけてきました。「さっきあなたがここにいたのを見たよ」と言われ一瞬「え?!」と思ったら、なんでもコインランドリーの使い方がわからないからりこうさぎが使っている様子を見ていたとのことでした。

りこうさぎが使い方を説明した後、「洗濯を待ってる間はどこで待ってればいいの?」と聞かれたので、ここからすぐに歩いて行けるビーチまで行くことをおすすめしました。

二人は見たところ地元の人かと思って聞いてみたらどうやら観光客とのことでした。ヴィア・ドロローサや聖墳墓教会ではいくつか失敗をしたものの、こうしてささやかながら人の役に立つことができて良かったなと思いました。

イエスは、イエスについてくるものは自分の十字架を背負うように言われました。
イエスを信じるということは「この地上の世界での薔薇色の生活」を約束するものではありません。イエスについていくということは全てを捨てでもイエスを最優先にして生きるという厳しい道です。

イエスが十字架上で語られた言葉についてわかる聖書箇所がこちらです。

“十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」 すると、もう一人の方がたしなめた。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。 我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」 そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。 するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。
https://bible.com/bible/1819/luk.23.39-43.新共同訳”

ルカによる福音書‬ ‭23‬:‭39‬-‭43‬ 新共同訳‬

イエスという道を通らないと、誰も天のお父様のもとにいくことができません。その理由は聖書に書かれています。
いつか必ず消えてしまうこの地上の世界のことを優先するか、それとも救い主イエスについていき、イエスという道を通り楽園に行くか。
天のお父様もイエスも人に強制はしないかわりに、一人一人に選択肢を与えています。

最後まで読んでくれてありがとうございます。いよいよ次回はイスラエル巡礼日記の最終回です!

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