見出し画像

LGBTは印象派 女装は浮世絵

例の法律です。
推進する側については、その活動を長年近くで見聞き、時には体験した身からすると、「相変わらずのラディカル(極端)」なので、特に驚くほどではありません。が、一方、法律の導入に反対の声をあげている人たちの多くは、推進側のラディカル(極端)な主張を、最近になって初めて知ってビックリし、「女装が女風呂や女性トイレにおとがめ無しで入ってくる!」と、これまた極端(ラディカル)な反対意見を掲げているのではないかと推測します。
正直、「女装は関係ないから。(両方)こっち見んな」って感じではありますが、両極端ではない、当事者の意見も言っておかないと、無いことにされるのもなんなので、一女装者個人の思いと感想をつらつらと綴っていきます。(長文です)

スペイン発祥のLGBT文化

まず、前提として、LGBTは欧米の概念です。LGBT運動の走りであるプライドパレードは1978年にスペインで初めて行われました。1975年までスペインはフランコ将軍の独裁政権で、同性愛者たちは迫害されていました。

イギリスでは、第二次大戦でドイツの暗号を解読して戦勝に大きな貢献のあった天才数学者アラン・チューリングを戦後の1952年に同性愛の罪で逮捕し、その2年後に彼は服毒自殺と見られる非業の死を遂げています。イギリスの首相は2009年になってようやく謝罪しました。
ナチスドイツでも同性愛者は、ユダヤ人やポーランド人などとともに大量に虐殺されたことが知られています。

同性愛をすると隕石が降ってくる!

なぜ欧米でこれほど同性愛者が忌避されたかというと、実は話は単純で聖書に書かれているからです。

旧約聖書では冒頭(「モーセ5章」)から、「女は男の着物を着てはならない。また男は女の着物を着てはならない。あなたの神、主はそのような事をする者を忌みきらわれるからである」と断じられています。

そしてそれを破ったものはどうなるのか? 
ソドムという町では男色(同性愛)が盛んな社会だったのですが、それに神が怒ってソドムの町(と、ついでに近くのゴモラ)を破壊してしまいました。
ということになっています。ちなみにソドムの遺跡はヨルダンの死海の底にあると考えられており、発掘調査から巨大な隕石の落下と空中爆発により滅んだとの説があるのだそうです。(Wikipedia情報)

こうして、旧約聖書をベースにしたキリスト教の新約聖書でも、罪と神の処罰の典型例として、「ソドムはヤバイ」と繰り返され、同性愛(男色)はタブー中のタブーになりました。なんといっても、隣に住む男が男色していると神が天から隕石を落としてくるくらいの大罪なわけですから。好きか嫌いか、というレベルでなく、単純に同じ町に同性愛者が住んでいたら、自分の身も危険になる恐怖を感じていたわけです。英語で同性愛(もっといえばア●ルセ●●ス)を意味するsodomyは、この同性愛のあげく滅ぼされた町の名前から来ているわけです。

政令市に少なくとも一つはハッテン場が点在する日本列島は、流星のように降り注いできた隕石群を、ATフィールドか君の名は?のタイムリープによって、阻止してきたのでしょう。知らんけど。

日本建国の英雄は女装

一方、遠く離れた日本列島。古事記の建国神話で高らかに紹介される、天皇の息子(本人は天皇になる前に死んでしまいますが別の天皇の父でもある)である英雄ヤマトタケルは女装です。江戸時代なら「若衆」や「女方」、今なら「男の娘」って感じですかね。以来、明治時代になってキリスト教的文明開化によってごく一時期同性愛が禁じられた以外は、基本的に女装や同性愛はOKでした。(ただ、江戸時代では女性が男装することはダメだったっぽいです↓下の展覧会で得た情報)


ヤマトタケル(小碓尊) 月岡芳年筆 画帖月百姿 賊巣の月 明治時代前期 版画 江戸東京博物館蔵 江戸博所蔵品DBより

日本を代表する文化である歌舞伎や能には、女装が欠かせません。女性役を男性が演じる女方のいる歌舞伎だけでなく、能もまた、お面をかぶることで男性が女になるのが伝統です。(最近の能では女性の役者も増えていますし、歌舞伎では13代目市川團十郎の娘の市川ぼたんさんがデビューし、いつか歌舞伎の舞台にあがるのではという予感もしますね)

日本の「女装」「異性装」「同性愛」を国宝に

さて、長い前置きになりましたが、タイトルの「LGBTは印象派 女装は浮世絵」についてです。

ワタシは、LGBTという概念や理念、歴史、文化が欧米由来のものだからといって、それを否定するつもりはさらさらありません。
美術鑑賞で、「絵画といったら、印象派が好き!ゴッホも好き!ルネサンスも、西洋画が好き!でも日本画はちょっと…」という人は普通にたくさんいる、むしろそちらのほうが多いのではないでしょうか?
世間では、女装というと思い浮かべられるのは、テレビなどで露出の多いドラァグクイーンではないでしょうか? ドラァグクイーンは、まさにスペインのプライドパレード系発祥のLGBTの文脈にあります。
明治時代以降の日本人画家が西洋画を描いたように、日本人がドラァグクイーンやLGBTの活動に参加したり、親近感を持つのは、当然ありです。

黒田清輝「読書」 明治24年(1891)東京国立博物館蔵 ColBaseより。黒田清輝はパリ近郊の村で、マリアという少女をモデルに制作して、1891年のサロン(フランスの超エリート美術展覧会)に初入選、出品された絵。フランスで認められて鼻高々で「遅れていた日本だって西洋に認められることができたんや!日本の伝統なんて古い!これからは西洋や!」だった黒田も年をとるにつれて日本的なものに目覚めていきます。あるあるですね。
おフランスから帰国した黒田清輝が「どや!これが印象派風の日本の美や。西洋画ってすごいでしょ?日本画とか古すぎて無理w」と(勝手に心情を想像)描いた「舞妓」(重要文化財)明治26年(1893) 東京国立博物館蔵 ColBaseより


上の絵から4年後。「印象派!おフランス!」ってイキっていたけど、画材は西洋のものでも、ふつうに日本のものは日本として描けばいいんやないか?と気づいた(と勝手に想像)黒田清輝が描いた「湖畔」(重要文化財)明治30年(1897) 東京国立博物館蔵 ColBaseより

でも、どんなに人気があったり、何十億円の価値があっても、日本にあるモネの「睡蓮の池」(アーティゾン美術館)やゴッホの「ひまわり」(SOMPO美術館)は、日本が国として法律で守る文化財(国宝や重要文化財)ではありません。それはその価値を認めていないということではなく、国が保護しないといけないのは、その国の文化や歴史だからです。(その国以外は基本的に文化を守ってはくれない。日本の美術館は印象派やゴッホを自由に売ることができる。逆もまたしかりで、アメリカのメトロポリタン美術館やフランスのルーブル美術館は日本美術を自由に売り払うことも自由)

美術も、装うことも、文化の一つです。授業に、「世界史」と「日本史」があるように、性的少数者の文化についても、「世界」(とりあえず概論で欧米のLGBT。そこからインドや東南アジアなどを含めた各国の性的少数者の文化にまで関心を広げる)と、ベースとして「日本」があってもいいのではないでしょうか。

女装者のワタシ個人は、世界(欧米)のLGBTの文脈で女装をしているわけではありません。むしろ、日本のヤマトタケル、能の世阿弥、男装した出雲の阿国、歌舞伎の女方、それを描いた浮世絵師、戦後に偏見から逃げ隠れしながら(時には戦い)、「趣味女装」というフィールドを開いた先輩女装たちの系譜にいると思っています。

世界に遅れている「日本版LGBT法」なんていうものではなく、「日本社会が綿々と育んできた性的少数者の文化と生き様への理解を促進して、性的多数者を含めた人たちの人生が充実する法律」となってくれることを願っています。

よかったらこっちも読んでね↓




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?