ここではエコーも響かない

 夕凪に映るわたしとあなた。
 あちらを向いて、なにかを話す。視線はいつもどちらを見てるの。
 遠くの山は青く、わずかに曲がる道は真っ黒だ。あなたの瞳も真っ黒で、わたしの瞳は何色だろう。
 小さく震えたあなたは薄いカーディガンを羽織る。
「冷えるな」
 そう独りごちるあなたにわたしは小さく頷いた。あなたは気付かず、わたしの視線はひとり虚空を滑る。
 薄紅に染まった雲が纏まって輪郭をぼかした丸は、いつかの思い出をリンクさせる。それも過去で、はっきり思い出すことは叶わないまま千々に切れ、曖昧に空を覆う。少し見つめてみたけれど、その雲に思い出はなかった。
 揺れない水面をわたしはナルキッソスのような必死さで見つめる。けれどそんなわたしの境遇はエコーに近い。そしてこの叫びは届かない。
 寒いよねと囁き、タオルケットを掛けてくれるあなたの瞳は動かず、焼けていく空の彼方を眺めている。まるで想い人がいるかのように。
 手にしたカップの珈琲の中、静かなわたし達の顔は同じ向き。湯気を掻き消すように息を吹く。生まれた波がわたしとあなたを打ち消した。その漆黒に呑みこまれていく。
 言葉のないわたしは目を上げて、待つ。
 この姿を吹き消してくれるような、冷たい秋を乗せた風を待つ。

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