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愛情は最高のスパイス

心のこもった料理は美味しい、というのは本当なのだろうか。

はっきり言って私は料理が得意じゃない。だから、初めて実家を離れて自炊をすることになった時、麻婆豆腐の素や炊き込みご飯の素などに頼ろうと思った。

ところがパッケージに書かれた手順通りに進めても、3〜4人前と書かれた麻婆豆腐は見るからに1人前ぐらいにしかならないし、炊き込みご飯は写真のようにふっくら炊き上がらない。

どうして上手くできなかったのか正直今でも見当がつかないままなのだけど、素を使えば失敗なんてするわけがないと余裕ぶっていたのは確かだった。

・・・

心情が料理に表れたと感じたのは、その数年後のクリスマス。

付き合っていた恋人のためにブールドネージュを焼いた。さっくりホロホロとした食感の香ばしいクッキー。のはずが、出来上がったのは生焼けの白くて粉っぽいただの丸い塊だった。

トレーに並んだその小さな塊たちを、1人泣きながら貪った。

当時就職したばかりだった私は、慣れない環境にストレスを抱えながら毎日いっぱいいっぱいになってた。そのせいで母と口喧嘩が増えて、悲しいとか悔しとかそういうマイナスな気持ちであの日キッチンに立った。

彼のためのお菓子だったはずなのに、作っている間に彼のことを一度でも考えただろうか。

料理が上手くいなかったことはまだある。

昔一瞬だけ恋人だった人の部屋で作ったカレー。ルーを割り入れて仕上げるスタンダードなカレーだったのだけど、シャバシャバしたスープのままいくらかき混ぜてもとろみがつかなかった。

彼は美味しいと言ってくれたけど、それはルーの味が美味しかっただけのことで、料理としてのそれとは程遠かった。

彼とはその後まもなく別れた。

思えば、私は彼のことをちゃんと愛してなかったのかもしれない。いろんな気持ちに蓋をして始めた関係だった。きっとこのシャバシャバカレーが定まらない私の心を表してたのだと思う。

失敗の原因なんて料理が苦手な私の不手際に違いない。けど、もしかしたら無意識に心情が行動に反映されてしまうからなのかな、なんて考えも浮かぶようになった。


つい最近、夫婦で行った中華料理屋さんで炒飯を食べる夫に「お店の炒飯と私の作った炒飯、どっちが美味しい?」なんて冗談半分で聞いてみたら、

「愛情がこもってるのは君が作った炒飯だよ」と夫は答えた。

君の作った炒飯のほうが美味しいよ、なんて綺麗事は言われなかったけど、愛情が伝わってるのならそれでいいと思えた。むしろそっちの方が大事とさえ思った。

やっぱり料理は心とつながっているのかもしれない。

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