確率という偽科学

正確には確率が偽学問というより

→学問もどきとして「使われやすい」
→確率を使ったり派生した学問に?がつくものが非常に多い

確率とは「捉え方」の学問

何かを作り出す学問ではない

確率というのは「結果」を確率的に説明するだけで、

現象(機序や因果)を説明することには
一切なっていないということ

そもそもの確率の成り立ちとは

因果が一本筋で説明できないものをどうやって捉えるか?

というところから始まり、

ギャンブル等を通して、

「1回1回の結果から何もわからなくても、試行回数まとめてカウントすれば’(起こりそうな度合い)は予測できるんじゃね?」

という発想を数学化したもの。


そんな単純な原理を理解できないまま、学問を理解した気になり

乞食科学者を含め、嘘を並べ立てる者ばかりだ。


「確率は収束する!」
(↑本人達は「結果は収束する」の意味で言っている・・)

「長い目で見たら運の良しあしはない!」

「確率は平等!」

「試行回数を重ねれば、結果は実力!」

「理論上は負ける可能性はない!」

「ただちに影響はない・・」

「想定外の・・」


もう個別の発言の誤りを説明することはしない。

あまりに根本的なことなので、
もしピンとこなければ、あなたもそれまでということ。

ただひとつお願いしたいのは、
嘘をまき散らしたり加担することはしないでいただければ、それでいい。


さて、確率といっても 2つの極がある。

一つは、本当は因果関係・相関関係・必然性・蓋然性があり、
人間の認知能力や情報の非対称性によって、確率的にしか判断できず、「確率」で処理されている場合。 つまり本当は確率的事象とはいえないもの。

例えば、「じゃんけん」「受験」「インサイダー株」「宝くじ」「地震」など


もう一つの極は、真正にほぼ完全に運で決まるもの

「サイコロ」「生まれた場所」「1か月後の天気」など


そしてこの世界で運と呼ばれているものは、この両極の中のどこかに位置する。


前者的な要素が多いものは、人間がレベルアップしたり、条件を公平にすることで、結果をよくできるものだ。

後者的な要素が多いほど、人間ができることはなくなる。

後者的なものをとらえるために人は「確率」という概念を作り出した

そして、数学的な「確率」の考え方が示唆する最も重要な結論は以下のとおり


・確率は個別の試行で捉えにくい「起こりやすさ」を把握できる
・確率は特に条件がなければ次に影響しない
・確率は収束するが、結果はわからない。収束も分散もする
・同様に、期待値にも収束するが、結果(運)は特に収束しない
以上のことから、生涯を通じて「運」の差は当然あり、「確率」という概念はそれ(運)をどうしたらよいかについて、何も見解を与えない


ー補足ー(疲れる・・)

日本中の1億人が、1口1万円、当たりで2万円(2倍)
の宝くじ(当たり1/2はずれ1/2)を毎年100枚買う 
というトンデモ法律ができたとする


10年目時点で全員が1000枚購入したが、損した人からは「金返せ」「保障しろ」「インチキ!」とクレームの嵐

Q.彼らに数学的に根拠をもって説明できているのはどれか?

①当たり率45%の人も、いずれ50%に収束するので問題ないです
②今は損してますが、生涯でほとんど差はでませんのでご安心ください
③今まで外れてた分、これから当たる確率が高いということですよ!


なんか生きてるとよく聞くこれらの発言、全部嘘。 大丈夫??
てか詐欺みたいなんだけど。。

(例)とある不運な人の確率の収束と収支の推移

20歳時点で当たり率45%
{(0.45×10000)-(0.55×10000)}*100*20= -200万

30歳時点で当たり率46%
{(0.46×10000)-(0.54×10000)}*100*30= -240万

40歳時点で当たり率46.5%
{(0.465×10000)-(0.535×10000)}*100*40= -280万

50歳までで勝率47%
{(0.47×10000)-(0.53×10000)}*100*50= -300万

。。。

100歳まで生きたとして あたり率48%まで収束
{(0.48×10000)-(0.52×10000)}*100*100= -400万円


あれれ~?

20歳→100歳までで 45%→48%に「収束」してるのに、

負け額減ってないよ~ むしろどんどんマイナスが増えてる

これが、確率は収束しても 特に結果の収束を保証しない の意味
なんも難しくないよね?


なんでこんな当たり前のことが、何百年もこんがらかったままなのか?

原爆にも携わった天才数学者 人間計算機のジョンフォンノイマンでさえ
ちょっとした確率を使ったポーカーみたいなゲームでさえ
全然勝てなくて馬鹿にされた


つまりね。 確率ってのは人間にとってあいかわらず未知の領域であり

圧倒的に苦手な領域であり

恐れている領域であり

克服したりわかった気になりたい領域であり

最もごまかしたい領域なわけさ。


「不確定」要素が数個増えるだけで

ノイマンのような脳や、現代のコンピューターでさえ

組み合わせ爆発的な要因によってたちまちポンコツと化す


そろそろまとめようか。

人間は確率という概念によって、

運の絡む現象に対して、

ある種の特徴を捉えることに成功したが

それ自体に対してはほとんど何もわかっていないことは

原始時代から何も変わっていない

それどころか、それさえ自覚できず 

数学や科学の名を借りて 拡大変形解釈した

根本からねじ曲がった解釈によって

己の深層にある 運に対する不安から目をそらし

あるいは確率的事象に対するアプローチが優れているかのように錯覚し、

たとえ結果がでなくても正しいアプローチをしたと勘違いできる免罪符として

確率を用いているバカは中世の宗教と同じである。


ギャンブル攻略で間違うならまだかわいいものだけど

原発

放射線

遺伝子組み換え

デリバティブマネー

耐震構造

ワクチン


科学的評価という名のもと
事実上無限大のリスクを
「通常起こりえないこと」として矮小化してすっ飛ばすための
便利な道具が確率だ

(集計方法 推計方法 抽出元 母数 …)
計算式の全貌は決してみせない

いい加減にしてくれ、な


これらの偽科学や 飯のタネではなく
本当の意味で確率や勝負事を研究すると

面白いことを確信するようになる。
どうやら、ただの偶然や確率などという生易しいものではなく
どういうわけかもっと積極的に運を「操作」する存在がいるらしい、と。


続く







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