アスファルトの隙間に生えて良いことなど、あるのだろうか?〜稲垣栄洋さん著『面白すぎて時間を忘れる 雑草のふしぎ』より〜
『アスファルトの隙間に、雑草が小さな花を咲かせている。
こんなところに芽を出してかわいそう、と同情するかもしれない。
頑張っている自分の姿を重ね合わせて、センチメンタルな気持ちになるかもしれない。
しかし、本当にそうだろうか。
アスファルトの雑草は、かわいそうな存在なのだろうか。』
〜稲垣栄洋さん著
『面白すぎて時間を忘れる 雑草のふしぎ』より〜
アスファルトの隙間からはえてるニラに感激した自分。
書店で、この本を手に取り、このくだりを目にし、自分の安っぽい同情を見透かされたような氣がして、ひとり苦笑い。
アスファルトは
・引き抜かれにくい。
・ライバルになるような植物が少ない。
・土の水分が蒸発しにくく、また雨水も流れ込む。
など、『そう悪くない快適な場所である。』と筆者はいう。
アーケードをぶらぶらしていて、たまたま入った小さな書店。
本当に小さく、置いてある本の数もミニマム。
棚は空いているのにな。
そんな書店の文庫コーナーで平置きにされていたのが、この御本。
うむむ。なかなかやるな。
戦略にはまり、この御本を購入して、読み進む。
『雑草は、踏まれたら立ち上がらない。』
『道に生えるオオバコたちは、「踏んで欲しい」と思っていることだろう。』
『雑草の種子は、できるだけ、「そろわない」ことを大切にしている。』
などなど、タイトルの通り、面白い。
自分の得意な場所で、個性を生かし、多彩な戦略を繰り出して、予測不能な変化にも、軽やかに対応していく、そんな雑草像。
先の見えなない、予測不能な変化の時代である今。
『雑草たちの時代がやってきたのだ。』
としめくくられたこの御本。
その昔、昭和の御世の、“雑草のように、、” の踏まれても踏まれても、立ち上がるような強さ、根性論、とはまるで異なる雑草観。
とても楽しく、興味深く読ませて頂きました。
世界観を広げてくださり、ありがとうございました!
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