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(ネタバレあり)クリード3感想 なんだか・・・・

1.自分にとってのロッキーシリーズとは

お久しぶりです。あけましておめでとうございます。自分が前にNOPEの記事を書いてから時が過ぎるのは早いもので、もう半年が経過してしまいました。記事を書いていない間、映画を観ていなかったというわけではなくむしろめちゃくちゃ観てたんですが、如何せん大学の課題に追われたりバイトを始めたりしてなかなかこういう記事を書くのに割ける時間も余裕もなくてこれだけ期間が空いてしまいました。
 あいさつはこれくらいにしておいて、小見出しにもある通り、まず僕は映画ロッキーシリーズの大ファンです。今時の大学生が近年の作品を差し置いて観るような映画ではないだろう、と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、私の場合は父親が世代で、中学校の時に全作品見せられてからすっかりその虜になってしまいました。口下手な僕の父親は僕に礼儀や人生の生き方なんかを教えてはくれませんでしたが、その代わりとしてこんなに素晴らしい作品を紹介してくれました。そんなわけで、ロッキーは自分の中ではただの映画ではなく、生き方を伝える、一種の聖書のような感じがするのです。

2.クリード前2作品について

ロッキーファンである、ということでもちろんクリードも履修済みです。1も2も。残念ながらどちらも映画館での上映が終わった後にストリーミングで観ただけなので、ボクシング映画としての迫力、という点ではあまり感じ取れなかったのですが、それでもストーリーの出来の高さや、ロッキーシリーズからの様々なオマージュがあって、観ていてとても白熱するものでした。特に2は、主人公がドラゴなのではないか、、、と思ってしまうほどに激アツな人間ドラマで、個人的にロッキーシリーズ全てを含めてもTOP3に入ると思います。

3.今作、クリード3のテーマは?

色々どうでもいい自分のことを話してきましたが、本題に移りましょう。まず、今作のトレーラーを観て思ったことは、”ああ、これはロッキー1のような自身と向き合う話なのかな”という点でした。そして劇場に実際に足を運び視聴した後、”自身と向き合う”というところに関しては、同じことを感じました。この作品のテーマは、、、、、、、、、、いまいち思いつかないのです。例えば、ロッキー4であれば敵討ち、初代であれば自己の証明、のように、なぜ戦うのかという明確な目的があって戦います。(もちろん、クリード1も2もはっきりとした目的があった)
しかし今作、いくら考えてもなんのために戦っているのかよくわからないのです。確かに贖罪のためにデイムをリングにあげた結果、自分の愛弟子が反則行為も用いられつつボコボコにされる、そして裏切られ、自分はボクシングジムにも出禁を言い渡される、、、、というところは十分に心に重くのしかかるシーンでアドニスに共感せざるをえません。しかし、先ほども申し上げたようにそれが理由になる、というのは少し足りないのでは、と思っています。別にデイム自体はアドニスとの再戦を渇望してるようには見えなかったし、そのまま放っておいてもたぶんなんてことはなかったのじゃないか、とも思います。(なんか色々マスコミを通じて言われれてたけど、アドニスは金持ちだから今更テレビの露出が減っても平気でしょ、娘も金持ちが通うような学校に行けると思うし、いじめからも無縁になれると思う)
なんかこの映画、テーマが定まっていないというか、ブレるせいでいまいち全体としての完成度が上がっていないような気がするのです。

4.具体的に何がダメだったのか

先ほど書いたとおり、テーマがブレるというか、基本的に深掘りはしない感じに話が進むため、いまいち感情移入できません。自分の過去の罪を拭うために戦って勝利する、というのは理論として破綻している気がしますし、それに適切な理由付けをしないので話がずっとなあなあで進んでいきます。トレーニングシーンまで、いろんなイベントが起こるのですが、覚えていることはファミレスみたいなところで刑務所から出てきたばかりのデイムにお金を渡すシーンと、母親の死くらいなもので、それ以外はただただボケーっとしているだけでした。また、ロッキーはどうなったのか、について一回も言及されていないかったりと、肝心のストーリーも何か掴みどころがないというか、一貫性がないように感じられました。

5.お馴染みのトレーニングシーンも・・・

ロッキー作品ではお馴染みとなっているトレーニングシーンでは、過去作と同様にクリードとその対戦相手の様子が映し出されています(ロッキー1、2、3は違かったけどネ)。そのため、一見すると良いシーンに思えるのですが、自分からすればこのシーンも少しアラが目立つような気がします。クリード自身が過去と向き合い覚悟を決めて立ち上がるシーン自体は素晴らしいのですが、過去作と比べた時にある部分が欠けている、と言えます。そう、敵がどれほど強いのか、です。これまでのストーリーで今回戦う相手のデイムが戦った相手は、クリードとデュークが天塩にかけて育てた(?)メキシコ人ボクサーだけで、彼自身もどれほど強いのかというのはいまいちはっきりしていません。そのため、デイムという人間がどれほどのボクサーなのかよくわからず、ただの嫌なやつとして話が進んでいくことになります。また、スパーリング相手のドラゴも特になんの説明もなくボケーっと入ってくるため、ロッキー3のアポロ&クリードのような特別な関係性も見出せません。これらのことから、トレーニングシーンも過去作と比べて特別な感じがしなかったのです。

6.試合シーンは素晴らしかった!!

ロッキーシリーズお馴染みの最後のファイトシーンですが、これは率直な感想としてとても良かったと思います。今までのシリーズにはない取り組みが感じられましたし、刑務所の檻の中、という演出はこれまでデイムが舐めてきた辛酸を追体験できた感じがしますし、彼自身の何をしてくるかわからない雰囲気に飲み込まれるような感覚も得られます。その演出後、ラウンドが一気に最終ラウンドまで飛ぶのですが、クリードが思い切りボディを殴られた時の演出なんかは、もう素晴らしいという言葉がふさわしいとしか言いようがありません。試合終了後、お決まりの曲も流れますし、ほんとにこのシーンだけはそれまでのモヤモヤが吹き飛ぶ素晴らしさでした。

7.ラストシーンは?????

ラスト、クリードとデイムが和解するシーンでしたが、デイムは自分が恨んでいたことが鼻から誤りであったことを認め、クリードに謝罪します。一方のクリード君も自分の罪を謝罪して、二人とも和解したのです。。しかしその後、クリードがロッカールームから出た時に放ったセリフは素晴らしいとは言えません。彼は”必要ならいつでも頼ってくれ”と言ったのです。覚えていますでしょうかデイムがムショをでて最初に彼に会ったシーンを。彼はデイムに金銭的支援を持ち掛けましたが、デイム本人は”よせやい、お金なんていいんだ”のように断っています。”自分はお金なんてなくても惨めじゃないんだ”のようなことも言っていたと思います。もちろん、これは強がりもあるでしょうが、そんな彼にこんなことを言っても良かったのでしょうか?友達として普通に、”今度飲みにでも行こうぜ”とか言ったほうがよかったんじゃないでしょうか?と、少しモヤモヤする終わり方でした。

8.Shinjidaiは完全に蛇足!!!!!

エンドクレジットが終わった後に流れた、どうやら日本限定公開だったらしいクリード Shinjidaiのアニメーション予告でしたが、モヤモヤしている気持ちを完全に冷めさせる決定的な一撃となってしまいました。マイケル・B・ジョーダンがやりたいことも理解はできますが、ファンとして、”こんなファンタジー的なことにロッキーを結びつけて欲しくないわ!!!”と思ってしまいました。もしかしたら僕は相当頭が硬いのかもしれませんが、これはあくまで僕の感想ですので悪しからず。少なくとも、あの映画の後に付けるべきではないと思います。

9.終わりに

今見返すとだいぶ酷評しているような気がします。しかし、忘れないで欲しいのはこれがロッキーシリーズ最後の作品である、ということです。2を思い出してください。どう終わりましたか?ドラゴ親子の美しい愛情劇を見た後、ロッキーはそえになっていた息子と和解し、アドニス君も親父の墓に自分の娘と奥さんを紹介しに行ったではないですか。そう、これ以上ない完璧なシリーズの締めくくりとして終わったのです。ですから、私が思うに、この映画はそもそも作られるべきではなかったのではないか、と思うのです。



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