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休むと、無事に書きたくなった。



この土日は、noteをお休みした。


べつにイヤになったわけじゃなく、なんとなく他にやりたいことがあったのだ。


寒いものの天気がよく、日差しが家の中に降り注いだので、なんとなく気分が上がり掃除がはかどった。
後回しになっていた断捨離も終わり、ゴミ袋を3つもこしらえた。

ほかの家事や育児も、いつもより前向きに取り組むことができ、夜は早めに布団に入って小説を読んだ。
おお、健全だなとおもった。



その日暮らしでnoteを書くということは、どうしても一定時間そこに注力することになる。
それがない土日は、なんとまあ平和で平凡で。

noteを書くのは好きなんだけど、たまにこうして休む日があるのはいいことだ、と思えた。



書かないで過ごしたことで、代わりに費やせたことがある。
「人の記事を読むこと」だ。
もっというと、「コメントをすること」だ。


最近はめっきり誰かの記事を読まなくなった。
お知り合いの方のも、初めて知る方のも、タイトルの流し読みばかりで、開くに至れない。

それは、記事やタイトルが悪いとかじゃなくて、単にわたしが「読む気力がなかった」のだろう。

読まないので、当然コメントもしない。
だから、新しい人とつながることもない。
通知欄には、私の記事に対する「スキ」や「コメント」、あと「フォロー」のお知らせがちょこりちょこりと届くのみで、それに対応するので精一杯だった。



でも、この土日はよく読んだ。
知らなかった方の記事も読み、コメントもした。

そのときの気持ちはすごく新鮮で、書かれた文字をちゃんと一字一句追いながら、なるほどなあと考えたりした。

「書く」への力をセーブしたおかげで、「読む」に力を入れることができたんだろう。

わたしにとって「書く」のお休みは、「読む」の活動日になり得ることを、このタイミングでようやく知った。
これは、毎日投稿をやめて良かったことのひとつとなった。


ひさしぶりに、この「読む」に心を傾けられたことによって、多くのすてきな記事に出会えた。
そして、すてきなnoterさんにも。


タルイタケシさんの【読書日記】や【読書セラピー】は、読めば読むほどその本を手にしてみたくなる魅力が詰まっている。
分かりやすくまとめられているので、記事だけでも満足してしまうが、やはり本も読みたくなる。
読む本を探していたわたしにとっては、「こんなの探してた!」と手を打ちたくなるようなアカウントだった。


本を探していたといえば、潮井エムコさんのエッセイを紹介されている、アルロンさんの記事。これもまた、読んでみたくなった。
最近、くどうれいんさんや古賀及子さんのお気に入りエッセイを読み終えたところだったので、新たなエッセイを探していたのだ。
これは、ぜひ手に取ってみたい。


「ああ、納得」と思わされたのは、RIAさんのnoteへの思いが綴られた記事。
「テケトー」に楽しむようになったこと、でもコメントはええ加減にはできないことなど、共感ポイントが盛りだくさんだ。
言葉や例え話もニヤリと笑えておもしろい。

特に、noteに漂う空気や暗黙のルールが分かってくることを「note世界を理解する」と書かれていたのが腑に落ちた。


一番良い衝撃を受けたのは、みどりさんの「有料コンテンツ」についての記事。
有料記事に苦手意識があって避けてきたが、この記事で考えを見直した。

「有料書きましょう!」「みんなのため!noteのため!」という押し強めな記事を読んだことがあるのだが、それもまた「きつい」と感じていた。

わかるんだけど、抵抗があるんだよ。
そこに共感してくれるのが、みどりさんの記事だ。
こんなに優しい記事には出会ったことがない。
とてもとても配慮し、言葉を選び、それでも真摯に書かれているのがひしひしと伝わってきた。

この記事を読んで初めて、有料コンテンツを出しておられる人の「意図」を、誤解していたかもしれない、と思えた。
信頼しているnoterさんの記事を、買ってみようかなとも。
もし、有料コンテンツに思うことがあれば、ぜひ読んでみてほしい。


こうして、読み応えのある記事をモリモリ読み、刺激を受けたわたしは、無事に、noteを書きたくなった。
書きたくて書きたくて、子どもを寝かしつけたら即書き始めた。


良い出会いがあったんです。
すてきな記事を見つけたんです。

そんな「書きたい欲」が止まらなかった。

noteを書くのをお休みしたら、案外読む気力が湧いてくること。
そういうときこそ、新たな出会いがあるかもしれないということ。

そんなことに気づけた土日休み。
生活もnoteも、充実の二日間だった。

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