便利だけど不安になる、見えないお金でおかいもの
先日、初めて「LINEギフト」を使った。
いやー、すごいなこれ。
そんな、陳腐な感想しか出なかった。
遠方の家族に、コンビニで買えるワインをプレゼントしたのだが、リストから商品を選んで、ぽいっと送るだけ。
めちゃくちゃカンタンだった。
しかも、支払いはペイペイ。
だから、布団に寝ころんだまま、選んで送るところまでできてしまった。
すごすぎ。
なんて便利な世界なんだ。
と思うと同時に、ちょっぴりこわくなった。
見えないお金での支払い。
商品をいちども触らずに、買い物。
ほんとうに買えた?届いた?
家族だからLINEで確認できたけど。
昨今の、この「見えないお金」による買い物がスタンダードになっていることに、置いてけぼりをくらっている自分がいる。
今、なんでもキャッシュレス。
クレジットカードどころか、バーコード決済で簡単に支払いができる。
現金をお財布から出して、小銭を数えて、お釣りを受け取って、なんてことはほとんどなくなった。
私は、キャッシュレスが世に出回り始めてからも、全然波に乗れなかった人間だ。
「現金でいいやん」
「せめてクレカでええやん」
そんな感じで、新しい世界に飛び込むのを躊躇して、バーコード決済を遠ざけ、決済アプリもひとつも入れていなかった。
でもあるとき、遠方の友人たちとお金のやり取りをする必要に迫られ、「ペイペイで送って~」と言われた。
なんと。そんなことができるのね。
銀行で振り込まなくていいのか。
そりゃあいいなと感心して、はじめてダウンロードしたのがPayPay。
その後、楽天ペイも使うようになり、気づけばほとんど現金支払いをしなくなっていった。
ほんとこれが使えば使うほど便利。
とくに子どもを連れての支払いでありがたい。
抱っこしたまま、片手で硬貨を出したり、お釣りを受け取ったりすると、もたつくし、子供がお金を触ろうとして手間取ることがおおい。
一時期、お店に入る前には、現金かクレカをポケットに直入れして、子どもを抱っこしてレジを乗り切っていた。
でもあるとき、クレカをなくしてしまって、「もうやめよう」と誓った。
(ちなみにクレカは、ズボンのポケットから出てきてことなきを得た。)
子どもを抱いていても、バーコード決済なら片手をさしだすだけ。超簡単。
最近は田舎の小さなお店でも、PayPayのQRコードがあったりして、何かしらの決算アプリで払えることがほとんどだ。
現金をおろさなくていいので、いちいち銀行に立ち寄る必要もなくなって一石二鳥だ。
でも、ふと不安がよぎるのだ。
本当に払えてるのか?
本当に私はこのお金を、持っているのか?
買い物をしているのに、買い物をした実感がわかない空虚な感覚。
たしかに支払いをしたのに、お金がひとつもおもてに出てこないやりとり。
商品がいくらだったかとか、今月いくら使っているとか、そういう感覚にも疎くなってしまった気がする。
きっとちゃんと管理している人は平気なんだとおもうけど。
簡単で、気楽、便利な世界は、ちょっとだけむなしい。
大人の私はいい。
でも自分の子供達に、ちょっとでいいから、レジでおばちゃんに小銭を払うとか、手持ちの現金と相談しながら商品を吟味するとか、そういう体験も味わって欲しいとおもってしまう。
おままごとで「ペイペイ!」とか「ワオン!」とか言って払うしぐさをするのをみると、可愛いんだけど、心配になる。
こんな考えを持っちゃう私は、やっぱり古いのかなあ。
将来、硬貨やお札ってなくなるのかな。
もしかして、お財布とかも消えちゃうのかしら。
そんな漠然とした未来への不安が、心の片隅にちらっと顔を出すときがある。
そんなことを心配しても仕方ないのに。
これはきっと、新しいことへの変化に戸惑う私の正直な心なのだ。
それなら、楽しいことも想像しよう。
もっともっとキャッシュレスが浸透したら、世界のどこへいっても、パッと手をかざすだけで支払いができたりとか。
とんでもなく便利なアイテムが登場したり、支払いというシステムそのものもなくなるのかもしれない。
そういう未来を想像すると、うん、それはそれでわくわくするな。
「見えないお金」への不安もわくわくも、ふたつの正直な気持ちを受け入れよう。
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