見出し画像

【創作長編小説】天風の剣 第100話

第九章 海の王
― 第100話 軽やかな矢 ―

 守護軍の隊列は、しばしの休憩をとっていた。
 
「ヴィーリヤミ卿。先ほど、キアランとなにか……?」

 オリヴィアが、つかつかとヴィーリヤミのもとへ近付き、強い口調で問いかけた。
 ヴィーリヤミは、心ここにあらず、といった感じでぼんやり座っていたが、オリヴィアの声がようやく今耳に届いたといった様子で、

「え? あ。先ほど……?」

 ゆっくりと首を回し、オリヴィアに訊き返していた。
 いつもの、飄々としているが、一癖あって油断ならない男、といった印象とはまったく違うヴィーリヤミの様子に、オリヴィアはなんだか拍子抜けしてしまった。
 
「ただならぬ雰囲気を感じました。なにか、問題でもあったのでしょうか?」

「問題……」

 オリヴィアの言葉を繰り返し呟くだけのヴィーリヤミ。急にやつれてしまっているように見えた。

「ただ……、普通に話をしていただけですよ」

 力なく、笑みを浮かべるヴィーリヤミ。オリヴィアは、さらに肩透かしをくらったような気持ちになる。

 強い魔法を行使して、疲れてしまったのだろうか。あのときは戦いの後で、彼も気が立っていただけなのかもしれない。キアランの様子も、別に普通のようだし――。

 オリヴィアは、ヴィーリヤミに対し警戒しすぎていたか、と思い直す。

 私のただの思い過ごしなら、それはそれでよかった。ヴィーリヤミ卿は、非常に強い力をお持ちだが、圧倒的に塔で過ごす時間が多いよう。実戦経験はきっと少ないはず。やはり、相当お疲れなのだろう。

 オリヴィアは、ヴィーリヤミに対する警戒心は持ち続けたほうがいいとは思ったが、今は自分の魔法の補佐をしてくれたヴィーリヤミを少しでもねぎらおう、そう考えた。

「……いいですね」

「え」

 戸惑い見上げるヴィーリヤミに、オリヴィアは美しい微笑みを向ける。

「ヴィーリヤミ卿。新しい髪形、お似合いですよ」

 爽やかに感想を述べ、オリヴィアはヴィーリヤミのもとを離れた。
 疲れてしまったであろうヴィーリヤミ、せめて気分だけでも明るく軽やかになるのではないか、そう信じて疑わずに――。
 ヴィーリヤミは、その場にうなだれていた。言葉を返す気力も、立ち上がる気力もないようだった。
 そのダメージは、計り知れない。



「ユリアナ様。お疲れではありませんか?」

 ユリアナの馬車の隊列に、テオドルはいた。
 ユリアナは、ずっとユリアナに仕えている侍女とともに木陰に座っていた。テオドルの姿を見ると、ユリアナと侍女は、テオドルもこちらにきて一緒に座るよう笑顔でこっそり合図をする。
 ユリアナたちのほうへ歩み寄るやいなやテオドルは、二人に小さな瓶を手渡した。

「まあ。ありがとう。テオドル。これは……?」

 ユリアナは嬉しそうに顔を輝かせ、テオドルに尋ねる。

「町で最近話題の飲み物です。疲れにきくとか、美容にいいとか、若い女性に評判とのことで、昨日買ってみました」

 テオドルが先に、自分のぶんのふたを開け飲んでみる。

「甘いなあ。女の子が喜ぶわけだ」

「……女の子って、いったい、どなた?」

 ふたを開けて飲もうとしたユリアナが、ちょっと手を止め尋ねる。少し眉根を寄せ、上気した頬をふくらませている様子は――、どう見ても焼きもちだ。
 隣に座る少し年上の侍女が、吹き出していた。

「いやっ、町で、結構、聞いたのですよ、そういった声を、たまたま……!」

 慌てて顔を赤くしつつ弁明するテオドル。やましいところはないのだが、慌てれば慌てるほど怪しげな印象になる。

「ほんとに、おいしい」

 一口飲んでみて、ユリアナと侍女は笑顔を交わし合う。

「いつもありがとう。テオドル」

 ユリアナは、素直に礼を述べた。

「喜んでいただけたようで、本当によかった。我らが四聖よんせいのお役に立つなら、我々守護軍はなんでもいたします――」

 テオドルは立ち上がり、胸に手を添えうやうやしく一礼した。
 そして、早々に立ち去ってしまった。
 ユリアナは、テオドルのたくましい背中を見つめていた。いつまでも、いつまでも。テオドルが他の人影に紛れ、すっかり姿が見えなくなってしまっても、その瞳は彼を追っていた。
 侍女は、ユリアナの清らかな横顔をそっと見つめる。
 二人の距離が、もっと縮まればいい、そう侍女は思う。「空の窓が開く」、そのときが過ぎ去れば、二人はもっと自然に寄り添うことができるのだろうか、そう侍女は思う。
 テオドルはいつも、「我らが四聖よんせい」、「我々守護軍」という言葉を使う。でも、侍女は知っていた。
 それはユリアナだけに向けられた言葉であり、彼だけがユリアナの真の騎士である、ということを――。
 自分を間に挟むことなく、誰を気にすることなく二人が並んで座る。そして、話題の飲み物などではく、彼がユリアナのためだけに、美しいかけがえのないただひとつの品を贈る、そんな日が早く来ることを、侍女は密かに願っていた。



 隊列は、北上を続ける。
 日を追うごとに、北へ進むごとに、寒さが増していく。
 町や集落には、危険が及ばないように、なるべく近寄らないようにした。必要な物資や食料を調達するときは、短時間の滞在にし、休憩や睡眠は人のいない自然の中でとるようにした。

「キアラン」

「ニイロ!」

 夕食後、ニイロがキアランのところへやってきた。

「少し、キアランと話がしたくなってな」

 ニイロの手には、大きな葡萄酒の瓶。ニイロは瓶を自分の顔の高さに掲げつつ、白い歯を見せた。

「このところずっと、守ってもらってばっかりで、すっかり腕が鈍った気がする」

 相変わらず、ニイロの背には大きな弓が背負われていた。

「大丈夫。ニイロ。あなたはその辺の兵士よりはるかに強い」

 ニイロはキアランに葡萄酒をつぐ。華やぐ香りが冷たい夜気にぬくもりを添える。

「キアラン。ずっと、気になっていたことがある」

 ニイロは、酒で満たされた自分の木彫りのカップに目を落とす。
 少し離れたところから、ルーイと花紺青はなこんじょうのはしゃぐ声が聞こえた。食後の運動会らしい。

「キアラン――。あなたは、俺とは違う」

「え」

 唐突なニイロの言葉に、キアランは戸惑う。

「キアランを傍から見てると――、その……。自分と重なって見えるところがあった」

 ニイロは、まっすぐキアランの瞳を見つめた。

「勝手に……、心配になっていた」

「ニイロ……?」

「お前は、その……。お前も、俺のように――。自分の幸せをあきらめているんじゃないのかって――」

 ニイロ……!

「誰かのために命を投げ出すような行動をとる。危険を顧みず戦いの場へ飛び込む。それは、強いから、優しいからだけじゃない。自分の人生を、誰かと歩む未来を、自分から手放している、だからなんじゃないか、そう思えて仕方なかった――」

 ニイロの分厚い手が、キアランの肩を掴む。

「キアラン……! お前は、幸せになっていいんだ! お前こそ、家族を持ち、地に足をつけた暮らしを夢見ていいんだ……!」

「ニイロ……!」

「……ごめん。俺の無用な心配だったかもしれない。勝手に、自分とお前を重ねただけだったのかもしれない。でも、いつか、お前にそう言ってやりたい、そう思ってな――」

 キアランは、首を左右に振った。

「いいえ……。ありがとう……! ニイロ……」

 キアランの目には、涙がたたえられていた。

「なんだ。お前、泣き上戸だったのか」

 そう言って笑うニイロの目にも、涙がにじんでいた。それを隠すように、ニイロは葡萄酒を一口で飲み干した。

「……ニイロ。あなたこそ、幸せになるべき人だ――」

「キアラン――」

「前にも言ったけど、あの島で――、いや、あの島でなくてもいい、あなたは、どんな場所でも、たくさんの家族に囲まれた、明るい暮らしを歩める人なんだ――!」

 ニイロは、少し悲し気な顔をした。

「俺は――。たぶん……、誰も幸せになんかできない――」

「幸せは、してもらうんじゃない、それぞれが、自分でなるものだ」

 きゃー、ルーイと花紺青はなこんじょうの弾けるような笑い声が聞こえる。

「ルーイは、フレヤさんは、ユリアナさんは――。皆、きっとこれからも幸せでいられると思う。ニイロ、あなただって幸せになれるんだ」

「他のみんなは――」

「他の四聖よんせいも、あなたも、一緒だ」

 ニイロは、空になった自分のカップに目を落とす。キアランは微笑みを浮かべ、ニイロのカップに葡萄酒を注いだ。

「そして、あなたも、私も、一緒だ」

『ばけものめ……!』

 ほんの一瞬だけ、キアランの過去がキアランを縛り付けようとした。
 
 違う……!

 今のキアランは、自分の力で自分を縛ろうとする過去の鎖を引きちぎった。
 それは、周りにいる皆を感じられたからだ。
 目の前にはニイロがおり、すぐ近くにはルーイも花紺青はなこんじょうも、アマリアも、そして他の皆も、さらには少し離れた場所にはシルガーたちだっている。
 キアランは、世界から切り離されたような昔の自分とは違っていた。
 
 皆が私を認めてくれている。そして、誰よりも私が私を認める――!

 ニイロは、ふっ、と笑った。

「キアラン――」

 ニイロは、小指を出した。

「?」

「じゃあ、約束だ。わかるか? 俺の国では、互いの小指同士をひっかけ合う、これが約束の印なんだ」

「約束……? なんの……?」

 まさか、自分とニイロの結婚の約束じゃないだろうな、キアランは見当はずれのことを思い浮かべ、いやあ、ニイロがこの場でそんな冗談言うわけない、と心の中で首を振る。
 
「俺も――。自分の未来に夢を持ってみる。だから、キアラン。お前も、自分の未来をあきらめるな。絶対に、な」

「なるほど。どちらも、あきらめっこなし、か」

 ニイロとキアランは、指切りをした。
 そして、笑顔で葡萄酒を酌み交わした。

「ありがとう。ニイロ」

「ありがとう。キアラン――!」

 大きな弓は、ニイロの背にあるままだ。
 しかし、重い弓に縛られ続けるのではなく、ニイロは軽やかに矢を放つだろう。遠くへ、未来へ。
 潮風の吹き渡るあの島で笑う、ニイロとその家族たちの姿が、キアランの目にははっきりと映っていた。

◆小説家になろう様、pixiv様、アルファポリス様、ツギクル様掲載作品◆

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?