【創作長編小説】天風の剣 第97話
第八章 魔導師たちの国
― 第97話 人々の行列と、人外の近況 ―
月が高く昇っていた。
ろうそくの明かりは、とうに消えていた。
それでも、ヴィーリヤミは新しいろうそくを灯すわけでもなく、魔法による光を発そうともせず、ただぼんやりと暗闇の中、机に向かっていた。
とても眠れそうになかった。
気だるそうに立ち上がり、洗面台へ歩いていく。
自然と視界に入ってくるので、確認するまでもない。しかし、改めて鏡を見て、深いため息をつく。
「やはり、直らんか……」
ヴィーリヤミは、洗面台に両手をつき、うなだれていた。
鏡に映っていたのは、ふわふわと広がる長い髪――。
自分の髪のはずなのに、まるでそんな気がしない、経験したこともない、派手な髪形。
「四天王の、力のせいか――」
魔法を使う者は、男女を問わず、長髪の者が多い。髪の毛に、魔力を増幅する作用があることが多いからだった。とはいえ、生まれつきの体質や、各自の出す魔法を生み出す力の個性も関係する。極端な例では、髪を剃ったほうが魔法の力が増すという者もいる。
ちなみにダンは、魔法を使うが短髪だ。ダンは、髪の長短が魔法力に影響しないタイプの人間だった。
ヴィーリヤミの髪は、見事に美しく波打っていた。三つ編みをほどき、風呂に入って髪を洗い、乾かしてくしでとかしても、魔法で整えようとしても、三つ編みをほどいたときの状態そのままだったのだ。
「これでは……」
ヴィーリヤミは肩を震わす。
「これでは! 思いっきりおしゃれをしてるみたいじゃないか……!」
まったくの不本意だった。
ヴィーリヤミは、ため息をつきつつ、うなだれる。似合わないわけではない。むしろ妙に似合っているから、自分の意思でそうしたように見え、余計落ち込んでしまうのだ。
鏡を見ただけで疲労が倍増したとでもいうように、首を左右に振りながら、のろのろとした足取りで机に戻り、重い体を椅子に預けた。
「それにしても――」
片手で頬杖をつく。
「意外だったな――」
シトリンの話は、ヴィーリヤミの魔の者、四天王に対する認識をくつ返すようなものだった。
「オリヴィアの力は無関係とは……」
まさか、人間であるオリヴィアが四天王を支配し、使役しているとは思わなかったが、少なくともオリヴィアの力に興味を持った四天王が、気まぐれで行動を共にしている、関心を引いたのは、オリヴィアのその魔法の力の強さのみである、そう思っていた。
ヴィーリヤミは、シトリンから得た情報を整理しようとした。
一緒に行動していたのは、四聖が好きだから……? 四聖や一緒にいる者たち皆が笑顔でいてほしいから……? 友だちだから……? 魔の者の四つの頂点、四天王にそんな感情が……?
唐突に、シトリンの無邪気な笑顔が脳裏に蘇る。お菓子を頬張ったときの、あたたかいお茶を口にしたときの、嬉しそうな、そして幸せそうな顔。
まるで、人間の幼子みたいじゃないか――。
それから、それはシトリンだけのことではないという。
シトリンが言うには、一緒にいたあの人間たちも含め、キアランの父親の従者だったという花紺青という少年の姿の魔の者、シトリンの従者の翠と蒼井、それからカナフという高次の存在、そして、シルガーという強い力を秘めた魔の者も――、皆、友だちなのだとシトリンは説明していた。
そんなことが――、あるのだろうか。
ギッ。
背もたれに、深く身をゆだねた。もうだいぶ古くなったまるで相棒のような椅子が、暗く寒々しい部屋にきしんだ音を響かせる。
幼子の目線で、そう見えるだけなのかもしれない。
闇のとばりに覆われた部屋は、ふたたび静まり返る。
ヴィーリヤミは、目を閉じる。
弾けるような声が、部屋中を駆けまわっていたのは本当に今日のできごとだったのだろうか。
ほとんど客人の訪れない――しかめっ面の僧衣の男を除いて――この空間が、あんなに華やいだことが、今まであったのだろうか。
ヴィーリヤミは、思う。
この椅子は、革張りの本たちは、見ていたのだろうか。聞いていたのだろうか。
あの、天真爛漫な笑顔を。小さな体いっぱいから発せられる、明るい笑い声を。
ふふふふふっ。
耳が、部屋が、記憶している。
おじちゃんは、新しいお友だちねっ。
波打った髪同様、目を凝らせば、耳を澄ませば、あちこちにシトリンのいたかすかな痕跡が、妖精がこっそり仕掛けたいたずらのようにちりばめられている――、そんな気がしていた。
「人間たちが、騒がしくなっている――」
塔から少し離れた高い空から、見つめる有翼の人影。
魔法の能力の高い人間から見つけられないように、その強力な気配を意識的に消していた。
下界では、馬に乗ったたくさんの人間たちが行列を作る。馬車も、それぞれ離れた位置に四台用意されていた。
「行列の先頭にいるのは、オリヴィアさん。それに、少し離れてキアランと花紺青君も――」
見つめているのは、カナフだった。
「よい場所に見えたが、どこかへ移動するのか」
後ろから、声がした。カナフは振り返る。
「シルガーさん!」
シルガーも、巧妙に気配を消していた。
「おはようございます」
「おはよう」
律儀なカナフは満面の笑顔で挨拶をし、挨拶好きなシルガーもしっかり挨拶を返す。
「四聖たちは、一人ずつ違う馬車に乗るようですね」
「他の面々も、ばらばらに配置されているようだな。襲撃にあったときのことを考えてのことだろう」
「いったい、どこへ移動しようとしているのでしょう――」
「おはよっ!」
背後から、カナフとシルガーの背中を、同時に元気よく小さな手が叩いていた。
シトリンの笑顔がそこにあった。
「シトリンさん――! 翠さんと、蒼井さんも……!」
カナフは、シトリンと翠と蒼井の姿を認め、嬉しそうな声を上げる。律儀なカナフとシルガーは、シトリンたちとも早朝の挨拶をしっかり交わしていた。
ちなみに、蒼井の髪はまっすぐなままだった。シトリンから三つ編みの洗礼を受けたが、人間であるヴィーリヤミと違い、その影響は長く続かなかった。
もっとも、離れて行動していたカナフやシルガーが、一連の三つ編み騒動を知る由もない。
「久しぶりというほどでもありませんが、また皆さんの元気なお顔を目にすることができて、なんだか嬉しいです」
「カナフ。お前のほうの追手は大丈夫か」
「ええ、大丈夫です。シルガーさん。今私を探しているのは、この地区の担当の者だけのようです。それも、さほど熱心ではない様子。もっと深刻な問題が山積みですから」
高次の存在の集団より、すっかり魔の者の群れに染まりつつあるカナフ。同胞を撒くのは簡単であるとでも言いたげに、余裕の笑みを浮かべた。
人間たちの行列が動き出す。ついに、キアランたちは塔の敷地から離れる。皆、地上に視線を戻す。
「あのね。みんな北にあるノースストルム峡谷っていう聖地へ行くみたいだよー。そこで、『空の窓』の開くときを待つみたい」
シトリンが、ヴィーリヤミから聞いたであろう情報も織り交ぜて説明する。
カナフとシルガーは顔を見合わせる。
「……ここは、民家も多いし城も近い。この国の中枢部といえる地区のようだ。国の被害を少なくするため、辺境の地へ移動するというわけか――」
「辺境の地? シルガーはそこ、知ってるの?」
シトリンがシルガーの言葉に首を傾げる。
「ああ。実は、上空から色々この国を見て回ってみた。たぶん、お前が言っている場所は、私が見た特殊な磁場の場所だろう。あの付近には、家や人の活動した痕跡がほとんどない」
「シルガーさんは、おひとりの間に色々調べていたんですね」
私は塔の様子を見守る以外、ほぼ逃げ回っていただけでしたが、とカナフは目を丸くした。
カナフの感心した様子に、蒼井が一歩前に出る。
「私は、昨晩キアランを奇襲したぞ」
え。
シルガー、カナフ、シトリンは目が点になる。
蒼井が、誇らしげにそう告白した。
「私も、昨晩、蒼井のあとにキアランを奇襲した」
え。
翠の告白だった。
今度は、蒼井も含めて目が点になる。翠の奇襲は、蒼井も知らなかったようだ。
「キアランはよい鍛錬になる、と礼を述べてた」
「私たちも、それぞれ色々密かに活動していたのだ」
蒼井と翠が、胸を張る。
「今後も、奇襲ライフは続く」
「人の目をかいくぐり、続くのだ」
蒼井と翠はうなずき合う。奇襲、かぶらないように気を付けよう、せっかくだから、などと述べつつ。
えーと。
よかったですね、そういう言葉がカナフの口から出そうになる。
「私は、秘密のお茶会したよー」
翠と蒼井につられたのか、シトリンが挙手していた。
えっ。
皆の注目を一身に受け、シトリンは思わず自分の口に手を当てる。
「あっ。言っちゃったら、秘密じゃなくなっちゃうね」
シトリンが、しまった、とばかりに肩をすくめる、
「シ、シトリン様! お茶会ってなんですか!?」
「秘密ってなんですか!? 誰とのお茶会だったのですか!?」
翠と蒼井が、血相を変え――はた目にはあまり表情が変わらないように見えるが――、シトリンに詰め寄る。
「実はね、新しい人間のお友だちができたんだよー」
シトリンは、人差し指を唇に当て、いたずらっぽく笑う。
「シトリン様―っ!」
翠と蒼井が叫ぶ。後で紹介するね、そう言ってシトリンは微笑むばかり。
行列は、北へ進む。
「……我々も、行きましょう」
カナフの髪が、風にそよぐ。
「ああ。カナフ、お前にとってはおそらく心地よい場所だろうが、私やシトリンたちにとっては、厳しい土地、聖地へ――」
雲が、流れていく。
◆小説家になろう様、pixiv様、アルファポリス様、ツギクル様掲載作品◆
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