見出し画像

【創作長編小説】天風の剣 第99話

第九章 海の王
― 第99話 髪形の話 ―

 キアランたち守護軍は、北へ進む。

「魔の者の群れだ……!」

 キアランの鋭い感覚は、迫りくる魔の者の群れを感知した。
 それは、青空を覆うような大群だった。

 一体一体の大きさとしては、虫のように小さい……。だが、魔の気配は決して弱いわけでもなく、尋常じゃなく数が多い……!

 まだ実際には距離があったが、キアランの金の瞳は、あたかも間近にいるようにその詳細な情報を捉えていた。
 姿は、スズメバチに似ていた。ただ、胴体がムカデのように長く体節がいくつもあり、胴の下に小さな足が無数に蠢いている。羽も胴の体節にならってたくさんついていた。不快な羽音を響かせながら、群れは明らかに守護軍のほうへと向かってきている。
 キアランは、天風の剣を素早く構えた。すぐ近くにいた魔導師オリヴィアも、キアランとほぼ同時に気付いていたようだった。
 白い虎のラジャの背に乗るオリヴィアが、魔法の杖を振り上げる。

「聖炎竜渦!」

 オリヴィアが呪文を唱えると、たちまち杖の先から燃え盛る炎が現れた。

 ゴオオオオオ……!

 オリヴィアの放った炎の魔法が、まるで巨大な竜が長い尾をくねらせ空を飛んでいるかのように大きく渦を巻く。そして、渦巻きながらまっすぐ魔の者の群れへと突き進み、あっという間に大群を包み込む。

 魔の者が、消えていく……!

 魔の者の気配が消失していた。群れのほとんどが、オリヴィアの強力な魔法の一撃で消滅したようだ。

「すごいな! オリヴィアさんの魔法……!」

 驚いているのは、キアランだけではなかった。守護軍の隊列にどよめきが起こっていた。
 守護軍に新規入隊したばかりの一般の志願者や、僧兵たち、それから初めてオリヴィアの魔法攻撃を目撃した者たちも、美しささえ感じる強烈な魔法に驚きを隠せない。

「まだ、全滅させたわけではありません! 皆、気を抜かないで!」

 オリヴィアが叫ぶ。そして、第二の魔法をオリヴィアが放とうとしたそのとき――。

「滅せよ」

 地の底から響くような、恐ろしい響きを持った低い声がした。

 ドッ……!

 素早い、突風のような黒いなにかが空を走る。そして、それはオリヴィアの魔法攻撃が直撃しなかった残りの魔の者に激突し――、魔の者は、爆撃を受けたように一瞬炎のような光を上げ、そして煙のように消失した。

 今の、呪文だったのか……?
 
 キアランは、天風の剣を腰の鞘に収めた。
 キアランは、魔法攻撃を放ったであろう声の主を振り返り見た。黒い馬に乗った、黒いフードを被ったその男は――。

 あの、魔導師……!

 黒いフードから見えるとび色の髪が、以前と違ってなんだかふんわりと波打っているようだったが、それは、あの晩キアランに握手を求めてきた魔導師、ヴィーリヤミだった。
 ヴィーリヤミの魔法によって完全に魔の者を倒せたことを確認すると、オリヴィアはヴィーリヤミに会釈をし、それから皆に向かって声を上げた。

「皆さん! 魔の者の脅威はいったん去りました。でも、今後も魔の者との遭遇、襲撃はあります。魔法を使えるかたは、遠隔の魔法を――」

 オリヴィアは、皆に改めて注意を促していた。呼びかけながら、キアランとは少し離れていく。
 守護軍は、四聖よんせいの乗った馬車をそれぞれ離して配置をし、それに合わせて四つに隊列を分け、各隊列にリーダーとなる人物を配した。先頭の馬車に乗っているのはルーイであり、その隊列のリーダーはオリヴィアである。ちなみに、守護軍全体のリーダーも、オリヴィアであった。
 ヴィーリヤミは、オリヴィアの姿を目の端で追ってから、キアランに、不気味な笑みを浮かべつつ近寄ってきた。

「やはり、四聖よんせいが全員集まっていること、それから、空の窓の開くときが近付いていること、魔の者の動きも力も強まっているようですね。私やオリヴィア殿、それから魔法を使える者全員が強い防御の魔法で四聖よんせいの気配を抑えても、嗅ぎ付けられてしまうようですなあ」

 ヴィーリヤミの口調は、心配しているというより、むしろそういった状況を楽しんでいるように聞こえる。
 キアランは、ついヴィーリヤミの波打つ髪に目が行ってしまっていた。

 新しい髪形は、守護軍に入って、張り切っているからなのか?

 ヴィーリヤミが守護軍に入ったということは、ダンから聞いていた。警戒し、近付かないようにしようと思っていたキアランだったが、声をかけられ無視するのもなんなので、なにか無難な返事を言おうと言葉を探す。

 張り切ってますね、は無難じゃないな。

 キアランは、髪の話は全然無難じゃない、別の会話をしようと試みる。

「……今現れた魔の者は、剣で戦うには非常に厄介な相手でした。ヴィーリヤミさんとオリヴィアさんの魔法で全滅させることができ、本当によかった。大変助かりました」

 ヴィーリヤミの口が、裂けたように吊り上がる。

「キアランさん。あなたは、あの群れが全滅するやいなや、剣を構えるのをおやめになりましたね? 剣士でいらっしゃいながら、この距離からちゃんとやつらが全滅したと、おわかりになっていたご様子でしたが――」

 ヴィーリヤミの、鋭い目が光る。

「あ。まあ……。はい」

「さすが、四天王のご子息です」

 ヴィーリヤミはそう言って、にい、と笑った。
 キアランが四天王の子であることは、とっくに周知の事実である。守護軍の中で知らないのは一般の志願者くらいだろう。
 ヴィーリヤミの口調に、差別的な意図は全く感じられなかった。憐れむような、蔑むような、皮肉めいた不快な響きはない。
 しかし――、その言いかたには、どこか聞き捨てならない、引っかかるものがあった。
 キアランを見つめるヴィーリヤミの目。それは、あきらかに好奇の目だった。世間一般通常の好奇心ではなく、研究者が研究対象をじっくり見つめるような、熱のこもったヴィーリヤミの目――。

 お前を解剖してやるよ。

 そう言われているような気がしてきた。

 この男の目から、すぐに視線を外さなければ――。

 キアランはあいまいな相槌を打ちつつ、ヴィーリヤミから距離を取ろうと思ったが、なぜか体が動かず、ヴィーリヤミから視線を外せない。

 これは、やつの術なのか……? 私の心を、探っているのか……?

 キアランは、蛇に睨まれた小動物のように、ヴィーリヤミの前から動けないでいた。いや、その気になればすぐに動けるはずなのに、なぜかその気力がわいてこない。

「キアラン殿は――。お気づきかな? あの魔の者の群れ、その奥に、不思議な存在たちが飛んで近付いてきていることを」

「ふ、しぎな存在……?」

 キアランは、ヴィーリヤミの瞳から目を離すことができない。
 漆黒のその瞳は、どこか深く暗い闇へと繋がっているような気がした。

「四天王と従者たち、高次の存在、魔の者……。皆さん、キアラン殿のご友人なのではありませんか?」

 シトリンやみどりや蒼井、カナフさん、シルガーのことだ! 皆のこと、気付いているんだ……!

「そ、れ、は――」

 キアランの口の中は、カラカラに乾いていた。舌が、自分の意思とは反して勝手に言葉を紡ごうとしている。キアランは、必死に自分を制した。

 この男は、どこまで知っている……? そして、なにを知ろうとしている……? そして、いったい、なんのために……?

 ヴィーリヤミの吊り上がった唇。不吉な笑みが、キアランを縛り付ける。
 ふと、キアランは、エネルギーの流れの変化を感じた。

 誰かが、近付いてくる。これは、オリヴィアさんか……?

 オリヴィアの気配を感じた。異変に気付き、キアランとヴィーリヤミのほうへ近付いてきている。
 ヴィーリヤミは、かすかに舌打ちをした。
 しかし、ヴィーリヤミとキアランの予想に反し、オリヴィアより先に、脇からさっと違う流れが飛び込んできた。

「おじちゃん、髪型変えたー? 似合うんじゃない?」

 笑顔の花紺青はなこんじょうだった。
 
 ビシッ。

 術が、音を立てて消え去る。

 花紺青はなこんじょう……! よかった……! おかげで、動ける……!

「ヴィーリヤミのおじちゃん、守護軍に入って、張り切っちゃってるんだねえ!」

 キアランが言おうとして自粛した一言を、花紺青はなこんじょうはとどめとばかりに発していた。満面の笑顔で。
 ヴィーリヤミは、笑顔を張り付けたまま動かない。かなりの、ダメージを負ったようだ。人知れず。
 ヴィーリヤミのその場を圧する奇妙な影響力は、霧散した。


 
花紺青はなこんじょう。ありがとう。助かったよ」

 キアランは、休憩の際、花紺青はなこんじょうにそっと礼を述べた。

「え? なに? なんのこと?」

 きょとんとする花紺青はなこんじょう

「あのとき、間に入ってくれて――」

 まだ花紺青はなこんじょうはピンとこない。ちなみに、キアランと花紺青はなこんじょうの目の前では、皆の目につかないように木の陰に隠れつつ、ルーイが花紺青はなこんじょうの操る空飛ぶ板に乗せてもらっており、こっそり遊んでいた。約束通り板に乗せてもらい、ルーイは大変感激している。

「髪形の話で――」
 
 そこまで話して、ようやくなんのことか花紺青はなこんじょうは理解した。

「ああ! ほんとね、張り切っちゃって、かわいいおじちゃんだね! で、なんでキアランがお礼を言うの?」

 かわいい、だと……?

 花紺青はなこんじょうの言葉に、キアランの時が止まる。
 花紺青はなこんじょうが声をかけたのは、助け船ではなくただ率直な感想を述べただけだった。

「張り切りぶりがわかりやすくて、かわいいよね! で、なぜキアランが僕にお礼を?」

 かわいい、だと……? あれが……?

 キアランは、笑顔を浮かべたまま、凍り付いてしまった。その姿は、花紺青はなこんじょうにとどめの一言を放たれた、あのときのヴィーリヤミの姿とそっくりだった。

「ああ! 楽しかったー! ありがとー、花紺青はなこんじょう―!」

 板から降りたルーイが、礼を述べていた。

「どういたしましてー」

 板なだけに、どういたしまして……?

「あれ。キアラン。固まってる?」

 ルーイと花紺青はなこんじょうが、キアランの目の前で手を振ってみたが、しばらくキアランの体は凍り付いたままだった。

◆小説家になろう様、pixiv様、アルファポリス様、ツギクル様掲載作品◆

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?