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『勝手にふるえてろ』綿矢りさ

綿矢りさの『パッキパキ北京』はものすごく面白い小説でした。他の小説も読んでみようと思い、近くの本屋さんで買ってきました。

主人公の女性に片想いの男と彼女に好意を寄せる男がいる、ほぼ3人だけの狭い世界です。でもじつは二人だけかもしれません。彼女と彼女に好意を夜よせる通称『ニ』しかいない世界。彼女の片思いの男『イチ』は実在しないかもしれない、読み進めるとそう考えるほうがしっくりくると感じました。

でも私はイチがよかった。ニなんていらない、イチが欲しかった。
私のお星さまは、イチ。最後まで食べずに残しておいたお皿のうえのイチゴ、でもいま手に入れてすらいないうちに彼を失いつつある。告白してふられたか彼に彼女ができたとか彼に幻滅したわけではない、ただ恋が死んだ。ライフワーク化していた永遠に続きそうな片思いに賞味期限がきた。

文春文庫『勝手にふるえてろ』P11

彼女の妄想の中だけで生きているイチ。イチを『イチゴ』に例えているからであろうか、イチを忘れ去るために『賞味期限』という表現をあえて使っている。しかし、理想の男を簡単にあきらめきれない様子がひしひしと伝わってきます。『イチ』については良いことだけが思い浮かび、『ニ』に関しては悪いところばかりが目立ちます。実際、小説のなかの『ニ』は家父長制にどっぷりつかった、よくいる体育会系の男として描かれています。

しかし、これ小説のトリックなのかもしれません。

 ゆっくりと振り返る自分のイメージが頭に浮かぶ。ドラマや映画でよくある、女優の顔が先に振り返って一瞬遅れてから長い髪が顔に追いつく、例のあのスローモーションだ。私には長い髪も、振り向いたからと言って人が喜ぶような美貌もないのだけれど。私の前にいたのは背を向けた『イチ』、ふり返った先にいるのは顔をこわばらせて立ち尽くす、私の方を向いている『ニ』。私は歩みをとめ、つま先の向いた『ニ』の方向ヘ歩き出す。
 さあ私は、愛してもいない人を愛することはできるのか?ううん違う、私はいままでとは違う愛のかたちを受け止めることはできるのか?
 『絶対にうまくやる、絶対にうまくやるから、これからも愛して』
 肩のところが濡れて背広の色が変わっている霧島くんに抱きついた。
『霧島くん、ねえ、怒っているの』

文春文庫『勝手にふるえてろ』P174

妄想にどっぷりつかった主人公のヨタ話を、主人公のクズエピソードを笑いながら読んでいたのに。さいごのさいごでちょっと感動してしまった、『ニ』から『霧島くん』に変わるところで。

 現実の恋人なんだからこちらの希望通りには動いたり話したりしてはくれない。彼には自分のすきなしぐさや優しさを持っている可能性がある。これが希望なんだろう。



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