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ゴミ収集の日

 この地域のゴミ収集日は、燃えるゴミの日が火曜と金曜日。
朝8時までに、集積場所に置かないと収集してもらえない。
 出勤の途中、家を出る時にゴミ袋を一緒に持って出る。まあ理にかなっている。
 仕事を辞めた今、ゴミ袋を出しに行って、また家に戻る。依然、ゴミ出しは自分の役割のままとなっている。理にかなっていないように思う、が世界平和の為、文句は言わない。
 今日も、いつものようにゴミ袋を集積場所に持って行くと、近所の老婆がゴミ袋の一つを開けて何やらごそごそとしている。こちらに気づいたのか、急に止めてその場所から離れていく。
『何か間違って、大切な物をゴミ袋に捨てたのか』
と思った。
 また、別の日。同じような光景をみる。
『どうも、間違えて捨てたんじゃなく、何かを探しているのだろうか』
 以前、燃えるゴミの中に、燃えないゴミを入れていないか検査している輩、所謂ゴミポリスがいるとニュースにあった。しかし、それほどまでに正義感でやっている感じはしない。
 集積場所がその老婆の家の目の前にある。
他人が見ていると思ったら、直ぐに止めて家に入ってしまう。
一体何しているんだろう?顔を会わせば、ちゃんと挨拶もする普通の老婆だ。
ある日、なんとゴミ袋をそのままさげて、家に持って帰るのを見た。
「え~、ゴミを持って帰る?」
他人の捨てたゴミをどうするの?確かに、住所を書いた封筒とか、レシート、請求書や個人の秘密がないとは言えないが、見つけたとしても一体何にするの?
 あそこは貧乏そうな家だが、結構高い肉を食っているかとか、あの嫁さん若ぶりだが、結構歳だとか、様々な個人情報が見つからないとはいえない。捨てた時点でゴミの所有権は無くなっているので、文句は言えないような気がする。所有権が無いのに中を見るなと言えるのだろうか。 
 そう考えると、急に気持ち悪くなった。
 捨てるゴミを見られても、誰のものかわからないように自衛しておく必要があるのではないかと、それ以降、捨てるゴミには注意を払うようになった。

 同じく以前から、この老婆の行為に懸念を示していた奥様が、声をはずませて話しかけてくる。
「あの、あばあさんね、ゴミをあさっていたのは、ベルマークを集めていたらしいよ」
「ベルマーク?あの学校で皆で集めて、色々な備品に替えていたあのベルマーク?」
「そう、集めて小学校に持っていくんだって!」

なんと、小学生のために他人のゴミをあさっていたとは。
 ただ、もうちょっとやり方があるだろうにと思う。

 世の中には、本当に色々な人がいるもんだ。
表面だけで人を判断してはいけないと、ゴミ袋を見る度につくづく思う。

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