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私たちの苦しさは、「居場所の喪失」によって生じているのではないか

この記事では、
・将来に対する不安を抱いている人
・常に孤独感に苛まれている人
・期待外れの自分に幻滅している人
などの「生きるが苦しい」という人に向けて、私たち現代日本人が抱える苦痛の原因と解決策を解説します。

※2023年9月11日更新


私たちが苦しいのは、居場所を失ったから

集団から追い出された人


私たち現代日本人が抱える苦痛は、居場所の喪失によって生じています。

なぜそういえるのか。

それは私たちが日常で感じているあらゆる苦痛の原因を辿ると、居場所の喪失に繋がるからです。

私たちが感じる苦痛を列挙すると、次の通りです。

〈精神的苦痛〉

イタい/恥ずかしい/惨め/寂しい/死にたい/不安

〈肉体的苦痛〉

痛い/熱い/寒い/痒い/不味い/臭い/お腹が空いた/怠い/眠い/生活が苦しい

精神的苦痛と肉体的苦痛は、別の道を辿って居場所の喪失に遡及されます。

精神的苦痛の原因

精神的苦痛は、以下のように居場所の喪失と繋がります。

〈精神的苦痛〉

イタい/恥ずかしい/惨め/寂しい/死にたい/不安

本当の悩みを打ち明けられて、見返りなしで助けてくれる相手がいないから

居場所の喪失

人間には、群れの中に居ようとする習性があります。

これは人類が集団で狩猟採集を行っていた名残で、私たちは狩猟採集時代から体がほとんど進化していないために、本能的に群れの中に居るようになっています。

本能的な欲求なので、同じ集団にいる人々を信頼していない状態でも集団に依存し、追い出される可能性のある行動を慎むようになります。

とはいえ、何が同じ集団にいる人々の機嫌を損ねるか分かりません。なのでとりあえず目立つ行動を控えるようになります。これは個性を出さないことを意味します。

そして、ちょっとした拍子に個性が出て、それが集団に評価されなかった時に、「イタい」、「恥ずかしい」、「惨め」、「死にたい」と感じます。またその危険性を孕んでいるために「不安」で、本当の自分を出せないために集団にいながら「寂しい」のです。

肉体的苦痛の原因

肉体的苦痛は、以下のように居場所の喪失と繋がります。

〈肉体的苦痛〉

痛い/熱い/寒い/痒い/不味い/臭い/お腹が空いた/怠い/眠い/生活が苦しい

経済的な発展が不十分だから

財務省がプライマリーバランスの黒字化を目標にしているから

政治のミスを国民が追及しないから

国民が社会という共有財産の重要性を認識していないから

共有財産を身近に感じる機会が少ないから

居場所の喪失

人類社会は肉体的苦痛を遠ざけるために発展したといっても過言ではありま元々は

「寒い」だけを取っても、元々は毛皮を着ることしか解決方法がなかったのに、今やストーブやエアコン、また電力を賄うための発電所を作っています。それに伴い、寒さは和らいでいます。

未だに肉体的苦痛は残されていますが、文明の発展に伴って和らいでいることを考えると、いずれ限りなく0に近い状態にできるでしょう。

そして文明の発展には、経済の発展が必要不可欠です。エアコンを作るのにも、発電所を作るのにも、資金が要ります。

しかし、経済発展の指標である実質GDPを見ると、日本は先進国で唯一発展していません。

この原因は、政府が国政収支の黒字化を目標にしていることにあります。

国政収支とは、政府の持っている資金です。政府はこれを潤沢にするために税収を増やそうとしています。しかし、増税が行われると国民は生活費を抑えるために消費を減らそうとします。そして政府は消費税での税収を逆に減らすことになるのです。

本来なら税負担を減らすことで消費を促すべきなのですが、政府は手元のやりくりばかりに気を取られて、増税と消費の落ち込みの悪循環を繰り返しています。

日本は民主国家です。政治家は国民が選挙で選んだ国民の代表です。なのでこの政治の失敗=国民の失敗であるといえます。この「=」を私たちは失ったのです。自分の問題である政治が自分事ではなくなってしまったのです。

私たちが政治への関心を失ったのは、社会という共有財産に触れる機会を失ったからです。

私有財産よりも共有財産の方がずっと重要です。災害などで個人の自宅が損壊しても補助を受けてある程度生活を立て直すことができますが、発電所が破壊されると私たちの生活は途端に立ち行かなくなります。

社会とは、皆で守らなければならない生活の基盤なのです。

共有財産を獲得するためには、衝突が不可欠です。互いの欲求をぶつけ合うことで、「自分1人が喜ぶことだけじゃなく、皆も喜ぶことをしないといけないんだな」と倫理観が身につきます。この「皆も喜ぶこと」が共有財産になるのです。

共有財産を作って触れられるのは居場所だけです。よって居場所の喪失が肉体的苦痛の原因にもなっているといえるのです。

現代社会では居場所を作ることが難しい

値札をつけられ商品になった人間

ここまで、私たちが感じているあらゆる苦痛に対して、居場所が効果的であることを説明しました。

しかし、現代の日本で居場所を作ることは、かなり難しいといえます。
その理由は、資本主義というシステム自体にあります。

資本主義は便利。しかし居場所を破壊する性質がある

断っておくと、私はここから資本主義に対して批判的な言説をしますが、社会主義者や共産主義者ではありません。日本が資本主義国家でなければ、ここまで物質的に豊かな社会にならなかったでしょう。

しかし、資本主義を負の側面を含めて理解しておかなければ、上手く扱えないことも事実です。

資本主義には、物質的に豊かになり続ける。という特性があります。しかしこれは、あらゆる人間関係を生産者と消費者の関係に変えてしまう。という特性と表裏一体です。

物質的に豊かになり続けるということは、生産者が商品の希少価値を高め続けることを意味します。

商品の希少性は、新たな需要の開拓と既存の商品の高品質化によって向上します。つまり、生産者は競争によってあらゆるものを商品にし、そのクオリティを高めてゆくのです。消費者はその恩恵を受けられるので、物質的には豊かになり続けます。

この「あらゆる商品」には人間も含まれます。現代社会では基本的人権が保障されているので人身売買は行われませんが、労働が商品になります。労働者は労働を商品として雇用主に売るのです。

この関係は、生産者と消費者のそれと同じです。労働者は労働の生産者として、雇用主は労働の消費者として関わり合います。

労働が商品になると、相手が雇用主でなかったとしても、大抵の人間関係は生産者と消費者の関係になります。なぜなら、この社会は商品で満ち溢れ、それは労働によって作られているからです。

自分が商品を購入する場合は自分が消費者になり、その商品を生み出した全ての人が生産者になります。反対に労働する場合は自分が生産者になり、雇用主や客が消費者になります。

この段階ではまだ、あらゆる人間関係が生産者と消費者の関係になっているとはいえません。家族、恋人、友達の関係や、まだ社会に出ていない子供同士の関係は、商品を介さずとも繋がっているからです。

しかし、多くの人間関係が生産者と消費者の関係になると、やがて人間は家族、恋人、友達に対しても、あるいは子供であっても、生産者と消費者のどちらかの振る舞いしかできなくなります。

なぜなら、自分の労働の希少価値を高めることが存在意義になるからです。この考え方を言い換えると、次のようになります。

夢を持ち、競争に勝たなければ自分を肯定できない。

これは私たちが共通して持っている価値観ではないでしょうか。

もはや、自分と、自分の生産する労働に区別はなく、自分=自分の生産する労働となり、自分を商品として高く売ることが至上命題になります。

自分は商品なので、当然他者に弱みを見せることはしません。むしろ表面上だけでも美しくしようと躍起になります。

さらに、他者も商品になります。商品である他者は、コストパフォーマンスによって計測されます。すなわち「こいつと付き合っておけば見返りがある」という場合にのみ恋人や友達を持つようになります。

以上が、私たちが生産者と消費者の振る舞いしかできなくなった状態です。

こうなってしまうと、居場所を作ることは困難です。なぜなら、居場所とは先述の通り本当の悩みを打ち明けられて、見返りなしで助け合える人々の集団ことだからです。

生産者として美しい外面しか見せず、消費者として見返りを求めていては、居場所を作ることはできません。

つまり、居場所を作るためには、資本主義的な価値観から解放される状況を作ならければならないのです。

資本主義的な価値観からの解放

私たちが消費者と生産者の関係から脱却することは、果たして可能なのでしょうか?

正直、かなり難しいでしょう。なぜなら、資本主義的な価値観は世代を跨ぐごとに深く浸透するからです。

親は子供を育てる際、子供にコストパフォーマンスを度外視した愛情を注ごうとしますが、それは「将来苦労しないように」という理由から、子供の商品価値を高めるための教育として現れます。

商品価値を高めるための教育なので、親は子供が受験や習い事でいい成績を取ると褒め、悪い成績を取ると叱ります。これは子供に自分の価値=自分の行動に対する他者からの評価という価値観を植えつけます。

これは子供の商品化を意味します。親の無償(のつもり)の愛が、子供を生産者、そして消費者にするのです。

この連鎖は、現時点でかなり深刻化しています。資本主義的な価値観は深く浸透し、それから解放される状況は作りづらくなくなっています。

しかし、だからこそ私たちは手遅れになる前に居場所を作らなければなりません。

資本主義的な価値観が完全に浸透した状態では、居場所の必要性を感じることさえできなくなり、苦痛が当たり前になってしまいます。その前に、手を打たなければならないのです。

居場所を作るための具体的な方法

立ち上がり、進む

居場所は以下の2つの条件を揃えば作ることができます。

  • 長期間同じメンバーで過ごすこと

  • 監査役の第三者がいること

同じ人々と長く過せば、弱みを打ち明けられる程度には親しくなれます。また、互いの欲求が衝突することで、集団という共有財産を意識できるようになります。

一方、閉鎖的な空間では暴力や暴言による支配やいじめが起きやすいので、風通しの良い集団であることも重要です。

さて、ここからは居場所を作るための具体案を述べます。1つずつ別のページに書きますのでリンクをクリックしてください。(もちろん有料記事ではありません。)

〈具体案一覧〉
※随時更新します。

また私の提案する具体的な方法には、以下の典型的な現代日本人たちが登場します。

これらの人物たちを登場させる意図は、読者の共感を得やすいキャラクターたちが私の提案する具体案を体験することによって、読者の方々に実体験として具体案を捉えていただくためです。

それぞれの記事には、登場人物たちのプロフィールや同人小説なども記載していきますので、ぜひチェックしていただければと思います。

最後に、ここまで読んでいただきありがとうございました。今回書いた記事はあくまでも私見に基づくものであり、今後は客観的なデータに基づいた検証をする必要があります。「間違っている」と思われた方は、コメントでご指摘いただけると幸いです。


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