何をもって創作をするのか?【承認欲求vs金銭欲】

※この記事は随時更新される場合がございます。


前提として

皆さんSNSは好きですか?XにInstagram、はたまたYouTubeなども最近ではSNSに定義されるのではないでしょうか?言い方は様々ですが私はその中では二種類の人間が存在していると考えます。それは承認欲をベースとしているか金銭欲つまりお金儲けをベースとしてSNSをしているかという所です。皆さんはどちらのタイプでしょうか?
承認欲は外部からの評価などで満足する評価型もありますが、それ以外に自身の伝えたい!という情報を拡散する事に重きがある自己完結型などもこれだとします。金銭欲は何かの公式アカウントなどもそうなのですが、とにかく金の大小であれ利益になる様な行動しているものとします。
皆さんの結果はどうであれ、どちらも身の回りで言いふらしていると少し嫌な気分になる人もおおいのではないのかな、と思います。確かに俺に承認欲求をくれ!とか金をくれ!みたいな事言ってる人見たら申し訳ないんですが少し滑稽に見えてしまうのも確かです。ただ、公で言わなかったとしてもそれは何かを発信(創作)する上で指針となるような核なるぶぶんであり、重要な事ではないのではないかな…と思います。それは届けられる人の数によらずとも…

比較をしてみよう

とは言っても分かりませんよね、というかそういう事を考えて利用している人は少ないはず…という事で少し考えて、自身が思うメリットデメリットをまとめてみました。これは人それぞれであり失礼にもあたるかもしれませんが、それを加味して一読頂けると幸いです。

承認欲が主であるメリット

周りとのコミュニケーションが取れる!
周りが認められると周りでコミュニケーションを取れる機会が格段に増える事が多くなると考えます。私はある機会にプロダクトデザインについて専攻していた時に言われた事があります。「デザインで必要なのは何かの機能性などもあるがそれは技術者がやる問題であり我々デザイナーがやるべき問題ではない。重要なのはそれを購入した顧客が自慢できるかどうかだ!」と、まあ賛否別れると思いますが私は大体あってる気がします。現に何か食事をしに行った時。写真撮りますよね。少し奮発して高いアクセサリーを買った。身に着けますよね。そして口を揃えてこう言うはずです。「見て見て!これ良い
でしょ!」はい。この時点で第三者に声をかけてます。バリバリ人と話す材料にしてます。創作してたら違うでしょ。違うんだよ。創作も何か自身の良いと思った部分に関してアウトプットしている部分では何か話のタイトル的な部分で同じような気がします。絵をかいたらリプが飛んでくるので返信する。動画を公開したらコメントがついたので返す。返答しなくても相手に届いた時点でこれも立派なコミュニケーションなのではないかな、と私は感じます。

自己実現の可能性が増加する
これは人による話ではあるのですが先述のように人と話していると人よりも優れたい!と感じ始める傾向があります。現にこれらは自己肯定感として浸透していると思います。となると、人はより優れる様知識などを入れ始めます。特にファッションなどでは最新の流行を雑誌などを購読して学んだり、ゲームなどであれば攻略などを検索し、自分の頭に入れて応用するなど手段、目的などは様々であれ必ず存在していると思います。創作であれば”技術が分かる本!”や”【必至】トップクリエイターがやっている練習法10選!!”など多岐でしょう。これによりある一定期間内で目標が定められそしてそれについて自己鍛錬をする日が増えます。

承認欲が主であるデメリット

興味があったのでそれを行ったという場合などに関しては何もデメリットがそこまで露出して出る場合は少ないと言う事は前提としておきます。

金がかかる(換金性が薄い)
これは承認欲求が金銭欲と対峙していると定義しているからでもありますが極めて換金性、つまりそれをお金に換える事が難しいです。例えとなってしまうのですが「昨日パンケーキを食べに行ったんだー」と友人にから言われたとします。それに対して「よし、じゃあ1000円上げるね!」とはならないはずです。あっても親権関係がある場合くらいではないかと…これは何も創作に当たらない訳ではないと思います。一度何かを作って儲けようと考えた事のある人なら理解してくれる方がいると思いますが自分の作った物に対して正当な金銭評価(ここでは作業量×最低賃金を基準とします)を受ける事のなんと難しい事か。

時間がかかる
私は友人と何かとご飯に行く事があるのですがそのたびに思います。目的の店まで遠いいんだよ!!!!と、あれ愚痴かな。まあこれはまだ自分が興味があったから~ですませられましたが、(実際美味しかったし、)これがもしも自身の承認欲求ベースだった場合。私でさえせいぜい取れても10いいね程度。なのに膨らみ続ける出費と時間。私も一時期SNSを承認欲全開でやっていた事があるので分かりますが指数関数的にこれらは増加します。地獄です。人と話すのにも一回した話をずっとこすり続けるというのは心象悪いんじゃないのかなと…ネタ探しに明け暮れる日々、時間が取れなくなったので正直一気に溜め込む様になってから分かったのですが他者の評価を基準にするのは駄目ですね。これは創作にも言えるのではないでしょうか。描かないと評価されない。だからと言って粗悪な物を出すともっと評価されない。時間がべらぼうにかかってしょうがない。だからこそメリットでもある技術が成熟するのかもしれませんが、時間を天秤に考えるのは必要なのではないかと思います。

人間関係がややこしい
コミュニケーションが主になっていくという事はそれだけ他の人との意見の小競り合いが多くなる事にもなります。中には受け入れてそれらを受け流す事が出来る人がいる事は理解していますがそれだけが主ではないのではないと思います。誰かと関わる事があるのであればそれだけ誰かと問題が起きる可能性も強まる。その可能性を考慮する必要はある様に思います。

過激になっていく
これは昨今話題になっている奴だ!って思われそうですが人は過激な物を好む傾向があると思います。実際、「トイレしてみた!」と「便器に顔突っ込んでみた!」と言う二つのタイトルがあれば本能的に後者を選びたくなるんじゃないかな、と思います。別にそんな動画じみた事でなくても何か人と話していて、過激な事を言うと万人に受けやすいと言う事は結構経験してきました。ですがその分それが行き過ぎると好感度がマイナスになる事が存在します。これは本題にそれますが常に言われた人の気持ちに立って何事も発言、発信していきたいですね。

生活を健康でカバーしだす。
これは度が過ぎている人だけが陥りやすい罠でもある様な気もしますが時間がないと、お金がないとどんどんそれは生活を侵食し始めます。寝る時間を削る。安いからインスタントで料理を済ませる。悪循環に陥らない様に常にこの点は妥協点を見つけてそれ以上は行かない様にしたいですね。良い子は日をまたぐ前に寝るんだぞ。

金銭欲が主であるメリット

効率的な行動が出来る様になる
お金稼ぎとは単に何なのか?それはいかに大きな収益を短時間で出せるのか。と言う部分にあると思います。これは言い換えれば効率的と言えるのではないかと。費用対効果で物を測り損切り出来るのでその点では判断も直ぐに出来る。つまり空いた時間が出来、ほかの業務をする事が出来る。指標が出来る事により物事を客観的に見れるというのがあると思います。

他のサービスを使い恩恵が受けられる
全ては効率化と言う部分に集約されてしまうのですが例えば買い物に行く間に仕事が出来るとしたらどうでしょうか?学生であれば買い物に行く時間をアルバイトとして働く事に充てる。これの顕著な例として宅配業などが上げられると思います。もしも買い物に行く時間に宅配業者に頼むお金が稼げたらどうでしょうか?そうなると買い物に行くという行為自体が非効率的な物となってしまいます。人によると思いますが金銭欲が強い人はその様な割り切った考えをもって活動している人が多い様に思えます。創作においても同じ事が言えて他の人の作ったアセットなどを買いそれらを使って収益を得る。こういった循環が得られる訳です。

金銭欲が主であるデメリット

稼ぎ方次第では稼げなくなる
対外なのですがお金儲けをする事は承認を得るよりもいけない。悪だ!とおっしゃる方が多いように思います。ですがそれは曲解でありましてほとんどの場合その事例を見て見るとお金儲けの方法が下手だという事があります。法律や規則に違反している事は論外として倫理的な部分で世間的にやってはいけない事をしたなどと言う場合。例えばなのですが誰かが上げていた商用禁止のアセットを勝手に商用として使ってお金儲けをするなどそれらは多岐に及びます。話は少しそれてしまいますがブルーオーシャンと言う言葉があります。何か潜在的なまだ見ぬ需要がありそこに新しく物を作れば大金が稼げると言う物です。ただこれの罠としてまだ誰もやった事がない、又は浸透していないのには何かしらの理由がありそれが倫理的にいけない事である事があります。何か刷新した技術がない限り我々凡人が考える事は太古の昔に誰かが行っている場合が多いです。そのためにも世間、もしくはその市場内での倫理や風土などを知っておく必要はあると思います。

時には人を切り捨てる
前述している通りお金稼ぎは効率の社会だと感じています。そのため時には市場を捨てて稼げる市場に方向転換する事もあります。私はお金儲けを表立ってやった事はありませんが、私の友人にバイトを転々とし、時給だけでバイトを決める、そんな生活をしている人がいます。そして半年で扶養まで稼ぎきってしまいあとは悠々自適と過ごす生活をしています。そんな友人曰く、人が変わるのは慣れであり仕事でやっていると割り切る必要があると言っていました。私には分かりませんでしたが時には人間関係をも割り切り、生活する事が大切なのではないのかと思います。

一定数稼ぎ切ってしまうと満足してしまう
この世には限界効用逓減の法則と言うのがあり消費量に対して得られる満足と言うのが次第に減少してしまうがそれに伴って愛情は増加するというものがあります。つまり自身が稼いだ金額に対して生活で受けられる恩恵の満足度が減少するが愛情は普遍的でありいつかは物質的ではなく心の中で感じる物の方が人生が豊かになるというものです。そうなるとなぜ創作をするのか。その原点に帰ってみた際に何か作る事への自身への幸福感が薄い場合、それを辞めてしまう可能性が高くなってしまうのではないかと思います。

クオリティが落ちる
中にはクオリティを高くし、市場を狭め需要を挙げる代わりに金額も上げる方法がある事は知っています。価格の差別化や市場区分けなど言われていますよね、ですが即時に金銭を稼ぎたい場合これらは時間がかかりすぎる場合が大いにあります。そうなると低コストで安価な物を大量に裁く。これが最適解になります。当然その分クオリティも落ちるはずです。強いてはそれは自身の顧客が離れる危険性がありますし単に巨大化、廉価化には競合が現れる事は間違いありません。また単にクリエイターとしてみた際に自身のブランドに対して傷をつける事に対して理にかなっている様には見えないと感じてしまいます。

結論

この記事を書いていて思った事なのですが時間という基準をもとにしたときに効率的人間なのか人情的人間なのかと言う所なのではないかと思います。ただ別に金銭的な人が人情深くないとか人情的な人が効率的な事をしていないという訳ではないと思います。例えばなのですがこことここの部分は楽しくて譲れないから効率性を無視してやってみよう。でもこことここはしんどいから人情を吐き捨てて効率的にやろうと無意識的に考えて行動しているのではないかということです。それぞれの物事を始める際にこれは金銭的に得を得るためにするのかそれとも承認(コミュニケーション)の為にするのかを区別して生活できるとバランスの良い生活が出来るのではないかと思いました。

今後

実際にこの記事を書く為に様々な型にこの話をし、他の人からの意見を貰いました。ですが母体数が少なく偏った意見が多く流されてしまったのではないかと思います。もし出来る事があればここのコメントで自分がどちら派なのか?またここに無い理論がある場合は書いてくださると幸いです。個人的になのですが承認欲求だけで経済的な生活を自立させた方を知らないのでもしその様な方がいればどの様な事をしてきたのか事細かに聞いてみたい…以上です。

雑多

その他色々考えをまとめていく上で分かった事について書き記します。

二次創作で公式と軋轢があるのは何故なのか?

実はこの記事を書くきっかけは私の所属しているコミュニティ内で起きた公式と二次創作側での不一致により炎上した騒動がきっかけだったりします。

この記事を読んでくれた人だと薄々分かった人もいると思うのですが、金銭欲と承認欲はメリットとデメリットが相反しています。結論なのですが法人(お金を稼ぐ為の存在)と二次創作側(会話をする事に重きを置いた所)では考えが全く違う故に起きた事故であり、今後もこういう事は起きていくのではないかと思いました。ただこれも難しい問題でイメージとしてはクラスメイトと何か和気あいあいとしてるノリに先生が入って来たりすると冷めますよね、それと同じ…なのではないのかと思います。ただ先生によって対応もかわるのでそれはやはりそのコミュニティの文化をどれだけ理解出来ているのかどうかという所だと思います。これ自体は各所で今後も起きる事例ですし、過去にもそのような事例はあったのですが一つだけコミュニティの中にいる人の品位は大切だと言う事と好きと嫌いは紙一重であるから必ずしも好きだからと言って嫌いにならない可能性は0ではないという事を念頭に置いておきたいですね、これについてはまた何か話せる話題なので今後もしかしたら書くかもです。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?