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宗教や信仰についての雑記 #80

◯ダイバーシティ

近年、ダイバーシティということがよく言われるようになりました。
ダイバーシティとは多様性のことで、それを目指すべきもののように言われていますが、私には多様性とは元々は苦しみの根源のように思えます。

文化や考え方に多様性があるが故に対立や争いが生まれ、能力や才能に多様性があるが故に格差や抑圧が生まれ、それらによって様々な苦悩が生まれるのです。
そうであるからこそ、そこに「包摂」ということ(同化ではありません)が求められるのだと思います。

ですから人々に訴えかけるとき、ただ単にダイバーシティとだけ言うのは不十分で、ダイバーシティ・アンド・インクルージョンと言わなければないてしょう。
でもそこにはある困難が常に伴っています。

それは、多様性を持つということは、ある環境において生き残ったり優勢となったりするものはその一部だけだということです。
そして、その優勢であるものも環境が変われば、まその優位性はすぐに失われてしまう、そんな儚いものなのです。
また、どんな環境でも優勢になることなく、常に倹しい生き方をしなければならないものもいます。

たとえ社会的包摂がうまく機能したとしても、そのような困難あるいはデメリットが全くなくなることはないでしょう。そのデメリットをできるだけ少なくするためには、それなりの社会的コストを支払わなければなりません。
ダイバーシティ・アンド・インクルージョンを唱えるならば、その困難やコストの覚悟を持っていなければならないのだと思います。でも、その覚悟を持つにはどうしたらいいのでしょうか。

以前の投稿(#72)でも書きましたが、多様性には苦悩が伴い、その苦悩は存在の代償でもあります。でもその苦悩にはいつも、大いなるものの「願い」が寄り添っている、あるいは宿っている、そんなふうに思えれば心の支えになるのではないでしょうか。
死んでしまいたいと思うほどの重い苦悩にも、日々の些細な嫌なことにも、みな「願い」が宿っている、そんな希望あるいは信頼が、覚悟を持つことへの助けになるように思います。

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