『中上健次短編集』を読んで、中上健次の凄みを再確認する

中上健次の短編集が、岩波書店から2023年6月に刊行された。意外にも? 岩波では、中上作品の初の刊行ではないだろうか。

収録されているのは以下の作品である。

「隆男と美津子」/「十九歳の地図」/「眠りの日々」/「修験」/「穢土」/「蛇淫」/「楽土」/「ラプラタ綺譚」/「かげろう」/「重力の都」

しごくシンプルに、作品が書かれていた作家の時期と特性をまとめると、以下のように振り分けられるだろう。

⑴初期・・・「隆男と美津子」/「十九歳の地図」/「眠りの日々」

大江健三郎からの影響を受け、大江健三郎のエピゴーネンとまで揶揄されていたくらい、文体や主題への圧倒的な影響が見えていた。そのこと自体に中上自身ももがいていて、いかにその影響下から抜け出すかに苦心していた時期であったと思われる。「十九歳の地図」が、そこから抜け出すきっかけとなった作品になったと思われる。「十九歳の地図」「眠りの日々」によって、のちの、自身の故郷である紀州・新宮を舞台としたサーガへと連なるモチーフが現れはじめる。

⑵前期・・・「修験」/「穢土」/「蛇淫」/「楽土」

中上健次の特異性と傑出した才能が溢れ出たのは芥川賞を受賞した「岬」およびそのサーガ続編である「枯木灘」であろう。その「岬」や「枯木灘」に至るまでに書かれた短編作品群が「修験」や、映画化もされた「蛇淫」であるが、このあたりからいわば中上健次という作家の世界観が突出し始めるため、この時期をあえて<前期>と捉えたいと思う。

とりわけ私が個人的に影響を受けたのは、連作短編集『化粧(1978年 講談社)』であり、その『化粧』の中に、「修験」「穢土」「楽土」が収録されているのだが、私はぜひ「化粧」こそを読んでほしいと思う。
これらの作品群は、物語的なものと私小説的なものが、境界なく絡み合い、最終的には<物語>でも<私小説>でもない何かが立ち現れてくるのだが、この頃の中上の文章に触れた際の読書体験というものは、まがまがしいまでの言葉という物質が、その暴力性をむき出しにし、頭から叩きつけるようにして浴びせてくるというような感覚がある。それでいてその言葉自体には、少しでもこちらから触れれば壊れてしまうような繊細さと人間の脆さ、弱さのようなものが同居しているのである。

「自分の喉首のあたりにかたまっている言葉が、植物の茎の切れ目からにじみだす乳色の汁のように声となって出てくる」

「修験」より

「それから毎日毎日、酒ばかり飲んでいた。酒を飲んでうさを忘れた。百羽ほどの小鳥と彼と、花壇の草木だけが、いま在った。鳴き交っていた。彼は、立っていた。今日も小鳥たちに餌をやるために、酔い潰れて泊まり込んだ他人の部屋から戻ってきたのだった。アルコールが消えず、体がふらふらする。体の先から炎が立っている気がした。いや、光を受けて、自分が燃え上がっている気がした。眼が痛かった。花壇の緑の葉がゆらゆら燃え出している」

「楽土」より

「蛇淫」は、上記の短編群とは違うテイストの作品であり、上記の主人公が中上健次自身を書いているのに対し、「蛇淫」はのちの「軽蔑」にも見られるる、行き詰った男女二人の物語である。タイトルは、『雨月物語』の「蛇性の婬」から取られており、1974年に千葉の市原市で実際に起きた父母殺し事件からインスピレーションを受け、作品にしたのだという。中上の作品は聴覚に訴えてくるような言葉の選定が印象的だが、「蛇淫」は映画化もされたように、「視覚」に訴えかけてくる作品だ。

女は泣きもしなかった。平然としたものだった。蛇口につけた短く切った青いホースの先をつかみ、水を流しながら、粉石鹸をまき散らし、浴場のタイルをこすった。スカートをまくりあげ、かがみ、こするたびに女の髪は揺れる。

「蛇淫」より

「順ちゃん、どうしたん?」女は、言った。「順ちゃん、泣いとるん?」女は、訊いた。「順ちゃんが、泣いとるん?」女は、彼を見つめた。みつけだした母の二、三千円の価値しかない指輪を手に持ったまま、口をあけ、淫乱の炎が出ているという眼に、大滴の涙をふくれあがらせる。「順ちゃん、泣かんといてよお、泣かんといてよお」と、声をあげて泣く。家に火をつけ、二人を火葬にして、車で行けるところまで行き、汽車に乗り、天王寺にでも出ようと思う。

「蛇淫」より

⑶中期(全盛期)・・・「ラプラタ綺譚」

この中期は、中上健次の全盛期といってよいのではないだろうか。この『短編集』にはなぜか収録されていない、傑作短編集『熊野集(1984年 講談社)』、「ラプラタ奇譚」を収録する『千年の愉楽』、そして『岬』『枯木灘』に続く紀州・秋幸サーガ三部作の最後となる傑作長編『地の果て至上の時』と、濃密、かつ文学史上他に類を見ない作品群が登場する時期でもあるからだ。この頃の中上健次こそが、彼の文学史における立ち位置、評価をゆるぎないものにしているといってもよいのではないだろうか。
当時の文芸批評家である、柄谷行人、渡辺直己、四方田犬彦、作家の奥泉光、いとうせいこう、星野智幸らが、こぞって話題にしていた(今もしている)のがこの時期の作品群なのだ。

この時期の、中上の凄みや濃度を知るうえで、「ラプラタ綺譚」だけでは物足りなさは残る。『千年の愉楽』の他の作品と、『熊野集』の「不死」や「月と不死」「鴉」あたりもラインアップしてほしかったところである。

「ラプラタ奇譚」を収録する『千年の愉楽』は、本人も意識していたように、ガルシア・マルケスの『百年の孤独』に対抗して書かれたものである。「マルケスが100年なら、俺は1000年だ」と冗談みたいなことも発言していたようだ。

前期の頃の「蛇淫」や「楽土」における文体が、極力形容詞的なものや説明的な内容をそぎ落とし、物々しいまでに簡素な文章で、独特のリズムで小説世界を作り上げていたのに対し、この『千年の愉楽』あたりから、「繁茂する植物」「何千年にも渡って繋がっている血脈」のようなイメージで、言葉と言葉が執拗に紡がれ、句点を排するかのような連続した文章へと変化していき、初見では読みづらささえ覚えてしまうのだが、慣れてくると、その執拗な長さ自体が、言葉の悦楽だというような感覚になってくるから不思議である。

オリュウノオバは或る時こうも考えた。自分の一等好きな時季は春よりも生きとし生ける物、力のありったけを出して開ききり伸び切った夏、その夏よりも物の限度を知り、衰えが音もなしに量を増し幾つもの管が目づまりし色あせ、緑色なら銀色に、紅い花なら鉄色に変りはじめる秋、その秋よりも枯れ切った冬、その冬よりも芽ぶく春。オリュウノオバは時季ごとに裏山で鳴く鳥の声に耳を澄まし、自分が単に一人のオリュウではなく、無限に無数に移り変る時季そのものだと思っていた。

「ラプラタ奇譚」より

そして、この長文芸術の極みとして、後期の傑作短編『重力の都(1988年 新潮社)』へと続いていくのである。

⑷後期・・・「かげろう」/「重力の都」

「重力の都」は、中上自身が公言していたように、彼が最大に敬愛する作家のひとり「大谷崎」へのオマージュでもある。中上健次独特の、路地の世界、人物たちの中に、『春琴抄』でのモチーフになっていた、<盲目>と<刺青>という、谷崎潤一郎的な主題が重ねられ、比類なき美しさと淫靡さを持つ作品となっている。

私個人が、中上健次の作品史上、もっとも美しいと思われる冒頭と、ラストの文章がこれだ。

朝早く女が戸口に立ったまま日の光をあびて振り返って、空を駆けてきた神が畑の中ほどにある欅の木に降り立ったと言った。朝の寒気と隈取り濃く眩しい日の光のせいで女の張りつめた頬や眼元はこころもち紅く、由明(よしあき)が審(いぶ)かしげに見ているのを察したように笑を浮かべ、手足が痛んだから眠れず起きていたのだと言った。女は由明が黙ったままみつめるのに眼を伏せて戸口から身を離し、土間に立っていたので体の芯から冷え込んでしまったと由明のかたわらにもぐり込み、冷えた衣服の体を圧しつけてほら、と手を宙にかざしてみせた。

「重力の都」より

体を動かすたびに女は眠ったまま痛みに呻き、そのうちはっきりと愉悦のそれとわかる声になり、由明がその声に煽られるといつの間に目覚めたのか女はゆっくりと続けて欲しいと言った。由明が俺もそうだがおまえもつくづく好きものだとつぶやくと、女は外に雪が降りはじめたと背中にひびく声で言う。女の盲いた眼に眩く輝きながら落ちて来て何もかも白く埋めてしまう雪がはっきり見え、由明は女の声を耳にして雪の中に一人素裸で立っているような気がして身震いした。

「重力の都」より

中上健次の短編としては、このあたりがラストで、これ以降の晩年は、「路地の消失」が主要テーマになり、失われた路地を世界各地に求めるという<拡張>を意識した、未完の長編小説へと続いていくことになる。

中上健次は、どこかで現代の『太平記』を書きたいと言っていたように、書き続けること、「書き終わらせぬこと」を、意識し続けていた作家だといえる。中上健次の名を轟かせることになったのは、書くことや言葉に対する飽くなき希求、故郷である紀州を、熊野を、生まれ育った路地の歴史を、美談や神話のような「物語」として描くのではなく、あくまでも、物語をはみ出した存在としての人間への賛歌としての<非物語>への衝動によって書かれた長編小説にこそ、彼の文学世界の神髄があったと言えるのだが、これら短編群も、あくまで、便宜上の区切りにすぎず、すべて中上健次その人のサーガであったと捉えるならば、中上の短編群は、まさに一つのサーガとして、長編小説のようにして読むことをお勧めする。

その一つ一つの作品を取り上げて、局所的な部分のみを読むだけでは、中上健次の魅力はなかなか伝わらないのではないかとも、かつては懸念していただのだが、しかし、今回このような形で『短編集』という形をとって世に出たものを手に取り、改めて中上の作品を読み直してみると、月並みの言葉ではあるが、その一つ一つが珠玉の輝きを放つ作品として、目の前に立ち現れてくるのを考えると、中上健次の作品が持つ普遍性は、どこを切り取っても損なわれることはないのだろうと、改めて感じることができたのであった。


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