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あの日、私は魔法にかけられた。

「ごめんね」

それが、私の幼い頃からの口癖だった。

私は「ありがとう」よりも「ごめんね」「ごめんなさい」と口にすることの方が、ずっと多い子どもだった。
その言葉は呪いのように私を蝕んで、何もかも自分が悪いのだと思い込むようになってしまった。
人に何かして貰ったとき、相手の機嫌を損ねてしまったと感じるとき、誰かと普通に話しているとき、独り言の中でも、私はいつも謝っていた。

父によく怒鳴られたからかもしれない。学校でクラスメイトから陰口を言われることも多かったのもあるだろう。
いつからか忘れてしまったけれど、争いごとを避けたくて、心がそれ以上のダメージを負わないように、誰に、何に対しても「ごめんね」と言うようになった。
爪噛みをするようになったのも、同時期だと思う。

謝ってばかりで、一緒にいたクラスメイトや同級生に嫌な顔をされたり、良いように利用されたのも、1度や2度ではない。
母は「謝らなくていいよ」とよく言ってくれたけれど、それでも私の悪い癖が直ることはなかった。
寧ろ学年が上がるにつれて、悪化していたような気さえする。



そんな私を変えてくれたのは、高校時代に同じ塾に通っていた友人だ。

「縁(ゆかり)ってよく謝るよね」

彼とは塾から家までの道が同じで、何度か一緒に帰っていた。
数年前、そんな矢先のことだっだ。

正確な言葉は覚えていないけれど、そんな風なことを、彼は私に向けて放った。
突然の言葉に、私はとても動揺した。衝撃だった。今思えば、それは無意識に自分が気にしていたことを言い当てられたからなのだろう。

「そんなに謝らなくてもいいんじゃない?」

彼はよく周りを見ている人だった。2人のときに話してくれたのは、彼なりの優しさなのだろうと思う。

それ以降の会話は全く覚えていない。
「そうかな?教えてくれてありがとう」と返したのはなんとなく記憶にある。


ただ、何十回と歩いた塾から家までの道が、いつもより輝いていたのを覚えている。


***



それから、彼の言葉を受けて、私は少しずつ変わっていった。

「ごめんね」よりも、「ありがとう」を言うように心がけた。
できるだけ「私は悪くない」と思うようにした。
下を向いてばかりだったけど、相手の顔を見て話すようにした。


そうしたら、呪いの言葉から"祝福"になった。


「ありがとう」の気持ちを伝えたら、周りの人が喜んでくれることが増えた。
前よりもずっと笑顔になれて、自分の幸せを見つけられた。
性格も明るくなって、少し自分のことが好きになれた。
自分の意見も相手に言えるようになった。

あの日から私のすべてが、いい方向へ変わっていったのだ。



それ1年ほど経って、私は塾の小論文の授業で、練習問題がーーー覚えてないが恐らくーーー「私の気をつけていること」だった(はず)。
先生に発言するよう当てられたので、私はそこで、以前は癖で「ごめんね」を繰り返していたこと、代わりに「ありがとう」を口にするようにしていることを話した。
先生や他の同級生は「確かに前はよく言ってたね」「縁(ゆかり)ちゃん前よりイキイキしてるもんね」などとコメントしてくれた。


彼も同じ授業を取っていたので、そのとき私の話を聞いていた。
彼が何を言うかと緊張したが、

「ごめんねの言葉が減って、前より良くなったよね」

と一言だけ零した。



その後に彼と私の間に特別な出来事があったとか、小説のようにはならなかった(あったらnoteの題材になっただろうが、そもそも彼とは親しかった友人でしかないので)。

彼はあの日のことをもう覚えてはいないだろうし、恥ずかしいので私もその方がいいけれど。
あのときの彼の言葉に感謝していると言いそびれたことは、少し残念に思う。

それは、きっかけにしかすぎないのだろう。
彼の言葉がなくても私はいつか変わったかもしれない。だけど、あの日、あのとき、彼が言ってくれたから意味があるのだと、そう思いたい。


***


もちろん、謝る癖はまだ完全に抜けた訳ではない。10年以上経って私の中で染み付いたものはなかなか消えない。これからも悪癖の修正は続いていく。

それでも。
それでも、少しずつ。

明日は今日よりも良くなっていけたらいいな、そんな風に思う。


もしも過去の自分に会えるのなら、こう言ってあげたい。

「もう、謝らなくていいんだよ」


彼の言葉は、私に一生消えない魔法をかけたのだ。

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