生きろ vol.6
僕は発達障害だ。
あと統合失調症でもある。
そのためか、僕自身の詩が盛り上がるのが後半になるので
dtmの音源は長いものが多い。
しかしそれはdtmのプレースタイルにメンバーたちは違和感がある。
それというのも、もともとdtmはパンクバンドだった。
しかし、それこそ曲が良くても詩がなかなか評価されない。
そして僕は詩人として詩集を出そうとしていて、知り合いの製本所で
ヴォーカル・ベースの米原と何年かぶりに再会した。
もう10年は会っていなかった。
僕がクリニックのデイケアに通ってそのクリニックのグループホームに入っていたが、問題行動ばかりだったし、薬を飲めていなかったりで今は月一回の診察をしていて、そのデイケアの補充点みたいなところとして通っていたところに米原に出会っていた。
「おう、絵仁夢。まだ詩、書いてるんだ。やっぱり、まだ妄想恋愛詩書いてんの?」
「そうだけど。まだdtm、英語詞パンクなの? こないだ、出てたの新譜聴いたけど、お前のキャラじゃあそこまでが限界だろ。ちょうどいいたいこと
あったんだ。
「まさかお前、俺にお前の詩を歌えっていうんじゃないだろうな」
僕は思わずニヤッと笑ってしまった。
「でもなー」
米原は、自分だけではないし、同じタイミングで出していた、ポエトリーリーディングのレコードを聞いたことがあるゆえに苦渋の決断をするかもしれないかもの顔だった。
「まぁ、とりあえず他のメンバーと話し合ってみる」
そう言って名刺を出され、よく見ると、
「なになになに、自営でやってんの?」
クスリともしていなかったが、触れてほしくなかったのか。
名刺を渡された僕に「それを言うな」と言いたかったのか、
「いま編集中のデモのCDをやる。そっから一週間、時間やるから詩をつけろ。それがよかったら、専属にしてやる」
そう言って出ていく米原は、
「お前の詩、いいっていうのはわかってるし、それを詩集出すだけじゃ収まらないだろ」
照れ隠しなのか、こちらを見ず言う。
店長が、
「今日持ってきたやつかな。自信作って言ってた。君の来るの狙ってたみたいだよ」
そのテープといっしょにもらった封筒には、詳しくこうして欲しい的なものが書いてあり、まず彼らの原則、こうしてほしいという理屈がメンバー一人ひとりからの熱のある手紙だった。
その日から、一人部屋で3曲とはいえほとんど部屋を出ず、CDを聞き続け、一つ一つできた下書きの詩をパソコンで詩を打ちなおしてから、コンビニのコピー機で印刷したら500円かかった。
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