他人の視線が消えた世界 見えない世界のワンダーランド(6)

見えなくなった後の世界で、これはいいな、と私が思うことの一つは、
「世界から他人の視線が消えたこと」です。

視覚を失うと「人から見られている」ことを認識できなくなります。
認識できないものは、自分の見ている世界から消えてしまいます。その人の見ている世界はその人が受け取る感覚情報でできているからです。
そうして私の世界からは「他人の視線」が消えました。

私は見えなくなってしばらくしてから、「なんとなく、前より気が楽だな」
と感じることがよくありました。
でも、なぜそう思えるのかがずっとわかりませんでした。

やがて、それは自分が他人の視線を気にすることがなくなったからだ、と気づきました。

目が見えていると、たいていの人は他人の視線を結構意識していると思います。
実際にはそれほど人から見られていなくても、視線を意識することで自分の発言や行動を抑えてしまったりします。
目が見えていた時の私も人の視線を気にしていたように思います。

目が見えなくなってしまうと、他人の視線に気づくことがほとんどできなくなります。
でも、それは逆に言えば「他人の視線を意識することで自分を押さえてしまう」ことがなくなる、ということでもあります。

目が見えなくなってからの私は、人が集まる講座とかワークショップなどで、質問したり発言したりすることが見えていた時より増えました。
それはおそらく見えていた時には他人の視線を意識してすることをついためらってしまった発言や質問を自然にするよになった、ということなのでしょう。

私が見えなくなってからなんとなく気が楽だ、と感じるようになったのは、おそらくそれまで他人の視線を意識することで、自分で自分を押さえつけていたことから自由になったためだと思います。

それは、見栄えは良いけれどちょっと窮屈な服からゆったりした服に着替えた時にたいに、本来の自分でいられてリラックスできることと似ています。

もし、講義の後の質疑応答とか、ディスカッションをする時などで質問や発言がなかなか出ない時などは、部屋を暗くしたり、全員で目を閉じたりするようにしたら、質問や発言が増えるかも知れません(笑)。

同じ理由で、私は人前で話したりするような場面でもあまり緊張することがなくなりました。
先日も盲導犬シールと100名以上の人の前に立つ機会がありましたが、ほとんど緊張することはありませんでした。

まあ、実際にその時沢山の人の視線が向けられていたのは私ではなく、私のかたわらに寄り添っていた盲導犬シールだったと思いますけれど(笑)。

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