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クリエイティブであること

以前クリエイティブという言葉を聞くと、自分には無縁の世界かと思っていました。自分がクリエイティブなことをできないと思っていました。

けれども、クリエイティブであるということは誰しもが持っている創造的な活動であり、特定の人だけの行為・活動ではないということです。

これは理系・文系と人の頭を識別していることと同様なことだと思います。一定の訓練をすれば、誰しもが理系的な考え方はできることと同様です。

理系ではない人から見ると、理系的な思考はロジカルで自分には無縁と思い込んでいるだけではないでしょうか。

クリエイティブであること、理系頭脳もどちらも一定の訓練・活動をすることで自然と身についていくものであり、幻想であり、思い込みです。

ただ、私も以前は自分は理系ではないと思い込んでいました。大学受験の頃、数学・物理が苦手であり、一方歴史や国語は好きではあり、自分は理系ではないと思っていましたが、天邪鬼の性格から、苦手な理系を選択し、勉強には四苦八苦しながら化学系に進みました。

大学に入ってからも理系科目には苦手意識はありましたが、そのまま大学院も有機化学を専攻し、社会人になってからも化学系の会社のエンジニアとしてキャリアをスタートしました。

理系的な思考とは、何が問題かを言語化してロジカルで考えることとも言え、これは一定の訓練をすれば誰でも身につくことだと、身を持って体験しました。

また、その頃は自分はクリエイティブではないと勝手に思い込んでいましたが、ひょんなことからフランス・パリに住むことになりました。

パリに住んでからは美術館など足を運ぶこともあり、日本にいる頃よりはアートに関心を持つようになりました。

そして一番驚いたことは、フランス語学校に通っていたときにたくさんの知り合いが増えましたが、結構アートを勉強しにパリに来ている学生が多かったことです。

それまで理系を専攻をしていたので、アートとは無縁の生活をしていたので、クリエイティブな活動をする人は特殊な人たちがやることだと思い込んでいました。

けれども、アートを勉強している友人と普通に食事したり、話していると当たり前ではあるのですが、自分と何も変わらない、普通の人間なんだなと思いました。

そして、以前から写真は興味があり、簡単に撮れそうだなと思ったこともあり、パリの写真学校に通うことにしました。

全くの素人が写真学校に行くことで、自分は授業についていけるのか不安ではありましたが、写真のことばかりを考える日々を過ごし、卒業時には入学時に比べて、写真のレベルが大きく進歩しました。

写真もクリエイティブなことだと思っていますが、写真が上達したのも才能は関係なく、写真の勉強して、考えて、実際に撮りまくったことで上達できました。

そこまでやると、あークリエイティブなことは一部の人の行為ではなく、誰しもができることなんだと、思い込みの呪縛から解き放たれました。

話は長くなりましたが、要は人は何かしら思い込みに縛られており、幻想なんだということです。




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