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東日本大震災から11年目

この話は、これらの話も関連しているので、気になる方は読んでいただけると嬉しいです。


2022年4月23日、24日の宮城県石巻市での時間です。プロジェクトの振り返りと新しいプロジェクトの始まりの始まりです。

概要
旧北上川河口部復旧復興完成式典の様子
大変だった学識業務としてのプロジェクトの振り返り
参加者で共通認識を生むワークショップのはじめかた
プロと素人の目でみる空間
ナミイタ時間

約8年間、約8km区間のデザインに携わっていた旧北上川の堤防デザインの仕事が節目を迎えました。この堤防は国交省北上下流事務所および石巻市河川港湾課が主体となり、かわまちづくりを進めています。川湊の無堤だったまちに震災以後のさまざまな議論を経て、堤防をつくる決断をし、その堤防の完成式典が行われました。

当日は関係者で完成式典が行われ、「かわまちオープンパーク」という堤防の利活用のイベントが開かれ、ブルーインパルスも飛行した日でした。

ブルーインパルスを待ちながら、たくさんの人が訪れている出来上がった堤防空間

 完成式典では様々な関係者の祝辞の言葉が並ぶなか、10年くらいの付き合いになった石巻のまちづくり会社に勤める苅谷さんが最高に格好良いスピーチを放ってくださいました。もうひとかた、面識がないので写真はあげませんが、当時中学生で震災を経験し、大学・大学院では防災の研究をし、現在はコンサルタントで働く鈴木さんのスピーチも最高に格好良かったです。素敵な時間でした。

地域の声として話をする苅谷氏

正直、式典はかなり大人の会で、始まる前は誰が何のために集まっているのかよくわかっていませんでしたが、関係者100人くらいの人に向かって若い人二人が話す、“未来への語り”は最高に格好良く価値があることだと思いました。年輩者は過去を語る人が多いのだなとも感じました。
節目節目で、多様な人が集まり、こうした式を行うことで次への一歩をしっかり歩み出すことは大切なことなんだなと感じました。

ーこのプロジェクトと自身の活動についてー

8年前、東北大の助手に在籍していたため、学識者の一員として、26歳くらいから堤防整備8km区間(実際15km区間整備)に携わったこの経験は本当にかけがえのないものでした。月一回行われる私が担当したワーキングでは、親会議の下部組織として、主にデザインや細かい空間の納まりを実務的に話し合う会でした。余談ですが、学識者としての経験値が浅い時は、登校拒否を何度しようと考え、禿げるんじゃないかといつも思っていました。実際、白髪はこの時期増えていました。途中からは仲違いとも言わないけど、喧嘩の様な話し合いに感情を保ち(保てない時もありました)、大義を語り、整備の意味を語る。空間の必然性を言語化するのが私の役割だったと認識しています。

そんな長い整備なので、当然のように行政の人事異動が起こる。なぜか前の年にみんなで話し合ったのに、異動してきた人には「なぜ小林さんがやりたいことをやらないといけないのですか」と真顔で言われたりしました。「違いますよ、みんなと大事にしたいことを話し合って決めたんですよ」、と言っても、信じてもらえない時は本当に「嘘だろ」って思いました。2-3年で多くの人が入れ替わり、結果的に100人以上の人とご一緒する貴重な機会をいただきました。嘘だろ、に対する対処法はその後いくつか見つけました。ここではこのプロジェクトの私なりの分岐点となった二つの視点を紹介します。

プロジェクトを一気通貫して支えるのは、地域資源である。
数年して会議運営の話法として、たどり着いたのは、「主役は北上川」「馴染みある景色」をつくることに徹することでした。そのため、異動する人が多い時は年度の初回の自己紹介の際に写真付きで「馴染みのある川」を発表してもらい、会に参加している30名を超える人の馴染みある川の多様な価値観を共有してもらいました。「今から私たちが作るのは石巻市民にとっての馴染みある川です。今聞いたような多様な価値観を受け止める川をつくりましょう」と伝えてきました。時間はかかる自己紹介ですが、それぞれの個性が見えて、その後の会議が円滑になることを考えたら、全然大したことではありませんでした。ワーキング2年目で本当に辛い時期を経て、3年目でこの自己紹介を企画した結果、第一回の会議の夜の懇親会が、忘年会のような盛会だったのは本当に会議の運営の大切さを学んだ日でした。もう少し感情的にいうと、「今年はぜったい良い年になる」と感じました。実際良かったです。

もう一つ、この会は30-40名のプロフェッショナルが集まっているのだから、「間違いの少ない空間」をつくることに徹してきました。良い空間の定義は様々あると思いますが、この堤防は当たり前に数十年、数百年以上の時間、石巻の街中に存在することになる。北上川の明治の大改修から約100年。それ以来の大改修、河口部で見れば史上初の整備でした。最近全国様々な場所・地域へお散歩していますが、長く残るものは得てして、時代の必然、に強く、素朴に呼応しているように思います。そうした意味で、プロが沢山集まっているのだから、「素人の目とプロの目で見よう」と話してきました。行政の建前を話す人には、「個人的にはどう思いますか?」と良く聞いていました。「主観を話してから行政の建前を話す」ことも、ワーキング3-6年目くらいは徹底していたように思います。ワーキングの長い期間の中で、求められる検討期間が変わるなかで、常にどうやったら様々な視点で一つの形へ統合できるか、考えていました。

実際の会は一人でやっていたわけではなく、国交省の北上下流事務所や石巻市の河川港湾課のみなさま、業界の先輩であるプランニングネットワークの岡田一天さんや、建設環境研究所の松本さん、篠崎さん、設計管理CMrの方々、前述した100人を超える方に多大なご迷惑をかけつつつ、尽力しました。

石巻市での自分が携わった空間としては、この堤防に近接してできる噴水のある公園がまだ竣工しておらず、「終わったー」とは言えませんが、今後も石巻が大好きな一人として、通いたいと思っています。

ー4月24日石巻市雄勝半島波板へー

波板はナミイタ・ラボを立ち上げ、ずっと活動していた場所。

雄勝石が取れるこの地区で、新しいプロダクトを作ろうと思い、久しぶりに訪問しました。地区会長になった青木さんと素敵時間を過ごしました。

波板地区会会長の青木さん

波板の青木さんは、面識のある方には知れ渡っていますが、未来を語る大人です。行政ができないことに文句は言うけど、「じゃぁ行政に頼らず自分でやる」と言う姿勢は、自身の十和田湖での活動につながっています。十和田湖に来てくれた多くの友人となった人にも、青木さんに会って欲しいと思います。本当に格好良い大人です。

青木さんとの付き合いも、そろそろ、10年くらいになるのかな。コロナもありあまり面会出来ていませんでしたが、元気な姿を見せてくれました。産廃となる素材と、既存の商品の転用したプロダクトについては、概要が見えた、別の機会にご紹介します。

2022年4月23,24日はかけがえのない、変わりのない思い出に残る時間を過ごさせてもらいました。

ー最後に、ご本人の許可を得て、完成式典での「地域の声」の祝辞を転載します。本人の声は文字で見るより、ゆっくりと力強い言葉でしたー

本日、旧北上川復旧・復興事業 堤防締切式を無事迎えられましたこと、心よりお祝い申し上げます。国土交通省 東北地方整備局 北上川下流河川事務所、宮城県、石巻市をはじめ関係部局の皆様方におかれましては、東日本大震災以降、昼夜を分かたず石巻市の復旧・復興事業にご尽力いただき、本当にありがとうございます。

 私たちの街、石巻市はこの度の大震災により大きな被害を受けました。特に、中心市街地は北上川を遡上し川からあふれた津波によって尊い命、多くの財産を失いました。石巻は、古くより北上川とともに発展してきた湊町です。川は、私たち石巻市民にとってまさにアイデンティと言える、かけがえのない大切な資源であり、いつ何時も雄大に受け入れてくれる心の拠り所でした。その母なる川・北上川がこれほどまでに大きな牙を剥き襲いかかったことに、私たちは自然の猛威を感じずにはいられません。

 震災後、中心市街地では以前から起こっていた空洞化に拍車がかかり、空き地や空き店舗が多く生まれました。被災された方々からは、「本当にここで商売を再開できるのか?」「ここに住んでも安全なのか?」「津波が来ない郊外へ移転した方がいいのではないか?」などの声が挙げられました。震災直後、地域の人々は侃侃諤諤の議論を何日も繰り返しました。しかしながら、「再びこの地で復活の狼煙を上げよう」という決断に多くの時間はかかりませんでした。その決断を支えたもの、それこそが「母なる川・北上川」です。「なぜ、まちを再生させるのか?」「どうやってまちに賑わいを取り戻し、後世に胸を張ってまちの記憶、震災の教訓を伝えることができるのか?」これらの問いに答えるには、北上川とともまちづくりを進めること以外に道はありませんでした。そして、自然の猛威を謙虚に受け止め、永年に渡り注がれてきた恵みに感謝し、まちづくりを進めていく方法を、行政とともに一緒になって考えてまいりました。

中心市街地を含む中央地区では、海抜高さ4.5mの河川堤防が整備されることが2011年のうちに決まりました。その時より、川と一体となったまちづくりを実現する方法について、北上川下流河川事務所はじめ行政職員のみなさま、大学の先生方とともに考えて参りました。そして生まれたのが、現在のいしのまき元気いちば前の堤防一体空間です。整備された堤防は、隣接する建物の2階と繋がっており、食事をしながら中瀬や川の河口、日和山を望むことができます。本当に素晴らしい景色です。

また、堤防一体空間は広場のようにもなっており、一昨年度より社会実験として、夏場は音楽ライブや石ノ森萬画館をスクリーンにした映画上映会、秋は釣り大会や星空天体観測会といったように、かわべを楽しむイベントを地域の方々とともに実践しています。本日も、カヌー体験や子どもの遊び場といった企画が行われています。

全ての河川堤防が完成した現在、水辺のプロムードとして河口から上流までを歩き楽しむことができるようになりました。市民マラソンをしたらどうか、街めぐりツアーのルートとしてはどうか、アイデアは尽きません。しかしながら、この新しく生まれた石巻の風景が、多くの市民に知れ渡っているかというと、そうではありません。まちは、そこに住む人々がその場所を使い、愛し、守り続けていくことで初めて賑わいが生まれ、後世に引き継がれていきます。石巻の魅力が凝縮されたこの場所を、自然の恵みと先人たちの営みへの感謝を忘れず、そして、堤防が完成したからといって自然の脅威から完全に守られるという慢心を決して持つことなく、日々の防災活動に努め、私たち市民が自分たちの手で誇りある場所として育て、未来の子どもたちに引き継いでいくことをここに誓い、地元の言葉とさせていただきます。


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