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#46 NZに来て5ヶ月

こんにちは、黒です。ニュージーランドのオークランドに来てから5ヶ月経過しました。実は今月、色々な展開がありました。今回はその部分を中心に話していけたらと思います。





仲良い職場の子が日本に帰国

黒の職場の子で、高校、大学をNZで過ごし、今年日本の大手会社に就職が決まって帰国する子がいました。英語が堪能で、職場の仕事内容や英語の内容もその子に教わって成長することができました。

とても仲良くなったので、離れてしまうことは残念ですが、また日本でも会う約束をしているほど仲良くなれました(年の差結構ありますが笑)。日本での活躍を期待し、また会える日までの楽しみが出来ました。


初CASINOに挑戦

そんな上記の上の子ともう一人仲良い子を誘って仕事終わりにカジノに行きました。2人とも大学生で黒だけが悪い社会人のような構図になってしまいましたが、ポーカーの成果を見るため挑戦しました。

2人はルーレットで、黒はルーレットとアルティメットテキサスホールデムに挑戦しました。ポーカーの結果は2勝1敗でした。

初回、2,7という最弱の手が来ましたが、なんとストレートが揃い勝利。2回目はエースハイで相手のワンペアに負け。3回目はワンペア同士の戦いでエースのワンペアが来て勝ちました。

そこで稼いだ額をルーレットで2倍にして終了。結果は+65ドルでした。大学生の2人は+40、+130と皆で勝利しました。しかし、依存の観点から見ると本当にギャンブル依存症って怖いと思いました。

無くしても良い金額でやって、増やす上限を決めてやっていたので良かったです。ポーカーは引き続き趣味程度に極めて遊びたいですね。今度は対人戦もやりたいです。

黒は負けず嫌いなので、絶対に勝って終わりたいと思っていました。ルーレットのある台が66%で赤が出ていたので、勝ちやすいGAMEを選択したのが良かったのだと思います。

大数の法則で、普通は49%に収束するのに、66%って2/3で勝てるやん!と思ってその台で勝負してました。ポーカーも勉強すれば勝率は少し上げられます。勉強って大事だなと思いました(白目)。

ただ、日本に帰国するその子は最後に手持ちのチップを全てかけて勝負しました。大きな勝負をしなければ勝つことも負けることもないけど、勝負をすることで大きな勝利を手に入れられるのも事実だよなと思いました。

負けを覚悟でも勝負をした方が良い場面が人生では複数あります。この心持ちは大事だと改めて思いました。


家賃の値上がり通告

こちらは契約する際に聞いていたのですが、上がるとしても年1回で、契約するちょっと前に上がったから今後1年くらいはないだろうと言われていました。

しかし、今回、4月から全体の週のレントが25ドル上がることになりました。ですので1人あたり25ドル、月で100ドル上がることになるので、これはどうするかシェアして暮らしている友達と相談しました。

流石に最低賃金も上がるとはいえ、このタイミングでしか上げられないのと、CBDのど真ん中だったので強気に出たなと思いました。ちなみに、今オークランドの地価はかなり上昇しているようです。

話を戻すと、友達と相談した結果、この機会だし、100ドル上がるのはきついので他の物件も見ることになりました。他の物件も以前より家賃相場が上がっているようでした。

この決定を家主に伝えると、家主も僕たちと過ごすのが心地よいらしく、出来れば出て行かないでほしいと言われ、条件面を相談することにしました。正直、225ドルでもシティのど真ん中なので破格の安さです。

ただ、自分的には、フルタイムで仕事をしているわけではなかったので月100上がるのはきついのと、家主も2人出て行ったら損失が大きいので交渉はこちらが有利に進められそうでした。

当初は225→220+お米使い放題という条件で話し合いが進んでいましたが、こちらが強気で出たので、最終的に215+家主のお店の賄いを貰うという所に着地しました。当初より家賃も抑えられて賄いも付くので結果オーライかなという感じです。

ですが、せっかくなので何件か家の見学を申し込みました。相場がどんな感じか、自分達が恵まれている環境を改めて知ることもできるので様子を見ていきたいと思います。

あ、家主さんとは仲が良く、特に不満もないので感謝しかないですが、今回は固定費に関わることなので交渉しました。それでも自分達といると居心地が良いと仰ってくれたので残ることは善処したという感じです。


5ヶ月経って

友達からナイトマーケットの手伝う人が足りなくて、1回だけ黒が参加できないかのお話がありました。ナイトマーケットの設営側は初めてだったし、1回だけなら良い経験になると思い承諾しました。

当日、普段のバイトを終えてから、CBD→Pakurangaへ。そしてレジの仕事を当日に行き当たりばったりで覚えてこなしました。カツサンドや、カツカレーを売り、マオリの体つきの大きい人が買っていくことが多かったです。

また、商品として売っている飲み物は自由に貰えたり、カツサンドやカツ丼、日本米や材料の残りなども最終的に貰えました。初の賄いです。近くの露店から綿あめやタルトを貰ったりして人が温かいなと感じました。

日本円で6時間で13500円くらい次の日に振込で貰えました。仕事は大変だったけど、時給換算するとこっちはすごいなと感じました。飲食の大変さを経験できて、飲食関係のお仕事をされている人には尊敬しかないです。

駐車場でナイトマーケット。


伯父からの連絡

タイトルの通り、伯父から母、そして黒に連絡が来ました。祖父が透析を始めたから元気なうちに会いに行くことをおススメします。という内容でした。

黒のワーホリが決まった時、幸せなことに伝えた人で否定の言葉をかけてくる人は居ませんでした。ただし、伯父や祖父には伝えていませんでした。大手の会社を辞めたことも伝えていません。

祖父は大正生まれの人で、ギリギリ戦争なども経験しているので、日本に誇りを持っています。それ自体は良いのですが、外国に良い印象は持っていないようでした。

なので、ワーホリに行くということは大手の会社を辞めて外国に行くということになるので、そこの部分を正直に話そうという気はありませんでした。黒にとっては、1年何の連絡もなく終わってくれれば良いなと思っていたのでまさかの連絡でした。

帰国する予定はだいぶ先になるし、もちろん心配もしているので帰ったら顔を出しには行こうと思っています。だけど、このタイミングでなのかと思った自分もいました。

透析をするということは生存率は上がるはずなので、何かあることはまだないかと思いますが、同時にこういう縛りがあるのであれば、いつまでもワーホリに行けなかったなとも思いました

ワーホリには彼氏彼女と別れて、祖父母がいつ亡くなるか分からないけど、新卒の会社を辞めて、大学を休学して、日本から脱出するために、ギリホリだけど最後の挑戦で…etc色々な覚悟を背負って来ている人もいます

だからこそ、よほどのことがない限りはすぐに帰らないつもりです。これが僕の覚悟だからです。前向きに考えます。僕が帰るまでに祖父は元気でいるはずなのでそれまで僕も精一杯ワーホリを楽しみます

まとめ

今回は5ヶ月のまとめでした。暑い日が続いていますが、夜は冷える日も増えてきました。色々なことがあり濃い1ヶ月でした。そろそろ帰国した時のことや、その手前の計画も準備しないとなと思っています。

お金を稼ぎに行く人、語学を学びに行く人、世界を知りに行く人、色々な人が安心して損をしないワーホリに行けるようにこれからも記事を更新していけたらと思います。


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