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第四回 『鼓』

京都芸術大学 2023年度 公開連続講座


第四回 「鼓」

第四回は「鼓」の講義。講師の大倉源次郎さんからお話を伺うまで、鼓という楽器について、私はよく知りませんでした。
日本の芸能、例えば、能や歌舞伎でよく目にする鼓。
「お囃子」とよばれるように、鼓はいつも舞台を囃す、引き立てるという役目を担っているため、私たちは、つい、舞台の真ん中で舞っている人に目が行きがちです。が、鼓のお話を聞き、音を聴き、たしかに鼓は舞台に立つすべての人と作品、観劇者である私たちを鼓舞する楽器だと感じました。

大倉源次郎さんは能楽専門の囃子方です。
囃子方は舞台に向かって右から「謡、笛、小鼓、大鼓、太鼓」と並び、これは「声、口、肩、膝、地」の順になっています。そのうち、謡と笛が「風」、小鼓、大鼓、太鼓が「水」を表しているそうです。
源次郎さんは、能楽が神代から今まで、時空を超えて伝わるのは、そこに「風と水」という大自然の表現が込められているからではないかとおっしゃいました。

鼓は、胴と革が別々になっています。鼓をじっくり鑑賞することも、いつも橙色の太い紐で隠れている胴そのものを、それだけで拝見することも初めてでした。
漆の光沢の中に金色の花や鳥や、草木が描かれているその胴は、長い時を背負い、大切にされてきた「宝物ほうもつ」の呼び名にふさわしい気配を帯びています。
紐が解かれ、革が外され、後に残された胴の姿は、全くあわれなものでも寒々しいものでも無く、それだけで十分に輝きを放つものでした。

胴の蒔絵に描かれたもののひとつに「たんぽぽ」があります。源次郎さん曰く、春先にかわいらしく咲き、やがて綿帽子になってどこへでも飛んでゆくたんぽぽは、たどり着いた別の地でも同じようにかわいらしく咲き、人々に愛されるという点で、藝人に好まれました。よく、たんぽぽと一緒に描かれる「雪輪」は、はかなく消える「芸そのもの」であるそうです。

鼓の革は「表」の革(打つ方)と「裏」の革(響かせる方)で厚みや張りが違っており、革の新旧や、また、雨の日、晴れの日、雨の後の晴れの日など、その日その日の天候に影響されて革の張りが変わります。
このお話で、私が面白く思ったのは、その日の鼓の調子に合わせて、奏者も演奏の調子を変えざるを得ないということです。そこで無意識のうちに、大自然、もの、人間の調子が合い、調和が生まれているのではないでしょうか。これは、他の楽器にも、他の仕事にも通じることかもしれません。

鼓の演奏をする前、奏者は響かせる方の革に「調子紙」という紙を唾で濡らして貼りつけます。すると、調子紙を貼る前の音に比べ、深みが増すことに気がつきます。が、私が驚いたのはその後でした。源次郎さんが「打つ方」の革に息をはあっと吹きかけると、もっとふくよかな、豊穣な、生きた良い音が鳴りわたったのです。
鼓に命が吹き込まれた、まさにその瞬間を目撃してしまった、そんな思いがしました。

源次郎さんは、袴をしゅっと鳴らして舞台にお座りになりました。ひとつ呼吸をおき、鼓を肩にのせ、そして掛け声とともに鼓を打ち始められました。

演奏されている曲が一体どのような物語を持つのか、私は知りませんでした。謡も他の楽器の演奏もないため、物語の背景を感じることすら難しく思われました。

勢いよく掛け声が掛かるたび、鼓の音が鳴るたびに、私たちの手には追えぬような何かが呼びこまれ、誘い込まれて現れるような、ある種、異様な空間が生まれます。
その「何か」は、能楽堂の橋掛りから現れるのかもしれませんし、はたまた、天から降りてくるものかもしれません。
荘厳な盛り上がりを感じさせるその演奏に、「神の依代」と呼ぶにふさわしい空間が忽然と現れてくる、そんな気配を感じました。

演奏後、先に披露された曲が「翁」という曲の一部であったことを聞きました。
「翁」は起源や謡の言葉の意味が謎に包まれている、不思議な演目、能の曲目の中でも特別な存在で、その発展は五穀豊穣や天下泰平への祈りとともににあったといいます。
伝統的なものには、必ず自分達よりも大きな存在への祈りの姿があり、その姿や音は私たち人間が自然のなかの小さな存在であることを教えてくれます。長いお能の番組のなかで、最初に「翁」が演じられることにも、その祈りや祝いの心が感じられます。

源次郎さんは音を出してしまう前に気持ちを込める、日本の芸術は何もしない「間」、そこに心が込められているとおっしゃいました。鼓は、その「間」に込められた人々の想いを、天に地に届ける楽器なのかもしれません。

前々回の「琵琶」や、昨年の講義にあった「三味線」などは、その楽器単体の演奏だけでも作品が完成するものでした。けれども、鼓はその演奏だけで作品を完成させるものではなく、舞台や作品の引き立て役に徹し、舞台をよりよいものへと導く楽器で、他を生かしてこそ生きる、そんな楽器なのではないかと思います。


能舞台で、さまざまな音や色、動きと混じりあって躍動する鼓の音。
そして、その音を奏でる囃子方が引き立てる作品を味わうことが楽しみです。

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