インストラクターの妙術③


色黒の男と大男に続き、今度は、やや年嵩で細身の女性が静かに進み出て言いました。


「先生の仰るように、旺盛な体力や気勢で馬を圧倒しようとしても、
そういうわかりやすいものというのはこちらの意図を見透かされて、逃げられたり反抗されたりしてしまいやすいものですし、
そういうものは自負や自慢といった、自分へのこだわりを作ってしまいます。

自分へのこだわりがあれば、それがたとえわずかであっても、そこから破綻を生ずるきっかけとなってしまうものです。

そこで私は、心を練ることに努め、
力や嚇しによって制圧するのではなく、
相手に添うことによって勝負を己のものとする
「心法」を長年修練してきました。

気勢を表さず、無理に馬と争わず、
相手が強く出てくる時には、それに調和して彼の動きに添うようにするのです。

私の術を譬えるならば、柔和な布の幕で、石礫(つぶて)の勢いを吸収して受けとめるようなものです。

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気性の激しい馬でも、こうすれば、こちらに対して敵対する手がかりを失わせ、簡単に服従させられるのです。

ところが、今日の馬は、剛強な力や気勢にも挫けないばかりか、私の柔和な心法でも全く敵いませんでした。

このような馬にはいまだかつて出会ったことがありません。」


老人は答えました。

「あなたの言うところの『和』は、自然の和ではない。

意識的に和そう合わせようとするものであって、それをもって敵の狙いを外そうとしても、その作意は、わずかであっても敏感な相手には悟られるものである。

そうした下心があれば気も濁ってしまう。

私心が自然の感覚を塞いでしまい、自然の妙法、自然の働きは生まれてこない。

真に自然の妙法を得ようとするならば、一切の思念願望を捨て、ただその場に身を任せ、身体が動くのに任せることだ。

それができれば、こだわりがなくなって気配も消える。
自分へのこだわりがなくなれば、自然と敵はいなくなるのだ。」


老人の言葉に、女性は、小さな子どもなどが理屈を教わらなくても遊んでいるうちにひとりでにコツをつかんで、あっという間に上手になる様子を思い浮かべました。

彼らにそれが可能なのは、身体の柔らかさや思い切りの良さなどのせいばかりでなく、何よりも、思考を介さず身体の感覚で理解し、自然に身体を動かしているというところが大きいということに気づいたのです。

そして、それこそが実は達人の境地そのものなのだろう、と得心したのでした。


つづく









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