見出し画像

漂流教室 No.62 「『源氏物語』から「お馬さん」」

以前の同僚、ryouちゃんからお電話。
彼女はいま大阪で学習関係の会社で働いているとのことです。

「小学生対象なんですけど、ブロックを組み立ててロボットを作るんです。
そうして、プログラミングを学んでいくんです。」

ほう、世の中は進んでますなあ!
小学生がロボットを組み立ててプログラミングですか!

「先生の塾でやってみません?」

え?
小学生?
プログラム?

いづれも私にとっては未知の領域。

ryouちゃん、ごめん。
さすがにそこまで手を広げる余裕がございません。

でも、久しぶりにお声を聴けて良かった。
こちらに帰ってきたときはお顔を見せてください。

さて、お久しぶりの『源氏物語』。
前回(いったいいつのことやら・・・)と少しかぶるのですが、こちらをご覧ください。

またある時には、え避らぬ馬道の戸を鎖しこめ、こなたかなた、心を合はせて、はしたなめわづらはせたまふ時も多かり。事にふれて、数知らず苦しきことのみまされば、いといたう思ひわびたるを、いとどあはれと御覧して、後涼殿にもとよりさぶらひたまふ更衣の曹司を、ほかに移させたまひて、上局に賜はす。その恨みましてやらむ方なし。

またある時には、あちらとこちらで心を合わせて、避けては通れない馬道の戸を閉じて、辱め苦しめなさることも幾度もあった。折に触れて、数知らず苦しいことばかり増えるので、たいそうつらい思いをしていたのを、たいそうあわれと帝がご覧になって、後涼殿にもとからお控えなさっていた更衣のお部屋を、ほかに移させなさって、この更衣の控えの間としてお与えになる。追放された更衣の恨みは、ましてどこにやりようもない。
(訳・・・私)

桐壺更衣が帝のもとを訪れるのが悔しくてならない。
そんな女御や更衣の方々は桐壺更衣の移動を阻止しようとする。

廊下に怪しからぬもの(私の「漂流教室」No.56と57をお読みください)をまき散らしたのですが、こんな嫌がらせもやっています。

馬道の戸をしめちゃう。

「馬道」とは?
まずこれは「めどう」と読みます。
「ばどう」ではございません。

平安時代の宮中にはたくさんの建物がありました。
天皇さんが普段お住いの建物が「清涼殿」。
その北側に奥方たちが住む建物があります。
これらを渡り廊下でつなぐんですが、これが「馬道」です。

渡り廊下とはいっても、地面に板を敷いただけのいわば簡易通路みたいなもの。
板を取っ払えばただの地面。
お馬さんが通れます。
だから「馬道」。

当然、屋外ということになります。

桐壺更衣とお供の方々が馬道に出たところを見計らって、
あっちとこっちでドアを閉めちゃう。

気候の良い時ならまだしも、
冬や雨風の時はたまったもんじゃない。
ひどいいじめ方です。

さて、ところで平安時代ってそんなにお馬さんが宮中に出入りしていたのか?
というと、どうやら出入りしていたようです。
荷物の運搬なんかにはどうしても欠かせない。
それに平安貴族はけっこうみなさん乗馬をしていたようです。

例えばこんな方がいらっしゃいました。
花山(かさん、かざんとも)天皇。
歴代天皇の中でもなかなかユニークなお方だったようですが、
この方、やたら若くして即位なさった。
十七歳です。
満年齢なら十六かな?
まあ、いろいろとけったいなことを思いついて、やりたがる年ごろ。

で、思いついたのが、屋内乗馬。
「朝餉(あさがれい)の間」というところで、お馬さんに乗ったとか乗らなかったとか。
朝餉というからには朝食をとる部屋ですね。つまり食堂。

この方はいろんなエピソードをお持ちです。
また機会を改めてご紹介したいなあ。

この天皇さん、今度の大河ドラマに出てきます。
そう「光る君へ」です。
演じるのは本郷奏多さん。
花山天皇のけったいさをどう表現するのか?楽しみです。

楽しみと言えば、ドラマには「藤原義懐(よしちか)」や
「忯子(しし?きし?ドラマではよしこ)」も登場するということで、
非常に楽しみ。

そりゃいったい誰だ?とおっしゃいますか。
なるほどちょいとマイナーな方々ですね。
ではこちらも追い追いご紹介を。

次の投稿はいつになるかなあ。
今回はひと月半ほどさぼってたからなあ。
いやいや年明けには投稿しよう。

業務連絡
共通テストが済んだら、国公立二次試験の添削指導しますよ。
もちろん国語ね。
小論文対策もやります。
石川県立看護大なら毎年のように指導しました。
E判定からの逆転合格!なんてこともありました。
小松市役所裏「ひふみ塾」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?