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第十一章 祭ばやしが聞こえる街で"極道の店"に…(前編)

この物語はフィクションです。登場する団体、名称、人物等は実在のものとは関係ありません。


赤線とはー
性風俗の混乱を恐れた国が慰安所として許可を出した特殊飲食店街。半ば公認で売春が行われ、警察の地図に赤い線で囲ったため、赤線と呼ばれた。ー


―久留米―

 鹿児島駅から急行「きりしま」に揺られて六時間半、夕方には久留米駅に着いた。久留米の赤線街で決行することは昨夜のうちに決めておいた。
 熊本でやろうか、とも思ったが逃げる時に九州圏は早く脱出したほうが安全だと思った。追われる身としては早く関門トンネルを渡り、本州に逃げたい。かといって関門トンネルに近い博多は既に「白鳥」という店の主人たちを騙して、お尋ね者になっているはずだ。
 浜やんはあれこれ考え、鹿児島本線の熊本と博多の間にある久留米で決行することにした。

 ♪ピーピー、ピーヒャラリ

 遠くから祭りばやしが聞こえて来た。軽妙な笛の音が威勢のいい太鼓の音に混じり、通りすがりの神社の境内で秋祭りが開かれていた。

「お祭りっていいね。浴衣着たくなっちゃった」

ちか子がはしゃいでいた。

「それもいいな。浜よぅ、女のコたちに浴衣でも買ってやって、祭り見物と洒落込むか」

「よし、わかった」

 虎之介のアイデアで四人は商店街の呉服屋に入り、ちか子とマリに浴衣を買ってやった。早速着込んだ二人は嬉しくてキャアキャア騒いでいた。
 皆で境内の方へ歩いて行くと金魚すくいや飴売りなどの露店が並び、道が大勢の人で埋まっていた。
境内では剣道の試合が開かれていた。
片や、佐々木小次郎と書かれたハチ巻きを締め、もう一方は宮本武蔵、勝ち抜き巌流島の決闘にヤンヤの喝采が送られていた。

 露店で買った飴を舐めながら境内を歩いていると三人組の酔っ払いがマリをからかってきた。

「おぅ姐ちゃん、可愛いおべべ着ちゃって。男知っているか。ハッハッハッ」

「ちょっと触らせてくれよ」

 酔っ払いたちが手を伸ばして浴衣の袖を引こうとした時だ。虎之介がバシッとその手を払いのけた。

「雑魚はあっちへ行ってろ。どうしても欲しけりゃ貸してやってもいいぜ。相場の十倍ぐらい出せばなぁ」

「何だとてめえ、いい度胸してるじゃねえか」

「いい女連れてるからって、いい気になってんじゃねぇよ」

 酔っ払いたちが虎之介を取り囲んだ。その瞬間、虎之介はリーダー格の男の襟元をわしづかみにしたまま、もの凄いスピードで人気のない路地まで男を引きずって行った。
 他の二人の男も虎之介を追って来たが虎之介に拳で顔をブン殴られ、鼻血を出して倒れているリーダー格の男を見て、慌てて逃げて行った。
 虎之介の喧嘩の流儀は先手必勝。相手が何人いようと頭を張っている奴を徹底的にぶちのめす。中途半端で辞めると後で仕返しをされる為、完全に伸びてしまうまで叩きのめすのだ。

 浜やんが駆けつけて来た。虎之介の喧嘩は見慣れたものだ。負ける筈がないとわかっているので、虎之介のことは何一つ心配していない。ただ、あまり派手な動きをして評判になってはまずい。これから赤線の店を襲うのだ。

「虎、おまえ少し控えろよ」

「なんでや、なんか文句あるんかい。少しは感謝したらどうや」

「いや、雑魚をうっちゃってくれたのは感謝するけどよ。これからデッカい仕事があるだろ。その前にあんまり目立っちゃまずいんだよ」

「おまえだって、前は俺と同じようにすぐカッときてたじゃねぇか。変わっちまったのか」      

「そんなこたぁねぇさ。ただ、店を襲う前は控えろって言ってるんだ」

「いちいち頭にくらぁ。…わかったよ。気分直しに玉でも弾いてくらぁ」      

 その言葉を聞いた途端、浜やんの表情がみるみる変わり、虎之介を睨みつけた。    

「てめえ、ふざけやがって」

 言うが早いか、浜やんは右足で虎之介の足を思い切り払った。不意をつかれ、バランスを崩した虎之介が路上にぶっ倒れた。その左手を後ろ手に固め、手首をねじり上げながら浜やんが馬乗りになった。さらに左足の膝で虎之介の首を締め、ギロチン状態にした。
 あっという間の早業に虎之介は身動きが出来ず、足をバタバタさせるだけだ。

「てめえ、パチンコばかりやりやがって…、ちか子から金を巻き上げていねえか。ちゃんと知っているんだぞ。皆が命賭けてるのにふざけた真似するな!
 女のコには優しくしろって、あれほど言っていたじゃねぇか。同じ仲間に嫌な思いさせやがって、そんなのは俺の主義じゃねぇ。やめねぇなら、今すぐここから帰れ!」

 虎之介は腹を反らせて馬乗り状態の浜やんの体を外そうとするが、浜やんが膝で更に首を絞めた為、なす術がない。

「おい、どうなんだよ。金の件はやめるのか!ちか子を大事にしてやれるか」

 虎之介の顔からみるみる血の気が引いていく。ウーウーといううめき声が漏れ、これ以上ギロチンが続くと危ない。虎之介の顔を覗き込むと浜やんの啖呵にかすかに頷いている。それを見届けた浜やんはギロチンをはずした。
 虎之介は寝転んだままぐったりしている。その脇に座り、浜やんは虎之介に背を向けた。一方的にやられた虎之介が逆襲に転じることが可能な状態をわざと作ったのである。
 金輪際、仲間を離れてもいいと思えば、虎之介は後ろから攻撃して来る筈だ。だが、虎之介はかかって来る気配がなく、しばらくの間動かなかった。

「おい虎、よーく聞けよ。本当のところおまえとは喧嘩はやりたくねぇ。仲間に入ってくれて助かっているし…いや、救助船だけの役目じゃなくて、皆が沈んでいる時に笑わせてくれたり、何かと気を遣ってくれたりな。感謝しているよ。
おまえが言うように、俺は神経が過敏になりすぎている。自分でもわかっているよ。だがなぁ、やっぱり皆の命がかかっているんだ。俺たち四人は今やお尋ね者なんだよ。
いくら相手がちかちゃんだって、お尋ね者同士の仁義ってもんがあるからな。彼女は田舎に仕送りをする金が増えるってことで、この旅に加わったんだぞ。頼むからもっと優しくしてやってくれよ」

 浜やんが後ろを振り向くと虎之介は上半身を起こし、血の気が戻った顔で、
「わかった」
と呟いた。

「…悪かったな。気を取り直してくれ」

 浜やんは虎之介の服に付いた泥を払いながら、起こしてやった。

 久留米の赤線街は、かつての軍都時代の名残で瀬の下町の水天宮下にある。四十軒程の店が営業していた。ここもあまり賑わっていなかったので浜やんは決行をためらった。だが、しばらく虎之介と一緒に狙う店を物色していると赤線街のはずれのほうに「恋文」という粋な名前のついた小綺麗な店があった。この赤線街でやるには、この店ぐらいしかない。
虎之介は浜やんとの喧嘩で逆に仲間意識が高まってたので妙にやる気を出していた。虎之介のやる気を買って、浜やんは「恋文」を狙うことを決めた。

 ある日、虎之介は
「今度は俺が売って来る」
と息巻いて、マリたちを連れ旅館を出て行った。

しばらくして、その虎之介が血相を変えて旅館に戻って来た。

「ヤバイよ。あそこ極道だよ、浜」

 旅館にすっ飛んで来た虎之介が、喉をゼイゼイ鳴らしながら興奮している。

「極道って、何だよ」

浜やんは虎之介の言っている意味がよく飲み込めなかった。

「渡世人が仕切っているんだよ。おめえがあの店でやろうって言ったから、俺、知らねえで行っちゃったじゃねえか」

「そういう奴ら、店にいたのか」

「違うよ、店の前の看板に組の名前が書いてあったんだよ。ナントカ組って…俺、店出る時に気がついてよ」

「何処に?そんな看板なかったぜ」

「いや、あったんだよ。だって俺が見て来たんだから。俺の目に狂いはねえよ」

 〝やくざのインターン〟と呼ばれている虎之介は、極道の世界に限って言えば、浜やんよりも詳しい。
虎之介の話に浜やん、真っ青になった。

「で、銭はどうした…」

「八万で売れたんだけどよ。全部あいつらに持たせて来ちゃった」

「あいつらって。マリたちにか」

「ああ」

「それにしてもずいぶん安いな」

「だってよ、女将にうまく丸め込まれてよ。俺も安いとは思ったけど、まぁ、しょうがねえかって思って…」

「二人は何処にいるんだ、今」

「店に置いて来たよ。だから、おまえ早く行ってなんとか助け出して来いよ」

「おまえ、助けて来いったって…相手が相手だからなぁ。銭も置いて来ちゃってるし」

「名古屋の時と同じだよ。おまえだって、そうだったじゃんか」

「まぁ、それもそうだな」

「いや、女将がさ、これからの仕事に必要だから女のコたちに渡すって言ってきかないんだよ。女のコたちもそのお金、全部は使わないだろうから、後であんたのところへ責任持って送らせるっていう訳よ。そう言われたら、俺、何て言やぁいいのよ。何も言えねえじゃんか。アー俺、喉渇いちゃった。ビール飲みてぇ」

 虎之介は浜やんが飲んでいたビールのコップを奪って、一気に飲んだ。

―この野郎…。

 浜やん、呆気にとられたがとにかくマリたちを助けにいかなければならない。浜やんは部屋に置いてあった時刻表をパラパラとめくった。

「浜、なるべく早い電車で逃げようぜ」

 虎之介は相手が極道だから早い時間にマリたちを助けに行き、一刻も早く逃げようというのだ。

「早く行きゃ、店の段取りも出来てねえだろうし…昼間から行っちゃえよ。向こうが泊まりを許可すりゃいいんだろ」

「だけどおまえ、昼間からって言ったって、お天道様があるうちに女郎屋に行けるかよ」

 マリたちを助けに行くにはまだ時間があった。虎之介は押し入れから枕を取り出し、
「ちょっと横になる」
と言って、早速いびきをかき始めた。
浜やんは早めに行って店の看板を調べたい衝動を抑え、バックに忍ばせていたドスを取り出した。

―相手は極道だ。今回だけはこれを使うことになるかも知れねぇ。

続き > 第十一章 祭ばやしが聞こえる街で"極道の店"に…(後編)
―久留米―

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参考文献

兼松佐知子(昭和62年)『閉じられた履歴書 新宿・性を売る女達の30年』朝日新聞社

木村聡(写真・文)(平成10年)『赤線跡を歩く 消えゆく夢の街を訪ねて』 自由国民社

木村聡(写真・文)(平成14年)『赤線跡を歩く 続・消えゆく夢の街を訪ねて2』自由国民社

澤地 久枝(昭和55年)『ぬくもりのある旅』文藝春秋

清水一行(平成8年)『赤線物語』 角川書店

新吉原女子保健組合(編)・関根弘(編)(昭和48年)『明るい谷間 赤線従業婦の手記 復刻版』土曜美術社

菅原幸助(昭和62年)『CHINA TOWN変貌する横浜中華街』株式会社洋泉社

『旅行の手帖(No・20)』(昭和30年5月号) 自由国民社

 ※近代庶民生活誌14 色街・遊郭(パート2)南 博  三一書房(平成5年6月)

名古屋市中村区制十五周年記念協賛会(編)(昭和28年)『中村区市』(名古屋市)中村区制十五周年記念協賛会

日本国有鉄道監修『時刻表(昭和30年)』日本交通公社

日本遊覧社(編)・渡辺豪(編) (昭和5年)『全国遊郭案内』日本遊覧社

広岡敬一(写真・文)(平成13年)『昭和色街美人帖』自由国民社

※戦後・性風俗年表(昭和20年~昭和33年)

毎日新聞出版平成史編集室(平成元年)『昭和史全記録』 毎日新聞社

松川二郎(昭和4年)『全国花街めぐり』誠文堂

森崎和江(平成28年)『からゆきさん 異国に売られた少女たち』朝日新聞出版

山崎朋子(平成20年)『サンダカン八番娼館』文藝春秋

吉見周子(昭和59年)『売娼の社会史』雄山閣出版

渡辺寛(昭和30年)『全国女性街ガイド』 季節風書店

大矢雅弘(平成30年)『「からゆきさん=海外売春婦」像を打ち消す〈https://webronza.asahi.com/national/articles/2018041300006.html〉令和2年12月14日アクセス 朝日新聞デジタル

※参考文献の他に物語の舞台となっている地などで、話を聞いた情報も入れています。取材にご協力いただいた皆様に感謝いたします。ありがとうございました。

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