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コミュニティに見返りを求めたら長続きしない

私は過去、3つほどオンラインサロンを渡り歩いてきました。

また自分でコミュニティを3つほど運営したり、コミュニティ関連のイベントに参加し、関連した本も読み漁ってきました。

コミュニティって理解を深めれば深めるほどわからなくなるものでして、自分の中でも何か言語化された答えがあるわけではありません。

ただ、最近のコミュニティ界隈の出来事をみていて思うことがあり、久々にコミュニティについて少しだけ語ろうと思います。

サービスのコミュニティやオンラインサロンへの違和感

この1年ほどでコミュニティやオンラインサロンと言われるものが増えましたし、関連する事例やイベントなどもたくさんありました。

しかし、なんとなく「違和感」を感じることが多かったです。

その違和感の正体がやっとわかりました。それは「コミュニティに見返りを求めている」という点です。

サービスを拡大するためにコミュニティを作ったり、人生をより良くするためにオンラインサロンに参加する。

これらは完全に否定できるものではありません。

とはいえ、本来のコミュニティとはズレていると私は感じています。

「ニセモノのgive」と本当のgive

一部では参加者に「まずはgiveをしよう」と伝えているオンラインサロンがあると聞きました。

人に与えることで、回り回って自分に良いことが返ってくる。

一見するととてもpay forward的な素敵な発想のようにも思えます。

しかしこの「give」の中にも種類があると私は考えています。

ココ最近のコミュニティやSNS界隈で言われている「give」は、ニュアンスとして「投資」を含んでいるのではないでしょうか。

つまり自分の資産を世の中に提供すれば、いつか自分に大きくなって返ってくる。

そういう意味合いを含んでいるように感じてしまってならないのです。

一方、本当の意味でのgiveは、そんな見返りも求めずにただ自分の資産を誰かに渡すことです。

本当のgiveにはどんなものがあるでしょうか。

わかりやすい例で言えば「子供を大人になるまで育てること」「要介護になった親の面倒を見ること」などが挙げられます。

これらには基本、見返りがないものである場合がほとんどです。

お互いが「与えられている」と感じるコミュニティは長続きする

家族というコミュニティは、一般的なコミュニティよりも長続きを志向されるものです。

その1つの理由として、この見返りのないgiveが最初から装着されているからではと私は考えています。

子供は誰かに育てられないと自分で育つことはできません。

だから親に対しては「与えられている」と潜在的にでも感じながら生きていくわけです。

一方、親は親で子供とのかけがえのない時間を「与えられている」と感じています。

これは家族以外のコミュニティでも当てはまります。

地域のコミュニティも、例えばその地域のお祭でお互いに協力しあって進んでいく場合、Aさんは会場との調整をしてくれて、Bさんはお祭りの音楽を用意してくれて…と、目に見えない何かを「与えられる」ことが多いです。

最近ブームとなっているオンラインサロンに当てはめるとどうでしょうか。

もちろんすべてのオンラインサロンに等しく当てはまるとはいいませんが、オンラインサロンを居場所だと感じている人たちは、オンラインサロンのオーナーやメンバーから、自分が払っているお金以上の何かを「与えられている」と感じている人たちなのではないかと私は考えています。

与える側は「与えている」だなんて思っていない

「与えられている」と感じている人達がいるということは、与えている人がいるわけです。

ただ、本当のgiveをしている人たちは、与えているだなんて思っていないのではないでしょうか。

一種の義務のように、あるいは宿命のように、または自然と内発的に与えてしまう。

これはSNSでもオンラインサロンでも同じで、与えているだなんて思っていない人たちが自然と与えてしまっているものを受け取った人が「与えられている」と感じる人たちは、そこを居場所にしていく。

逆にアンチになってしまう人は「こんなにお金や時間を使っているのに、何の見返りもないじゃないか!」と、意識的にgiveしているゆえに投資対効果がないと感じたからなのではないかなと。

同様に「giveをしろ!」と命令されて実行したgiveは、外発的に生まれたgiveであるので、不自然なgiveになってしまい、コミュニティ内にフ不和を起こします。

好きでつながると強い理由

1つ最強のgiveがあります。それは「好き」という気持ちを生み出すことです。

特定の人だったり商品が好きであると、その人ないしその商品が存在していたり、何かを発信しているだけで「与えられている」と感じる。

逆にその人や商品に対してお金が支払われ、好きという気持ちが伝わることで、その人や商品も「与えられている」と感じる。

このお互いが平等に「好き」という気持ちで繋がっている状態は、非常に理想的なコミュニティの在り方になるわけです。

もっというと、特定の人や商品が好きな人同士がお互いに「与えられている」と感じると、より強いコミュニティになっていきます。

無理にコミュニティをやるもんじゃない

上司からの命令でコミュニティを作ってみたり、オンラインサロンに人生を賭けて入ったりする人がいますが、それは遅かれ早かれコミュニティなり人が破綻します。

もっと自然発生的に、好きという気持ちを感じ取ったら、それを丁寧に育てていく。

その「好き」を絶やさないための営みを絶え間なく続けていく。

そこに上下はなくて、お互いが「与えられている」と感じながら同じ平面上に存在している。

それこそがコミュニティなのではないかと感じますし、長続きコミュニティになるんじゃないかと考えています。

まだまだ語り尽くせないので…

このあたり、まだまだ語り尽くせない話はあるのですが、そんな話を聞ける機会が2/20(水)の19時からあります。

まさに「好き」でつながるオウンドメディアである「イケウチな人たち」の仕掛け人である牟田口さんも登壇するというのは、個人的にはかなり熱いです。

残り10名ほどなので、興味がある方はぜひ。

だいたいスターバックスで、あえてホットティーを飲みながらnoteを書いているので、ホットティー1杯くらいのサポートを頂けたら、こんなにうれしいことはありません。