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僕が世界を知る方法 アウトプットに触れて距離が縮まる

NewsPicksでインフォグラフィック・エディターをされている櫻田潤さんのVoicy『「デザイン逃避行」ラジオ』。櫻田サロン公式noteではテキスト版としてお届けします。今回は第六回「僕が世界を知る方法」です。

はい、「デザイン逃避行」ラジオの時間です。今日のテーマは「誰かに興味をもつ瞬間」についてです。

たとえば、クラスメイトでも近所の方でも仕事仲間でも何でもいいんですけど、いきなり二人になってしまったシーンって何を話していいか全くわからない。そういうときって、ないでしょうかね?

僕はもうしょっちゅうなんですけど、頭の中では「何か話さなきゃ」「これ気まずいな」とかってわかってたりします。あとね、相手の人も気を遣って話を振ってくれたりすることあるんですけど、膨らますことが全くできない。

こうしてVoicyで一人語りしている方がよっぽど楽なんですけど、大人だからね。天気の話でもいいから雑談しようよと思う人もいると思います。

このごろの天気みたいに、心底暑い日が続くんだったら天気の話でもいいかなと思うんですけど、そうじゃないときに無理やり天気の話とかしても上っ面だけになっちゃって、そういうのができない。だったらまあお互い黙って考え事でもしてようか、という気持ちになっちゃったりします。

つまり、二人になったときに話さないというのは、そもそも相手に興味を持っていないからなのかというのはあるんだけれども、興味がないわけではない。ある瞬間を超えるとバーっと好奇心の塊みたいになって、よんどころなく会話できるスイッチみたいなものがあるんです。その誰かに興味を持つ瞬間というのが何なのか、最近よくわかってきたので、それについて話していきたいと思います。

誰かに興味を持つ瞬間

僕が人に興味を持つ瞬間は、何かアウトプットを見せてもらったときなんですよ。アウトプットというのはその人が撮った写真でもいいし、インスタでもいいんです。描いた絵でも、デザインした何かでもいいし、その人が書いた文章でも、ツイッターのつぶやきでも全然よくて。そういうのを見たり、見せてもらうと、グッと距離が縮まるというのが体感としてあります。

何でかというと、そういうアウトプットというのは、その人が自分の内側で考えたこと。写真であればその人が切り取ろうとしたワンシーンなわけで、その人のキャラクターのエキスがすごく詰まっているというふうに思っています。

だから、アウトプットを通じてだと相手と交信できる。ビーっとこう、アウトプットと交信することができるんですよね。アウトプットが僕と相手の間で媒介者の役割を果たしてくれると感じるときがあります。

何だろう。こう、いきなり二人になったときに天気の話とかをしてると、別にその人の内面から出たものではなくて、取り繕ったもののケースの方が多いわけですよね。

そういう話は全然ピンとこないんですけど、いきなり深い話とかをされたら結構興味を持ってしまうような気がする。興味を持つというのも何かよくない言葉ですけど、すごく反応しやすくなる気がする。

アウトプットと言うのも難しいかな。喋りでもいいんだけどね。内側から出てきたものというのがとにかく好き。

それには結構理由があります。何かというと、僕は世界を知りたい。世界ってわけわかんないと思うんですけどね…。

僕が世界を知る方法

「世界を知る」ということの意味合いは、世界中を旅するっていうのは違う。色々な人が見ている世界、その人の小宇宙を知りたいという欲求があるということです。

僕にとっての世界は、もちろん大自然とかいろんな国家があって、美味しい食べ物があって、建物があってとかということでもあるんだけど、それよりはもっと多様な、色々な人たちが持つ考えや心に抱えているものたちの集合体が世界だなと思うことの方が多いです。

それは、僕があまり旅をしていないからなのかもしれないですけど、色々な人が見ている世界のほうが身近に感じます。

それから、純文学や私小説とかに出てくる「僕」や「私」の話が結構好き。それでいうと梶井基次郎の『檸檬』という小説。すごく短いんですけど、これは小宇宙、つまりその人の世界を、梶井基次郎さんの世界を感じられて心地よいですね。

どんな話かを話すと、これから読む人には面白くないので、ちょっと好きな箇所を朗読してみます。まあ、それだけで何かがわかる自信はないんですけど、朗読してみる。いきますね。

 その日私はいつになくその店で買物をした。というのはその店には珍しい檸檬が出ていたのだ。檸檬などごくありふれている。がその店というのも見すぼらしくはないまでもただあたりまえの八百屋に過ぎなかったので、それまであまり見かけたことはなかった。いったい私はあの檸檬が好きだ。レモンエロウの絵具をチューブから搾り出して固めたようなあの単純な色も、それからあの丈の詰まった紡錘形の恰好も。――結局私はそれを一つだけ買うことにした。それからの私はどこへどう歩いたのだろう。私は長い間街を歩いていた。始終私の心を圧えつけていた不吉な塊がそれを握った瞬間からいくらか弛んで来たとみえて、私は街の上で非常に幸福であった。(梶井基次郎『檸檬』)

ちょっと全部読んでるとキリがないから、まあこんな感じ。

『檸檬』というタイトルの小説だから、檸檬が出てくるのが今のところ。ここ別にハイライトではないんですけどね。今のところも結構、美しさはあるんだけど、後半にもっと破壊的に美しくなっていくんですね。そこは、すごくこの人の世界なんですよ。

だからぜひ読んでもらいたいです。短編中の短編で、もうね数分で読める話なんですよ。だから読んでみてください。

すごく話が脱線しましたが。

こういう私小説までいかなくても、上っ面じゃない、心の底にあるものを吐き出した言葉やビジュアル、写真、デザインとかのアウトプットを見ると、その人の見ている世界を僕ものぞける。

そういうことによって、僕の表現で言う「世界」を知っていけるんですよね。それが楽しいというか、ただただ知りたいと思うことが多い。

たくさんの人の考えていることとか、抱えているもの、思っていることが見られる状態になると「あ、世界ってこうなってるんだな」と感じる。そういうものの集合体を世界と思っているから。そこの一部なんだな、と思えるのかな。

アウトプットの方法の一つである図解とかインフォグラフィックを使えるように教えたりすることが多いんですけど、なぜそれをやっているかっていうと、色々な人がそういうのを使えるようになると、また色々な世界を見られるきっかけになるから。だからやっているのかなと思うところがあります。

R.E.M.語録

今日はね、ちゃんと話せてるかよくわかんないね。考えながら喋った。
だから、まぁいつもうまくいってるとは思わないけど、特によくわかんない(笑)

そんな回もあってもいいかな、と。

さっき、世界というキーワードが出てきたけど、これがVoicyじゃなくてラジオだとしたら、R.E.M.というアメリカのバンドの『It's the End of the World as We Know It (And I Feel Fine)』という曲をかけたいなと思いながら喋っていました。

で、最後どうしようかな。

あ、それでR.E.M.ってバンドのメンバーのインタビュー集というか、語録集みたいなのを持っているんですけど、ピーター・バックさんというメンバーの言葉がよかったので、それを紹介して終わりたいなと思います。

僕らは過度に楽観的ではない。
世界を見渡してみればそうできないだろう。
今もなお、数多くの国で
人々が虐殺されているし
公然と残忍な行為がたくさん行われている。
でもそのことに屈服はしない。
確かにこの世界は最低だ。
でも、それについて泣き言を言っても、
なんにも良くならない。
R.E.M.のサウンドが気分を高めるものだと期待する。
それが僕らの音楽への素晴らしい褒め言葉になるよ。

これ、いいよね。いいですよね。まぁこんなところで終わりましょう。

おやすみなさい。


※この記事はVoicy『櫻田潤の「デザイン逃避行」ラジオ』の「僕が世界を知る方法」の内容を書き起こし、加筆・修正を加えて編集したものです。


櫻田潤の「デザイン逃避行」ラジオはこちらから。
(第七回まで配信中 ※2018年9月6日現在。随時更新)

#デザイン逃避行 のハッシュタグで感想など、お待ちしています。


櫻田潤の「図解・インフォグラフィック」サロン
サロンは現在(2018年9月6日時点)、若干名の空きがあります。
気になった方は、ぜひチェックしてみてください。


お問い合わせ:junsakurada.salon@gmail.com

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テキスト:國井麻美子
編集:石川遼
写真:池田実加

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