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しごでき店長から教わった、ハイテンション謝罪と口角の話。

「この度は大変申し訳ございませんでした。はい、すみません・・・失礼いたします・・・」

見えるはずないのに、電話口の相手に向かってぺこぺこしてしまうアレ。日本人特有のクセだったりするのかな。なんてことを考える余裕を、当時のわたしは持ち併せていなかった。

返品希望で来られたお客様から「返金額がまちがっている」とお叱りの電話を受けた。担当者は紛れもなくわたし。[レジNO4]という責任者コードが、お客様のレシートにはしっかり印字されていたらしい。年末のセールで心身共に疲れはピークに達していた。

猫のように背中を丸め、わかりやすく落ち込むわたしに店長が声を掛けてきた。細くて長い脚。小さなお顔に長いまつげ。お人形さんのように可愛らしい容姿に対し、口調はごりごりの泉州弁。通称:しごできオンナ(仕事がバリバリできる女性のこと)。

「こないだの返金の件やろ?あんな反省一色の謝り方されたら、わたしなら返って腹立つわ。弱々しい姿勢でこられたら、もっと言ってやろうかと思えてくるわ。」

踏んだり蹴ったり、泣きっ面に蜂とはこういうことか。
(それは、店長が元ヤンだからなのでは・・・?)
と、絶対に口にできない言葉を喉元で飲み込んだわたしに店長は続ける。

「謝罪はハキハキ、元気に、明るいトーンでせな。すいません、以後気を付けます、またお越しください!でええねん。」
ミスもクレームも起こってしまったことは仕方がない。メソメソせず、切り替えていけ。店長なりの叱咤激励だった。

数日後、件のお客様が来店された。
またお叱りを受けるのではと、ビビり倒すわたしよそに、ズカズカとお客様の元へ向かう店長。

「こないだは失礼しました!新作たくさん入ったんで、よかったら見ていってくださいねー!(ド笑顔)」
そのテンション、世間話の如し。ちなみに電話口で激オコだったお客様も、店長につられてド笑顔になっていた。

(す、すげぇ!なんかめっちゃかっこえええ!)
21歳、冬。しごでき店長へのリスペクトが爆発した瞬間だった。

店長はほんっっとうに仕事ができる女性だった。
当初、全国店舗のなかでワースト10に入るほど売上が悪かったお店を前任から引き継ぎ、わずか3か月でエリア1位にまで引き上げた超やり手。

口癖は
「こんなんで(こんな陳列で)売れるわけないやろ」
「この店、めっちゃ汚いな」
「暑くない?」
である。

袖を捲り、大股で店内を歩きまわり、額に汗をにじませながら、あれよあれよという間に売れる売場へと作り替えていく。それまでボチボチだった客足が目に見えて増えていくのが分かった。
求められることも、厳しく言われることも増えたけど、店長の言葉には芯が通っていて、取り組んだだけ必ず結果がついてくる。その手ごたえがやりがいだった。

そんなしごでき店長に教わり、いまでも心に残っていることがもう1つある。

ある日のミーティングでのこと。いつもの泉州弁で店長は言う。

「みんな仕事中の自分の顔見たことある?入る気うせるくらい怖い顔してんで。人に見られる立場やってこと、もうちょい意識して働いてほしい。」
商品の陳列や、整理に加え、表情管理も大切な仕事だと言う。
その日から、店内に数カ所ある鏡の前を通り過ぎるときは、必ず自分の表情をチェックするというルールが加わった。これが、めちゃくちゃに効果的だった。

それまで、息を吸って吐くようにしていた声出し(いらっしゃいませ、ご覧くださいませ、など)も、ウェルカムな発信をしているはずなのに、顔がまったく笑っていないことに気がついた。サイコパスかよ。

鏡の前を通り過ぎるたびに、自分を注意して、口角を上げる。繰り返し続けることで、ふたつの変化があった。

ひとつは、仕事が楽しくなったこと。これ!といって明確なきっかけがあったわけではないけれど、無性にバイトの時間が面白くなった。むかし何かの記事で「口角を上げることで気分が上がる」とあったが、あれは本当だったらしい。めんどくさい商品整理も、ミスを恐れて緊張ばかりしていたレジ打ちも、口角を上げるだけで、不思議と楽しめた。

もうひとつは、お客様の反応。
それまで声を掛けては冷たくあしらわれたり、ときにはスルーされる日もあったのに、あちらから声を掛けてもらえるようになったのだ。

なかには「週末に告白をするから、全身のコーディネートを一緒に考えてほしい」なんてお客様も。自分の表情ひとつで、まわりから頼られたり、必要としてもらえる機会が増えた。仕事はますます楽しくなり、店長への憧れも強くなった。

あれから8年。
久しぶりに当時の仲間と飲んだ。思い出話に花を咲かしながら、当時の店長の年齢をすっかり追い越していたことに驚いた。

謝罪は切り替えたハイテンションで。仕事中は口角をあげるべし。しごでき店長から学んだ教えは、サービス業を離れたいまでも、わたしの中で生き続けている。

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