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昭和天皇の戦争責任について思うこと【誰が『S級戦犯』なのか】

ウクライナ政府の広報担当者が、ヒトラーとムッソリーニと昭和天皇を同列に並べて、ファシスト呼ばわりする動画を全世界に流してしまいました。日本政府の抗議を受けて、すぐに修正されて良かったです。

私は、国民からの人気を背景に、首相として無謀な戦争へ無責任に導いた貴族政治家「近衛文麿」を『S級戦犯』だと思っています。

「近衛文麿」は、近衛上奏文など終戦工作をしていたという見解もありますが、私から見れば、ひたすら自己保身をしていたようにしか見えません。
ポツダム宣言受諾後も、昭和天皇を退位させて責任をとらせ、自分は副総理として戦後処理の主役になろうとしていました。
さすがにGHQから戦犯容疑をかけられましたが、戦犯として事情聴取される前に服毒自殺しました。

朝日新聞をはじめとする当時のメディアは「近衛文麿」を持て囃して、国民からの人気取りに荷担していました。「近衛文麿」は八方美人なので、メディア関係者だけでなく、共産主義者から民族主義者まで、全体主義を指向するインテリ達と仲良くしていました。
現在のメディアはあまり取り上げないため、「近衛文麿」はやったことに比べて戦後の知名度が低すぎると思います。
近代史を勉強すれば、日本をファシズムに向かわせる政策を積極的に推進した「近衛文麿」が一番悪いと気づきます。


陸軍軍人「東條英機」のほうが国内外において有名です。首相として対米開戦を決断し、拳銃自殺に失敗して軍事裁判にかけられました。
ただ、「東條英機」は軍事裁判で日本無罪論を展開して、インド出身のパール判事から日本無罪の意見を勝ち取った上で、絞首刑を受けました。
「東條英機」はきちんと『A級戦犯』の筆頭として責任を果たしました。


昭和天皇は軍事裁判に起訴されず、戦後も天皇であり続けて、天寿をまっとうしました。
昭和天皇は戦前の国政における最終責任者でしたが、ポツダム宣言(国体護持を条件とする降伏条約)の受諾を決断して、国民に対して降伏と占領を受け入れるよう説得したことによって責任を果たしました。

昭和天皇の戦争責任を追及する人たちは、天皇機関説(国家法人説)を理解できていないと思います。
こういった人たちが戦前にもいて、天皇主権説を支持して、天皇機関説を排除したのだろうと思います。天皇は神様ではなく、帝国議会や裁判所等といった国家機関の一つです。
こういった人たちは、現憲法でも主権者たる国民を絶対視しているのではなかろうかと思います。国民は神様ではありません。
私の憲法論は、戦前だろうが戦後だろうが、主権説ではなく国家法人説の立場です。

私は、自然法(ゴッドロー)=自由や権利は自然法則のように社会に当然あるルールとする考え方には賛同しません。
私は、判例法(コモンロー)=自由や権利は歴史(過去の事実)を実証していくことで社会に積み上げてきたルールとする考え方に賛同します。

私は、ポツダム宣言受諾によって、日本は戦前と戦後で別の国家になる革命が起こり、明治憲法が廃止されて「新憲法」が生まれたとする見解(8月革命説)には賛同しません。
私は、明治憲法の改正によって「現憲法」が生まれたとする見解に賛同します。日本は戦前も戦後も同じ国家です。憲法改正によって、国家機関である天皇や国民、国会等の役割が変わっただけです。
主権は、国政における最終責任であり権力行使の正当性の根拠ですが、絶対視されるものではありません。主権者だから何をしても許されるわけではないのは、現憲法も明治憲法も同じです。憲法改正によって主権者を変更することは許されないとする見解は、主権説の考えです。

現在の憲法学会は、主権説・自然法説・8月革命説をベースにしています。
私は芦部信喜先生の「憲法学」を始めとする刊行書や論文を読んで憲法の勉強をしていましたが、憲法学会が疑いも持たずに前提とする世界観自体がおかしいという考えに至りました。リベラリズムではなく共同体論の観点から、憲法理論を構築すべきだと考えます。

私の憲法理論は、国家法人説・判例法(歴史的実証法)説・憲法改正説をベースにしています。
その上で、共同体が全体主義化しないよう、共同体のルールにおいては「個人の自由」と「個人の幸福追求権」を重んじるべきだと考えます。
ルールのない共同体はありえませんが、ルールが全体主義化を招くと、その共同体は遅かれ早かれ滅びてしまいます。自由と権利を重んじることで、共同体の全体主義化を防ぎます。

また私見は、自由や権利とは異なる存在として、共同体のルールを一切受けることのない「人権(人間としての尊厳)」を認めます。共同体は人間と人間との関係によって成り立ちます。人間性を否定するルールは共同体そのものを否定するので、絶対に許されないと考えるからです。
長谷部恭男先生が提唱する「切り札としての人権」の理論を学んだことで、「人権」を前提とする「共同体論」に基づいた憲法理論の構築は可能だという考えに至りました。「人権」と憲法上の権利(基本的人権)は別概念だと捉えるのがポイントです。

国家法人説の考え方を理解することは難しいです。戦前においても昭和天皇や東京帝国大学出身官僚といった一部のエリート層でしか理解されていなかったために、「不敬」だと弾圧されてしまいました。
主権者を神様のように絶対視(神格化)する主権説のほうが、単純で分かりやすいからだと思います。
ただ、昭和天皇自身は、天皇機関説が政府見解において排除された後も、各国家機関の決定に従う立憲君主であろうとしました。明治憲法において、明治天皇も大正天皇もそうしてきたからです。
昭和天皇個人の判断で国政を決定したのは、①二・二六事件の鎮圧と②ポツダム宣言の受諾だけです。

会社法を勉強していると、国家を法人として理解する考え方は理解しやすいのではないかと思います。
株主はオーナーですが、会社の神様ではありません。株主を絶対視して権限を強めすぎると、会社経営は成り立ちません。
もっとも、会社は「株主全体の利益」になるよう経営されるべきであり、株主総会において選ばれた経営者が判断を誤ったことで会社の価値が下がった場合には、株主は大損することになります。


戦前でもドイツやイタリアは民主主義国家でした。ファシズムは民主主義国家が言論弾圧や同調圧力によって全体主義化することで起こるものです。
ドイツやイタリアにおける真の戦犯は選挙を通じて独裁者(党)を信認した「国民」なのかもしれませんが、「国民」も言論弾圧されて選挙での選択肢が奪われてしまった被害者です。
そのため、選挙での「国民」からの信認を背景に、言論弾圧や情報統制を行って一党独裁を進めたヒトラーやムッソリーニが、ドイツやイタリアの『S級戦犯』です。

戦前の日本でも選挙が行われていましたが、ヒトラーやムッソリーニと同じような立場にあったのは、昭和天皇ではありません。戦前の日本で一党独裁や言論弾圧の政策を首相として積極的に進めたのは、「近衛文麿」です。
天皇主権だったから「近衛文麿」が行った政策は不完全だったという見解は、主権説の考えです。国家の経営責任が首相にあったのは戦前も戦後も同じです。

「近衛文麿」は軍部のせいで正しい判断ができなかったと言っていましたが、軍部と刺し違えるような政治決断を全くしませんでした。むしろ軍部でも消極派が多くいた(石原莞爾がその代表格)にも関わらず、「近衛文麿」自身の判断で軍事予算を拡充し、積極的に中国への侵略を進めました。
対米開戦については、その流れを決定的なものにしておきながら、自分が決断するのはイヤだと言って、首相を辞めました。
知識人やメディアからちやほやされたがり、自分がやったことは棚にあげて自分にとって都合のよいことしか言わない政治家と、私は評価しています。10代前半で近衛家の当主(摂関家藤原氏のトップ)になったという高すぎる身分のために、厳しく叱責することができる人が周りに少なかったのかと思います。


ドイツのヒトラー、イタリアのムッソリーニのように、誰か一人を『S級戦犯』とするのであれば、「近衛文麿」が適任だと、私は思います。

軍事裁判からも逃げて何も責任をとらなかった「近衛文麿」ですが、きちんと現代の日本において責任をとらせたらよいと思います。自殺は責任をとったことにはなりません。ヒトラーも逮捕される前に自殺しています。
ヒトラーやムッソリーニと同列に「近衛文麿」を並べることで責任をとらせたらよいと、私は思います。
「近衛文麿」はコスプレをしていたほどヒトラーに憧れていたので、同列に並べられるのは本望かもしれません。最後の元老「西園寺公望」から苦言を呈されないと、ヒトラーのコスプレを辞めませんでした。
戦前には国民人気が高かったにも関わらず、現代日本では知名度が低いですが、日本のムッソリーニと呼べる「近衛文麿」という存在を全世界にアピールしたらよいと思います。ウクライナ政府の広報担当者は、日本のファシストとして「近衛文麿」を動画に出せばよいと思います。


有罪判決を一番受けるべき大戦犯は「近衛文麿」だったという認識が「常識」になる世の中になればいいなと思います。
これが「常識」になれば、民主主義国家における言論弾圧は許されないこと=言論の自由は大切であることがきちんと浸透した日本社会になっていると、私は思うからです。
逆に言えば、「近衛文麿」こそ『S級戦犯』であることが「常識」になっていなければ、太平洋戦争に至る原因(日本社会の全体主義化)を理解していないということなので、また同じミスを繰り返してしまうと、私は思います。

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