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『絆』の話。

「ええか。”絆”っていう字あるやろ。
あれはな、糸を半分って書くんや。
2人の人間の間に、目には見えない糸があって、その両端を2人の人間が片方ずつ持ってる。この糸はとても繊細で切れやすい。
どちらか一方が、強引に自分の方に引っ張るとピーンと張りつめて、糸はすぐに切れてしまう。
この見えない糸は、常に”弛ませておく”ことが大切なんや。
じゃあ、どうすればええか・・・。
それは、自分から相手の方に一歩あゆみよればええんや。」

今となっては、何の授業かすらよく覚えていませんが、大学の教職の授業で、ある教授がそんな話をしたいたことを今でも鮮明に覚えています。
ふとされたその話を、私はノートに何気なくメモしていました。
まさかその先10数年に渡り、この言葉に何度も救われるとは、その時は微塵も思っていませんでした。

学級開きの初日、私は決まってこの教授から教わった「絆」の話を必ず子どもたちにするようにしています。
ある時は、実際に紐を絆の糸に見立てて・・・ある時は黒板に描いて・・・、受け持つ学年や児童の実態に合わせて形を変えながら。
クラスでトラブルが起こったときや、児童同士のトラブルのときにも繰り返し、話すことが多いです。
でも、一番は、自分自身にいつもいつも問いただしています。

他人を変えたければ・・・

これまでいくつものクラスを担任してきました。
どのクラスにも、さまざまな課題を持った子どもたちがいました。時には関係がうまくいかなくなることもあったし、夜も寝れないぐらい悩まされることもありました。時には感情に任せて厳しい言葉を言い放ったこともあります。
でも、そんな時には、いつもこの絆の話を思い出すのです。

今、自分がやっていること、言っていることは、この子をただ自分の方に強引に引き寄せたいだけではないか。
自分の思い通りにしたいだけではないか。
その子のことを本当に理解しようとしているか。
自分から一歩その子に歩み寄る努力はしているか。
本当に困っているのは”誰”なのか。

そうすると、いつも”すっ”と肩の力が抜けて、視野が広くなる感じがします。そして、自分の態度や接し方が変わると、不思議とやはりいい方向に進んでいくことを感じます。

そんなとき、いつも思うことは、
「他人を変えたければ、まず自分が変われ」
ということです。

そして、目の前のこの子は、自分を成長させてくれるために自分の前に現れたんだな、とすら思えます。
きっとその時の自分にとって必要な子どもたちが自分の前に現れてくれて、それを乗り越えることで自分自身がまた一つ成長する。
それがまた次に出会う子どもたちに還元され、笑顔が広がっていく。
まさに、我々教師は子どもたちによって育てられているのだなと思います。

絆マップ&絆グラフ

いつの頃からか、私のクラスの教室の後ろには、いつも”絆マップ”が貼られるようになりました。
子どもたちの繋がりを何とか可視化できないかと思い、考えました。

仕組みは簡単。
毎日の帰りの会で日直が中心にその日一日を通して、絆が深まったなと思う人を発表します。
喧嘩したけれど、仲直りした。協力できた。助けてもらった。新たな一面が知れた。頑張っている姿を見た。
なんでも構いません。
そうすると、発表した人と、された人同士が繋がります。

みんなの前で発表するのは恥ずかしいという人は、こっそり日記で書くのもOKにしています。
帰りの会での発表は、赤の線で。日記は、青の線で。
ある日、突然、青い線で結ばれていて、「はっ!自分のことを書いてくれたんだな」とちょっとした嬉しいサプライズもあります。

この絆タイムのミソは、矢印ではなく、ただの線で繋がっているので、どちらからの発信で繋がったのか、後から見返したときに分からないことです。
繋げてもらった人は、後日、「絆返し」をすることもあります。

特定の子どもたちだけで固まらないように、常にクラス全体で互いの「いいところ探し」を促すことも大切です。
毎日の帰りの会は、絆の発表で盛り上がり、帰りの会がなかなか終わらない・・・なんてことも少なくありません。
一日の終わりに、みんなで心がほっこりする時間です。

1学期の最初の頃は、まばらに繋がっていた線が、2学期・3学期とさまざまな行事や出来事、ドラマを経て、子どもたちが同士が幾重にも繋がり、最後にはみんなで一つの円のようになっていきます。
絆MAPがだんだんと円になっていくのと同時に、クラスも一丸となってファミリーみたいになっていく過程がとても好きです。

”絆マップ”
赤い線は、帰りの会の発表で。青い線は日記で。

絆マップの横には、”絆グラフ”もあります。
絆マップが個人ー個人なら、絆グラフはクラス全体のものです。
学級の協力や団結力の高まりを可視化しています。

絆グラフを上げるタイミングは、最初の頃は私が投げかけますが、軌道に乗ると、子ども発信に任せます。何ポイント上げるかも話し合わせます。
1年間さまざまな事件も起こるので、ポイントが下がる・・・なんてこともたまに起こります。でも、それも子どもたちにとっては大切な通過点。
日付と項目を書くことで絆グラフ=学級の歴史となります。

絆グラフ


本当に変わるべきは・・・

強いこだわりを持つ児童も受け持ちました。
彼らには時に診断名がついていることもあります。
話は少し変わって、私の娘もなかなかに強いこだわりを持っています。毎日同じ柄の服しか着ない。初めてのことに戸惑う。一つのことに引っかかるとそこから先に進めなくなる。私にも多少、似たようなところがあります。

そんな彼らや彼女らを間近で見ていると、あちこち壁にぶつかって、「生きづらそうだな」と思うことがあります。
でも、彼らは変わらない。
いや、変わる必要ないよなって思います。
それは、見方を変えれば「個性」であり、「強み」でもある。

彼らを生きづらくしているのは、社会であり、彼らを取り巻く周りの環境です。そして、変わるべきなのは、むしろその社会や環境なのだと思うようになりました。

学校や学級という単位でいうと、彼らと一番近くで接する社会は教師や親である私自身であり、彼らの環境を変えることができるのもやはり私なのです。
こだわりを持つ彼らが、はじかれる社会ではなく、むしろ彼らが生き生きと安心して個性を発揮できるような集団にしていかなければいけない。
つまり、周りの理解や共感、受容こそが大切なのだと思います。
それはこれからますます多様性が重視される国際社会になくてはならない感覚のはずです。


私のクラスの学級通信のタイトルは、毎年変わらず「絆」です。
どんなに技術が進歩し、AI化が進んだとしても、人が社会の中で生きていく以上、人と人が関わり合って生きていく以上、根本の部分で大切なことだと信じています。そういった生きていく上でとても大切なことを、子どもたちと共に学び続けられるこの職業を尊く感じます。


最後に有名な相田みつをさんの詩から。

セトモノとセトモノと
ぶつかりッこすると すぐにこわれちゃう
どっちか やわらかければ だいじょうぶ
やわらかいこころをもちましょう
そういうわたしは いつもセトモノ

相田みつを「セトモノ」より

言うは易し・・・。
油断すると、すぐに自分の心が「セトモノ」になって、ついまたぐいっと自分の方に引き寄せそうになってしまいます・・・。「やわらかい心」を持とうといつも自分に言い聞かせているんだけれど・・・。

そんなときには、また深呼吸して、
見えない糸が切れないように、
糸を常に弛ませておくために、
自分から一歩を踏み出す勇気や余裕を持ちたいです。

そうして、少しずつ自分とつながる糸を増やして、張り巡らせて、束ねて、強くしていけば。自分自身と子どもたちの笑顔のために。

つばっち_川原翼@神奈川

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