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SEAT NO.1C バク君と一緒ですが、なにか?


ヨーロッパに飛ぶ為のチケットは、
会社が手配したものだった。
座席の位置をキチンと確認せずに、当日を迎えた。

向こうでの新居は、もう決まっている。
ーー行くしかないーー


忙しかったのだ。本当に忙しかった。

直前までの仕事。
海外引越しに伴う荷物の搬出、国内倉庫での預かりの荷物の搬出、粗大ゴミの処分、市役所の手続きに、部屋の引き渡し…1人でこなすには、
やる事が多すぎる。


当時ヨーロッパでは大規模に噴火している火山があり、空の便は大混乱していた。


今、賃貸の部屋は空っぽ。
エアコンもガスコンロもない。

荷物はスーツケースとサブバック1つ以外、
なにも無い。

部屋を開け渡し、鍵を返さなければならない。
もう転出届けは出してある。


本当に文字どうりの、崖っぷち。
朝から雨だし。
出発前から泣きたい…泣いた。


時期は4月末。世の中は、春の慌ただしさが
ひと段落した、GW に突入する直前の
ウキウキモードの時期だった。


前泊のホテルに入り、友達や知り合いに
最後の挨拶メールなどを送り、
初めての10時間越えのフライトを耐える為の
ぬいぐるみ「バク君」を撫でていた。

〔 ZOOといっしょ ひやしばくら 
本当はぬいぐるみではなく、冷やした
保冷材をお腹に入れて使う〔枕〕である。

幼児が使うくらいの大きさで、スポッと被せる腹巻きをしている。腹巻きを取ると、お腹に割れ目があって保冷材が入れられる構造になっている。


この子に、旅のお供をしてもらうのだ。


いざ、成田から出発。

なんだか、いつもより丁寧な案内係りが付き添ってくださる。

サブバックも、持ってくださったりして…
 (あの、その中は…バク君しか入ってませんので
   大丈夫なんですけど…重くないのですが…)


機内に入ってびっくり。
機内で1番前の席だ。
フライト中は、担当のCAさんがついてくださるそうだ。


ほぉ〜そんな、滅相もないことでございます…
自分とバク君如きに、御丁寧に御名刺など…


ーーバク君をお預かりしておきましょうか?

いえいえ、せっかくですが、お気持ちだけ
頂戴いたします。バク君は、ずっと膝の上が良いと申しておりますゆえ、何卒宜しく……


1番前の席とはいえ、狭い機内のこと。
既に隣には他の方がいらっしゃるではないか。

怪訝そうな顔でコチラの会話を聞いている…。

お願いです、不審者認定しないでください。
自分とバク君は、全く怪しくないですから。
ただの飛行機嫌いです。乗りたくて乗っている
のではないのです、乗らなくてはならない訳でして…


説明出来ないのがもどかしい。
いっそのこと、言ってしまおうか。

しかし小脇に紫色の枕「バク君」を抱えた大人が

「実はですねぇ、自分は飛行機が大の苦手でしてね。酒も呑めないものですから酔うわけにもいかなくて、こうしてバクのぬいぐるみを撫でて
気を紛らわせているってやつなんですよ。
イヤ〜向こうに着くまで、ひとつどうぞ宜しく」

ーー言えないーー


とりあえず、丁寧にゆっくりと一礼しておこう。

ここから約12時間はお隣様と御一緒だ。
バク君も嫌われないように、キチンと抱っこして。


酒も呑まず、一睡も出来ず、懐石風の食事も喉を
通らずのフライトは、やっぱり降りた時はフラフラだった。

噴火の影響でエンジンがやられずに無事に
着陸できたことを感謝した。

フライト中に撫で過ぎたせいで
肌荒れを起こしたバク君を小脇に抱え、
スーツケースを転がしてゲートを出たら、
そこには嘘みたいに広い空がド〜ンとあって、
どんよりしてた。

あ〜ぁ、来ちゃったな、とうとう…。

船便で送った他のぬいぐるみ達が到着するまで、
バク君は、枕元で毎晩頑張ってくれた。
部屋の中で、持ち歩かれても全然平気。
抱き心地バツグン。

今も横に居る、バク君。

我が家の子達は、飛行機と船旅に慣れている。
でも、もう無理はさせない。
そう決めたんだ。



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