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普段無意識でやっていることを如何に意識的にするか。


 Sigmund Freudが述べるように、意識というのは氷山の一角なのかもしれない。

素人の私がこうして文章を書いているときも、全ての単語を意識的に選んでいるわけではない(本来は全て意識的に選ぶべきなのかもしれないが)。

「感覚」というもので、コロケーションで、結束性で、無意識的に言葉を選んでいる、あるいは選ばされている。

意識的に行っているのは、構成を考えることのみ。まぁ、構成すらも下手なのだが。

では、この意識を如何に拡げていくか。

如何にして、

「普段、無意識に行っていることを意識的に行うか」。

第1に自分の行動が無意識的に行われたことを認識することから始まる。

数学の問題を解くときにしろ、英文を読むときにしろ、無意識に行うことはよくあるだろう。

数学の問題を見たとき、解いたことのある問題との表面上のアナロジーから解法を無意識に選択して、うまくいかなかったり、

英文を読むときに、伊藤和夫師のいう「予測」のようなことを文法からではなく、経験から行い、「修正」を失敗したり、多田正行師のいう紋切り型公式主義の敗北を経験したり、

無意識が故の失敗を経験したことのあるものは一定数いるだろう。

どんな形に変形するために計算するのか、何の情報が必要なのか、自分の知っている問題とどの部分が異なっているのか、解法の選択肢として何があるのか、何が条件で何を求めるのかを意識したり、

解釈の可能性として文法的にはどんな訳が考えられるのか、どれがどれに表現リレーされているのかなど意識したりして、

避けることのできる失敗は少なくはない。

第2に、言語化(あるいは視覚化)が必要であると思う。

ワーキングメモリの限界のことを鑑みると、どんな形を目標にするのか、何を示すのかなどのことをメモしたり、英文にスラッシュやカッコ、丸囲みなどで何を考えたか見えるようにすることは意識的に問題を解いたり、英文を読んだりする役に立つと思う。

こうした認識、言語化によって、フロイトの言う前意識を意識へと浮かび上がらせるが如く、意識を拡大していきたい。

そんなことを考える今日この頃。
















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