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澁澤龍彦好き愛してる。寺山修司も好き。中井英夫、二階堂奥歯も好き。三島由紀夫と誕生日が…

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澁澤龍彦好き愛してる。寺山修司も好き。中井英夫、二階堂奥歯も好き。三島由紀夫と誕生日が同じ。 元理系文学部生。

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自己紹介(2024年版)

《自己紹介》 好きな人は澁澤龍彦。好き愛してる。彼がいなかったら、私はどんなにつまらない人間になるだろう。 二階堂奥歯嬢や寺山修司、中井英夫、南条あや嬢、村崎百郎、鶴見済、青木正明も好き。 村上春樹より村上龍が好き。 『ノルウェーの森』のような沼のように静的なものより「限りなく透明に近いブルー』のような動的なものの方が好き。 つらい時に読むのは澁澤龍彦の『快楽主義の哲学』や南条あや嬢の『卒業式まで死にません』。 寝る前に読むのは澁澤龍彦の『フローラ逍遙』 唐十郎が

    • 自殺の影響

      先日、話してて久しぶりに昔の友達のことを思い出したので、忘れる前に書いておくことにする。 人間が忘れる順番は「聴覚、視覚、触覚、味覚、嗅覚」の順番らしが、僕はすでに彼女の匂いすら忘れてしまった。 でも、まともに、すなおに、胸いっぱいに受け止めた死の痛撃が原因なのか、彼女の最後のことばは脳裏にこびりついている。 「助けを求めるだけ無駄で自らで解決するしかない。誰も信用できないけど、誰かに助けてほしかった。」 強烈な見捨てられ体験、自己の外の対象から見捨てられるというだけ

      • この世界に因果なんてありはしない。

        「結果には、すべて原因がある」 と言ったのはガリレオ・ガリレイであったか。 因果律といって、あらゆる出来事は何かしらの原因から生じた結果であり、原因なしにはいかなるものも生じない法則のことである。 しかし、私は因果律を信じてはいない。 きっと世界には因果なんてなくて相関しかない それを人間が解釈するだけである。 因果や対比、同値関係なんてきっと世界は定めていない。 例えば、 高校の物理の教科書では気体分子運動論を説明してから熱の理論を説明している 理想気体の

        • 衛生観念の変遷

          フランスの衛生観念15世紀中期  貧乏学生「プラッター」の手記より 「一部の下層市民と同じように、学生は学年に関係なく害虫がわくのであるが、その量がどれほどのものであるかは、おわかりいただけまい。~(中略)~特に夏はオーデル川の岸辺でよくシャツを洗ったものである。シャツを木の枝に干して乾くのを待つあいだ、服を掃除して、地面に穴を掘り、山のような害虫の死骸を埋め、土をかけ、十字架をかけた。」 16世紀中期  当時の衛生指導書 「医学的な理由でどうしてもやむを得ない場合をの

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        自己紹介(2024年版)

          人生に目的なんてありはしない。

          人生に目的なんてものがあると信じて疑わない者がある。 声を大にして言いたい。 人生に目的などありはしないのだと。 君は何のために生きているのか? この問いに答えられるのは熱心な宗教家だけさ。 そもそも僕らは自らの意思で生まれてきたのではない。 2018年に話題となったシラノ・ドベルジュラックの言葉を借りれば、 「この今の時代を見たいか、あるいは別の時代まで待つかときみに訊ねただろうか。」 「きみが愚か者の子に生まれても我慢するか、あるいは立派な人物の子に生まれ

          人生に目的なんてありはしない。

          英語で文脈から推測なんてのは時間の無駄。~S.M先生

          以下は一部編集しており、正確な発言ではないことを先に断っておく。 「まぁ、これって、これも言わなきゃいけないんですけど、おおっ、ねっ、っていうわけで、depend onって言ってるんだよね。「かかっている」、日本語だったら、「✕✕にはるかに多くのことがかかっているのだ」。まるまる、まる。それでいいですね。at stakeって、なかなか訳しにくい言葉だけど、それでも正解です。「危ないことにね、危機に瀕しているのだと、危ない目にあっているのだ」、OKです。それでもOKですが、d

          英語で文脈から推測なんてのは時間の無駄。~S.M先生

          「三角関数より金融経済を学ぶべき」「古典は不要」

          これまでのnoteの加筆修正中なので、アクチュアルな事象についてだが、一度書いているから、改めて書き直すことにする。 「三角関数より金融経済を学ぶべき」 という話がTwitterで話題となった。 なるほど三角関数は実生活でほとんど使わないから、それなら直接役に立つ金融経済を学ぶのに時間を割いた方がいいというわけだ。 一見理にかなっているように見えるかもしれないが、 僕には、無駄に終わりそう思えてならない。 というのも、学び方が変わらないかぎり、金融経済を学んでも三

          「三角関数より金融経済を学ぶべき」「古典は不要」

          3.11後の世界を生きる

          80年代後半には「世界の終わりブーム」があった。 五島勉の『ノストラダムスの大予言』が流行り、 前世少女がハルマゲドにそなえて仲間を集めはじめたり、 子供たちの間では暗い噂話が広がっていたりした。 結局、1999年7月に空から恐怖の大魔王は降りてこなかった。 21世紀はちゃんときた。 99年3月30日になくなった南条あや嬢が生きなかった2000年は当たり前かのようにやってきた。 そして2011年3月11日にデカい一発がきてしまった。 信じて疑わなかった安全神話

          3.11後の世界を生きる

          名前なんかいらない

          名前を付けるという行為は、世界を分節化する行為である。 連続体である世界を名前によって分類、整理することで、ヒトは物事を理解しようとする。 ペットや人形に名前を与える人もいる。 確かに、佐々木嬢も「クトゥルーちゃん」や「ホームズ」と名付けていた。 なかには、家電に名前を付ける者もいる。 トースターが「山崎」、冷蔵庫が「芝山」、掃除機が「富永」、机上の読書灯が「森」、テレビが「吉村」、パソコンが「ヒロミ」と命名した者もある。 名前に関して個人的に、特に印象的なものは

          名前なんかいらない

          愛をめぐる断片~澁澤龍彦・三島由紀夫を中心に~

          知人が言うに 「『だから』が恋であり、『だけど』が愛である 限定が恋であり、譲歩が愛である」 彼女の論に則すると、私の澁澤龍彦氏への気持ちは恋であり、愛である。 すなわち、恋愛なのかもしれない。 常に成長し続ける作家である澁澤さんが好きであり、4回も堕胎させた澁澤さんだけど好きなのだから。 彼女との話をきっかけに愛ついて少し思ったことがある。 愛とは何か。 愛を定義することが困難なのは言わずとも知れたことであろう。 生理学者の説く愛と哲学者の説く愛、心理学者

          愛をめぐる断片~澁澤龍彦・三島由紀夫を中心に~

          ご報告

          私がnoteを始めてから2年経ちました。 今年1年はあまり書けずなかったのですが、 私生活もひと段落しましたので、そろそろ書き始めていきたいなぁと思ってます。 つきましては、計120の記事を非公開にして修正あるいは加筆していこうと思います。 今改めて読み返してみると違和感を感ぜざるを得ず、この1年で良くも悪くも文体が変わった気がしてならないのです。 日々思ったことあるいは読んだ本、見た芝居、訪れた場所等について気ままに書いていきたいと思います。 また1年間よろしく

          普段無意識でやっていることを如何に意識的にするか。

           Sigmund Freudが述べるように、意識というのは氷山の一角なのかもしれない。 素人の私がこうして文章を書いているときも、全ての単語を意識的に選んでいるわけではない(本来は全て意識的に選ぶべきなのかもしれないが)。 「感覚」というもので、コロケーションで、結束性で、無意識的に言葉を選んでいる、あるいは選ばされている。 意識的に行っているのは、構成を考えることのみ。まぁ、構成すらも下手なのだが。 では、この意識を如何に拡げていくか。 如何にして、 「普段、無

          普段無意識でやっていることを如何に意識的にするか。

          改めまして

          4月になったので改めてご挨拶申し上げます。 4月になり周りが大学生になったり、社会人になったりする中、 敢えて無職という道を選び、 こうしてnoteを書かせてもらっています。 寺山修司の言葉を借りるならば 「人生は汽車に似ているな」。 一本汽車を見送り、敢えて遠回りをする私はきっと恵まれている。 閑話休題 4月になったということで本格的に活動を始めていきたいと思います。 といっても毎日投稿は不可能ですのでnoteは最低でも週一回程度を目標に書いていきたいと思

          改めまして

          自己家畜化と攻撃性の移行

          チンパンジーの雄は雌に対して暴力的である。 雌に対して暴力をふるい、怯えさせてから交尾する。 これに対して、人間はどうだろうか? それを現実世界で行うヒトは、DV男などと侮蔑されている。 幼少期からの教育によって、僕らは当たり前に暴力をインモラルなものと捉えている。 人間の家畜化 というほどのことではないけれども、人間の攻撃性は丸くなった。 こうなった原因の一つに「処刑」が挙げられる。 よくある処刑仮説の話ではあるが、 狩猟採集民であるヒトの集団は、暴力的に

          自己家畜化と攻撃性の移行

          雨夜のドライブの記憶

          幼い頃から寝るのが遅い子供であった。 夜眠らないと、よく母がドライブに連れていってくれた。 ドライブといえば大袈裟であるが、車で外に連れ出してくれた。 20分ほど車の助手席に乗せてもらい、揺られながら、 家に着く頃には寝てしまっていて、気づけば布団の中で朝を迎えていた。 夜の外は幼いわたしには新鮮なものであったのだろう。 今でもなぜか、雨夜の対向車のライトの淡い黄色い光が脳裏にこびりついている。 この幼い頃の経験が原因かは分からないけれども、よくバスや車で揺られ

          雨夜のドライブの記憶

          北海道ってどこにある?

          幼い頃、といっても4、5歳の頃だったと思う、 「北海道は上のほうにある」 といわれたとき、空の上に北海道があると考えていた。 なんせ、地図というものを見たこともなく、身の回りの狭く閉ざされた世界しか知らなかったから、 世界は階層構造で、どこかに坂あるいは階段や梯子があり、上ったり下がったりするものだと思い込んでいた。 上に北海道があるのに、なぜ太陽の光が当たって明るいのか なぜ遠くの上の方を眺めても坂、あるいは階段は見えないのか とても不思議であった。 また周

          北海道ってどこにある?