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第一話 記憶の最初(絵にまつわる話)

 少女漫画の真似事をするくらいだから絵を描くのは好きだった。
父が趣味で油絵を描いていたから函館の元町から港を見下ろす場所で一日中スケッチに付き合わされたこともある。

小学校2年生頃から、妹と二人で函館の青柳町にある公民館で毎週日曜日の10時から始まる子供の「絵の教室」に通うようになった。
外人の目元と白髪のくせ毛を持つ先生はサンタクロースのようなおじいちゃんだった。黒板にチョークで果物とコンポートの絵を描いたのを、子供たちが画用紙に起こすやり方で、生の果物を見て描いたわけじゃない。
リンゴやミカンやバナナを想像してコンポートに盛って好きなように描くのだ。先生が時々モデルもしてくれた。顔を描く時、黒い色で輪郭を描いてはいけないと何度も言われた。小学生が20人もいたろうか。

古い石造りの建物の半地下室に作られた長テーブルのある教室だ。冬は温まった部屋に温水暖房器のしゅんしゅんという音が響いて、居心地がよかった。絵が出来上がって先生のところへ持っていくと、画用紙の裏に大きな丸と感想を書いてくれた。最後に抱き寄せられて頬にキスをする儀式があったけど、それが苦手でするりと抜けようとして、なおさらきつく抱きしめられた。子供好きだったんだろう。

その頃、函館山の麓の谷地頭町にある官舎に住んでいた。ここから函館公園のある高台へゆるやかな坂道を登る。左手に旧函館図書館を仰ぎ、右側は海が見渡せて500メートルほど先に住吉浜がある。公園中央の広場の花壇をぐるっと回り、石川啄木の歌碑がある摺鉢山を登る。公園を出て潮見中学校のある崖下の道を通り、護国神社を控えた坂の上側に位置する公民館への道のりは折り畳んだ地図を広げるかのように簡単に記憶を呼び戻すことができる。

絵の教室に通うのが楽しかった。近くには玉ねぎ型の屋根を持つハリストス正教会と、赤い屋根のカトリック教会と大きな黒い翼を広げた屋根の東本願寺があって、天気が良い日には先生に引率されて描きに行った。小学生ごときが贅沢なモチーフの描き放題であったのだから今から思えば幸せなことだった。

自分の心の揺れに敏感で悩みが深くやせっぽちの私は小学校へ通うのが苦痛だった。
絵の教室のある日曜日は、誰に遠慮することなく呼吸ができて、自分を取り戻せるかけがえのない時間だったように思う。

※絵の先生は岩船修三氏(1908~1989)

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