黒い雨


5月末にG7広島サミットが開催された。


わたしはニュースで何となく耳にするくらいでサミットなんて特段気にも留めていなかったのだが。


広島で開催された意味とか、各国首脳に自らの被爆体験を話された小倉桂子さんのインタビューを聞いて、とても考えさせられた。


そこで思わされたのは、現存する被爆体験者の方々は、あと20年もすればほぼ消滅してしまうということだ。


実際の体験をご本人たちの口から聞けるチャンスなんて、もうほんの数年しか残されていないということなのだ。


そう考えたら何が何でも早急にいろんな人の話を聞いてみたい、といてもたってもいられなくなってしまった。


しかしながら、自分の居住地域は首都圏。広島、あるいは長崎まで行くのなんて容易ではない。仕事も家庭もあってなかなか自分の思いだけではどうしようもないのが現状。


とりあえずYouTubeにあがっている被爆体験の話を聞き漁ることしかできないが、狂ったように聞きまくった。


本当に知らないことばかりで、果たして今の日本人のどれだけの人があの凄惨な出来事を正確に把握しているのだろうか。


1945年8月6日。午前8:15。朝から気温が高くあの日は雲一つない晴天だったという。


何の前触れもなくその瞬間はやってきた。突然まばゆい光が差したと思った瞬間、聞いたこともないような轟音が轟渡り、気づいた時には何十メートルも吹き飛ばされる。


その瞬間に吹き荒れた爆風は、最大で秒速280メートルにも達したといわれている。


台風のニュースで沖縄などが風速60メートルかなんかでレポーターが立っていられないというような光景を見たことがあるが、そんなの比じゃないことがよくお分かりいただけるだろう。


さらに原爆が投下された直後の地上表面温度は、3000℃~4000℃。鉄が溶ける温度が1500℃と言われているから、それの2倍。


そんなのが街を襲えば人体などひとたまりもなかっただろう。文字や言葉で理解したとしても、実際に体験していないのでその時の恐ろしさを理解するなんて、到底できないのだが。


晴天だった街は一瞬にして夜の様な闇に包まれ、その後原爆によって巻き上げられたチリや有害物質を含んだ黒い雨が降り注いだ。放射能を浴びて重い脱水症状に陥った人はその黒い雨でのどの渇きを潤したという。


街には、爆風によって焼かれた人々が助けを求めてさまよい歩き、手を前にして指からは皮膚がただれ落ち、その姿はまさに幽霊、ゾンビそのものだった。


水をくれ、水をくれと繰り返し絞り出すような声で人々は水を求めた。しかし大人たちは決して水をあげてはいけないと口々に言ったんだとか。


小倉桂子さんは、被爆体験時8歳。何もわからず水を求める人に大急ぎで水を汲んで渡してあげたそう。しかし渡しその人が水を飲んだ瞬間、小倉さんの目の前で死んでいったそう。


その光景がずっと小倉さんの人生に重くのしかかり、今なおトラウマとなっているとおっしゃっていた。


皮膚がただれ落ちて人々が廃墟となった街をさまよい歩く光景なんて、自分の想像力ではちょっと理解できないでいる。真っ黒になった赤ちゃんを抱いたままあてもなく歩いていた女性。こんなことが78年前に現実にここ日本で起きたんだ…。


こうやって一瞬のうちに犠牲になった人たちに、核はまだあるのかい?と聞かれたときに、世界に一つもないよってまだ言えない世界。


私自身も、核はそりゃ、あるよりない方がいいよねってくらいにしか思っていなかった。


でも絶対にこの世界からなくしていかなきゃいけないなっていう思いに変わった。


あわよくば語り部とかになってみたいな。そのために今、自分に何ができるか少しずつ考えていこうと思う。


原爆の黒い雨にインスピレーションを受けて作った曲がソドムの炎という曲なんだけど、作った時はまだ全然理解力が足りなかったな。


ソドムの炎はこちらから↓

https://youtube.com/watch?v=_8OaAzownXE&feature=share8


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?