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その選択の代償

もう16年も前のことを振り返りながら綴るので、覚えていることと当初に多少の齟齬があるかも知れません。ご了承ください。

大会で「勝ちたい」と思った時、自分たちのベストパフォーマンスとは決して言えない内容であっても、難易度を落として完成度を優先されるという選択は、ありだと思いますか?なしだとおもいますか?

難易度も高くて、完成度も高いパフォーマンス。

そんなことができれば最高だとは思いましたが、
今できることを優先させ、自分のソロパートの難易度を下げて、全体の完成度を上げることで勝ちにこだわった、そんな話を書こうと思います。

書こうと思ったきっかけ

そもそもなんでこんなことを書こうと思ったのか。
その経緯から書きたいと思います。
こういう #お題note 、あまりやってこなかったのですが、
書いてみようと思ったのは、あの頃感じていた蟠りだったり、
モヤモヤしていたことが未だにフラッシュバックすることがあって、
自分の中で片付いていないんだと思います。
だから、時を経て振り返ること浄化につながればなと思って書いてみます。

はじめに

ダブルダッチやっています。
(最近ぜんぜんやっていないけど)

ほんと学校やバイト以外はダブルダッチのことばっかり考えてて、暇さえあれば、四六時中、縄を回してました。

ただ、ダブルダッチはチームでやるもの。同じ想いを紡ぐメンバーでないとなかなかできないし、チームメンバーが1人でもかけたらチームとして成立しない、そんなことをおもっていました。当時は。

遡ること2004年。
当時「和」(なごみ)というダブルダッチのチームで活動していました。

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今ではそれほど珍しくはないと思いますが、
メンバーの年齢も通っている学校もバラバラ。
練習は代々木公園で日が暮れるまでということが多かったです。

新設された大会で、はじめて「優勝」を意識した

和で活動するようになって1年が過ぎた頃。
2004年の夏の終わり、関西ではじめてダブルダッチの大会が開かれました。

Double Dutch West Japan Cup

今のDouble Dutch Delightの前身のようなものです。
検索かけてもヒットしない。
知らない人の方が多いんじゃないかと思うくらい前の話です。

当時、ダブルダッチの大会は今ほど開催されてなく、
年1〜2回程度でした。

そんな中、新しい大会の開催決定。
しかも、優勝できるチャンスがある。
たしかに胸がおどりました。

その一方で、大会までのメンバーのスケジュールを確認した時、
ことごとくメンバーの予定が合わず。
正直満足のいく練習日の確保ができない状況なのは明白でした。

ただ出るだけなら「大会に出ない」

メンバーは「新たにパフォーマンスを作り直して出たい」といいました。

ただ、パフォーマンスの構成の組み立て、
実練習、本番までに完成度あげて行くまでにかかる時間を考えると、
どうがんばってもスケジュールに無理がでることは分かっていました。

出るだけの思い出作りだったら、それでよかったのかもしれません。
出来次第では、優勝を狙える大会でした。
悩んで悩んで、悩みぬいたあげく、

「出るなら今あるパフォーマンスの構成を改良する形にに留める」
「新しいパフォーマンスで臨むなら私はでない」

伝えて、仲間の気持ちや想いを一刀両断しました。
とかく、そんな権限があったわけではありませんが。

そりゃ新しいことやりたいですよ。
けれど、時間も限られている。しかも、勝てるチャンスがある。

チームのメンバーは納得してくれたかどうかはわからないけれども、
結局元のパフォーマンスを少し改良する形で大会に参加することが決まりました。

進む大会の中で選んだひとつの決断

大会は水もの。
とはよくいわれたもので、勝てるチャンスが本当に巡ってきました。

絶対的な優勝候補とされていた日体大のチームが、
本番のパフォーマンスでミスを連発。
客席から見ていても緊張が走りました。
和も本番でミスをする可能性がゼロではありませんでしたから。

でも、勝てるチャンスが巡ってきた。
素直にそう思いました。

ミスを限りなくゼロに近づける術と言うのは、
日頃の練習で常々考えてました。
本番までの練習で、どこが引っかかりやすいか。
直前に変えても影響がない箇所はどこか…とか。

直前の練習でもどうしても通らなかった箇所。
それは私のパートでした。
本番までの限られた時間で迫る判断。
(自分にとっての)難易度を落として縄を確実に通すか。
それは、ぱっと見たは違いがそれほどわからない程度のものでした。
けれど、その選択をすることで、勝てるチャンスは確実に上がる。
「勝つために難易度を下げる」そんな選択をしました。

勝ちは勝ち。でも

本番はミス0というわけにはいきませんでしたが、
最小限に止めることができました。
私が選んだ難易度を落としたパートもミスなく通りました。

順位や採点に関しては当時は今ほど明確な開示がなかったため、
賛否はあったと思います。

けれど勝った。和の優勝。
正直、鳥肌がたちました。

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優勝候補とされていたチームが完璧なパフォーマンスではなかったこと、
和が勝つために難易度を落としたことが、
相対的な完成度の高さにつながったんだと思ってます。

流した涙は本当のところ

はじめての優勝。
優勝カップの重さがズシンときました。

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舞台でMCからコメントを求められたとき、
いろんなことを思い返して、ことばに詰まりました。
よろこびに満ち溢れた嬉し泣き、男泣き。
まわりには、そう映ったかもしれません。

けれども、その涙、本当のところは、
嬉し泣き以上に、悔しさの方がありました。

勝つために、決断した、「難易度を落とす」という選択。
「あの選択は本当に正しかったのか。」
そんな問いは、しばらく続きました。

例えばあの時、メンバーの希望を汲み取って、新しいパフォーマンスの構成にして臨んだらどういう結果になったのか。

正直16年経った今でも正解はわかりません。

ただ、あの時、「勝ち」にこだわって決断した選択の代償として、
16年経った今でも「悔しさ」を象徴する大会となりました。

@riceballrockets

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