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震災の記憶

すずめの戸締まりという震災を扱った映画をみた。震災をテーマにすることに対しては賛否両論あるらしいが個人的にはかなり大きな影響があっていい映画だった。せっかくなので震災の記憶を思い返しながらまとめていこうと思う。

震災の日はたしか金曜日。終業式の日だったのかな、授業が午前中に終わる日で最寄駅から実家まで自転車を押して帰っているところだった。
京都だったので揺れたかどうかもわからず、当時遠距離で付き合っていた彼氏(千葉の九十九里浜の近くに住んでたので結構やばそうだった)からのメールでどうやらやばい地震がきたらしいことを知った。何が起きたのかよくわからず、ただただテレビに無限に流れてくる津波の映像を見続けていた気がする。テレビをつけたらどのチャンネルも津波、津波、地震、津波。
親曰く「前の天皇陛下が亡くなった時もこんな感じだったし、その時に比べればまだマシな方」と。CMはACのぽぽぽぽ〜んに変更されてニコ動ではぽぽぽぽ〜んを編集した動画が流行ってたし、ネットがある分そこまで以前よりは心理的に追い詰められにくい時代に生きているのかもしれない、とか考えてた。
地震や津波の被害が一通り明らかになり報道し尽くした後のニュースは原発に移ったような気がする。地震の影響で原発の核燃料の温度が上がったとかどうとか。なので、水をかけて冷やす必要があるとか。核エネルギーを利用するのはかなり注意を要さないといけないことぐらいはわかっていたが、それ以上の知識もなく、下手したらこの窮地に追い討ちをかけて外国からミサイルをそこに落とされてしまえば日本まるごと吹き飛ぶのではないかとか考えて少し怖くなっていたような気もする。
そんな中で核燃料の温度を下げるために自衛隊が抜擢されたようで、テレビではその活動をとりあげていた。特にヘリで原発の上から水をまく映像が衝撃的で、「そんなことやっても少ししか変わらないのに、仕事とはいえ命をかけてやってくれる人がいるんだ…」とか「ほぼ無駄とわかっててもやらざるを得ないぐらい希望が少ない状況なのかな」とか色々想像して胸が熱くなった。当時のヘリの操縦はかなり難しくほぼ不可能だと言われた作戦だったと後で知ってさらに驚いたのもあって自分の中では印象的なシーンになっているのかもしれない。
父の知り合いの学者仲間達は「放射性元素の半減期から考えると東京からも離れた方が良い」と早々に判断し、地方に引っ越していった。それを聞いて本当に危険な量の放射性物質が存在しているのか、Wikipediaを駆使して調べたが人体のしくみも含めて考えないと到達できないような知見だったのでよくわからなくて諦めたような覚えがある。専門家しか知り得ないけども大切な情報は、自分の想像以上に世の中に散らばっていることを初めて実感したような気がする。被災地の情報も遅れて知ることしかできなかった状況も相まって、情報の断絶の怖さのようなものを感じていた。

別に自分なんかにできることなんてないのに、「こんな時、何か私にできればいいのに」と、強く強く感じた。でも、自分の中の別の冷静な自分はその思いに対して、「あんな大変な仕事は選ばれた高尚な意志を持った人間がやることで、失いたくないものが多すぎるちっぽけなアンタなんかじゃできっこないよ」「マザーテレサじゃないんだからさ」って、冷やかしてきた。
でも、それでも何か少しでもできたらいいのに、と、ただ夢中で当時やっていたTwitterのアカウントでタイムラインに流れてくる人探しや有益情報の載ったツイートをRTした。それぐらいしか関わることができない自分が不甲斐ないと、なぜか思った。理由は未だにわからない。

それからの日々はあまり詳しく覚えていないが、少しずつ復興していく被災地の様子を時折ニュースで見ながら、いつか日常が壊れてしまう時がきても構わないようにと以前よりも物を長く使うようになったような気もする。服を捨てるのでさえ忍びなく感じてなるべくリサイクルショップに出したり必要な人にあげたり。

そんな組織に入ってはや9年目。来年で10年目の節目に当たるわけだけど。
あまり実感がないような、ちょっとはあるような。
入ったきっかけはそういった活動に参加したいというような立派なものではなく、単に少しでも早く相性の悪い母から自立して自分だけの力で何かを始めてみたいだとか福利厚生が整ってるからだとか弟に学費がかかるだろうから自分に学費を使わせるのは申し訳ないだとか、そういう自分本位な理由だったけど。何年も過ごすうちになんだか自然とそういうことにも興味が出てやる気になってきたという感じで…。
それでも元々体が丈夫な方じゃないのもあって相変わらず体力はみんなより少なくてヘボいし、得意としてた勉強だって社会人になると身の回りのことをこなしながらやらないといけないので遅れてる部分もあるし。日々の仕事の中には地味すぎて「これほんとに必要?」ってなるようなものも時々あるけど。障害由来のものや家族関係からくるものも含めた自分の不甲斐なさにムカムカしたり悲しくなったり絶望する日もまだあるけど。
それでも誰かのためになっているのかもしれないし、見てくれてる人は見てくれてる。誰も見てくれてなくったって、恩を深く感じてる組織には自分の強みやできることを通して報いたいって気持ちも確かにあるし。時々活動を人に取り上げてもらえたりもして嬉しくなっちゃったり。まあ、他の人からみたらどう思われるかよくわかんないけど、よくもわるくも色々と混沌とした仕事だし誰かがやらないといけないことなんだよね。

などなど、色々ぼんやり思ってたところを、映画の中の「大事な仕事は、人から見えない方がいいんだ」というセリフでシャープに言語化されて、思わず涙が溢れてしまった。
他にも自分に刺さったセリフとしては「こんなに大切な記憶なのに、どうして忘れていたんだろう」という主人公のセリフ。
映画を見ている最中に、震災の当時のことや自分にしか見えないところで起きている問題を解決するために奔走した記憶がありありと浮かび上がってきて、こんなにも記憶があったのか…と今まで溜め込んできた自分自身にやや驚いていたところにそのセリフがきたので、色々と見透かされているようで、少し怖かった。
また、今の仕事についてから半ば当たり前のように災害について日々考えている自分の中に、仕事を始めるきっかけの原体験となりうるような記憶があったことに驚いた。
それと同時に、大切な(≒心理的負荷の大きい)記憶だからこそ、ずっと覚え続けたまま日常を過ごせるようなものではないから、必要な時にしか記憶の扉が開かないようにできているのかもしれない、とも思えて納得した。大切なことを普段忘れてしまっている自分への罪悪感、のようなものが薄れていく気がした。
小さい頃通っていた分校が閉鎖になった時のつらさも、近所の遊園地が閉園された後を見に行ってもの悲しくなったことも、初めて上京した時に新幹線が動く速さに驚いたことも、新幹線から富士山が見える度に写メを撮って祖母に送ってあげていたことも、全部当時はいつまでも覚えていようと思っていたのに忘れていた。けど、この映画を見てありありと思い出すことができた。自分の中ですっかりと消えてしまったわけじゃなかった。

今年の自分の中のテーマは「捨てる」「手放す」ことだった。
「もしかしたらコレも必要かもしれない」「いつか使うかも」と不安になりながら溜め込んだ、自分の周りにくっついている余計なモノをある程度捨てていけていたからこそこの映画を新鮮に受け取れたような気もする。
何をするにも、結局必要なのは、今の自分が何をしたいのかというビジョンとそれを達成するためのものであって、そのために必要なものは思ってるほど多くないのかもしれない。大切にしすぎて使えなくなったものを握りしめているばかりじゃ新たな可能性も掴めないな、と実感した。
来年は、今年荒削りしても取れなかった細かなゴミをさらに綺麗に削り取って、日々をより楽しく過ごせて行けるような自分になったら良いなと思う。大切な記憶は胸の奥底にしまいこんでおけばいいんだし。

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