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斜線堂有紀の恋愛短編「星が人を愛すことなかれ」

既刊「愛じゃないならこれは何」がコミカライズ決定している、斜線堂有紀さんから恋愛小説短編をいただきました。地下アイドルグループ・東京グレーテルの元メンバー・雪里は、人気Vtuberとして転生した。恋人を捨て、将来を捨て、すべてを配信に捧げる雪里が振り絞った”生”。令和の今だから生まれた最強短編、最後の1行までぜひ読んでほしいです。


星が人を愛すことなかれ



 羊星(ひつぼし)めいめいになってから、時間は何よりも価値のある資産だ。一時間あればサムネイルが作れる。Shortの作成が出来る。後回しになっている動画の編集が出来る。突発雑談配信が出来る。一時間は無限大だ。
 だから、五年付き合った相手との別れ話でも、長谷川雪里(はせがわせつり)はずっと時計を気にしていた。ここから先には何もない。だったらどうしてここにいる?
 いっぱい傷つけちゃってごめんね。今までありがとう。龍人(たつと)と過ごした日々は私にとって大切な宝物だよ。ちゃんと反省してる。今までありがとう。うん、これ以上傷つけたくないから。今までありがとう。これからも良い友人でいられたら嬉しい。今までありがとう。……これ、何回言ったら終わるわけ?
 別れ話なんだから結論は別れるしかあり得ないんだし、ここから引き下がるつもりも特に無い。龍人だって雪里とこのまま続けていくつもりはないんだろうし、これ以上話し合いを続けていても時間の無駄だ。これ、何かに似てるなぁと雪里はぼんやりと思う。あれだ。何にも心に響かない時の、先生のお説教だ。五年間の末にもたらされるものがこれだと考えると、雪里はそれこそ悲しかった。積み重ねられるもののない、成果の無い時間が苦手だから。
「……それ以上、なんか言うことないわけ」
 龍人はまだ不満げに雪里のことを睨んでいる。
 正直な話、雪里からしてみればこれ以上何を言えばいいのか分からない。今までありがとうを何回言ったと思ってるんだ。その感謝の気持ちは嘘じゃないのに、別れ話が長引けば長引くほど、その気持ちも薄く伸ばされて消えていきそうだった。差し当たって、雪里はしおらしく言う。
「私には何も言う資格ないよ。散々傷つけちゃったから」
 何も言う資格がない、じゃなく、何も言ってやる気がないだけだ。オブラートに包んでしゅんとしてみせて、早くここを乗り切りたかった。すると、龍人は今までで一番傷ついたような顔をして、大きな溜息を吐いた。
「……雪里、変わったよ。本当に。お前、本当に俺の知ってる雪里なの。マジで馬鹿らしい」
 それはこっちの台詞だけど、と言ってやりたいけど、時間の無駄だからやらない。とにかくさっさと終わって欲しかった。私の時間はとても貴重なのに、未来の無い相手に対してもう二時間半も使ってしまった。ああ、今夜の配信に向けてSteamの更新もしておきたかったのに。もう時間がない。
「ごめんね。そう思わせちゃって。でも、私は龍人と付き合えて幸せだった」
 心にも無いことを笑顔で言うのに慣れた。
 何しろ雪里はあの羊星めいめいなのだ。相手の求める言葉や反応くらい手に取るようにわかる。
 それでも雪里は「ごめん。変わるから別れるなんて言わないで」という、大正解の言葉を言ってやらない。龍人は雪里にとって大事な人だったけれど、めいめいにとってはそうじゃない。

 龍人が帰った後は、急いで配信の準備を始めた。
 案の定、今日遊ぶ予定だったオープンワールドゲームは雪里のパソコンではスムーズに動かなかった。ぶっつけ本番だったら事故になるところだった。設定を変えてMODを入れて、どうにか快適に動くようにする。他の配信者達も競争のように遊んでいるゲームだから、ここで出遅れるわけにはいかない。流行のゲームは波に乗れるかで決まる。
 ゲームの方が整ったら、あとはLive2Dモデルの調整だ。先週から使っている新衣装はきらびやかで可愛いけれど、その分少し不具合が起きやすい。問題点をまとめてモデラーさんに調整を依頼するべく、まずはこのモデルに慣れなくてはいけない。カメラの前で雪里が首を傾げると、ふわふわした水色の髪の少女も合わせて首を傾げる。金色の角にはリボンと包帯が巻かれている。星を宿したピンク色の目が雪里を見つめる。これで、羊星めいめいの準備も完了だ。
 そうしている間に、もう配信の時間が来てしまった。めいめいは毎日の生配信に遅れないことを信条としている。ああ、やっぱり龍人にはもっと早くに帰ってもらうんだった。というか『大事な話がある』ってメッセージが来た時点で、話し合いを別日にすればよかった。そうしたら、今日はもう少し凝ったサムネが作れたのに。ファンアートタグを巡って、使用許可を取って──。
 さて、切り替えなくちゃ。わざわざ声に出して呟く。ヘッドセットを付け、雪里は二万人の視聴者に向かってバーチャルな笑顔を作る。
『みなさーん! こんにちめいめい、天然かわいいあなたの守り神。羊星めいめいでーす!』
 コメントが流れていく。人々の歓心の渦の中に、めいめいが飛び込んでいく。

 羊星 めいめい(ひつぼし めいめい 3月18日~)は、日本のバーチャルYouTuber。所属事務所はきだプロ。頭部に羊の角を持つ。十二支をモチーフにした守り神ユニット・トゥエルヴアクロスターズの一人であり、未年の神。天然でドジだが何もかもに一生懸命。

「Vtuber……ですか」
 三年前、雪里はVtuberのことを殆ど何も知らなかった。
 社長に渡された名刺を訝しげに見て「私がこれってこと……ですよね?」と呟く。机に置かれた資料には、黄緑色の髪をした羊モチーフの少女──羊星めいめいが星を宿した目で笑っている。
「そうだよ~。今や地下アイドルとか普通の配信者なんか比べものにならないくらい人気なんだから。スパチャの額とか、普通に働いてるのが馬鹿らしくなるくらいだよ」
「アニメの子の声を当てて配信するってことですよね。私、声優でもないのに……」
「大丈夫大丈夫。やったことない素人がどんどん出てきてるんだもん。雪里ちゃん一応プロなんだし、絶対いけるって」
「プロというか……元プロ、みたいなものですけど」
 苦笑しながら、雪里が言う。
 雪里はかつて、東京グレーテルという地下アイドルグループに所属していた。どこにでもある、特に目立つこともない普通のグループだ。その中でも、雪里は更に目立たない、数合わせのようなメンバーだった。
『雪里が可愛いのは自然の摂理~! マジケミグリーン長谷川雪里です!』
 割り当てられたのは緑色で、『せつり』という名前に合わせた口上を言わされた。
 緑の衣装を渡された時から、既に雪里は勝負を投げていた。だって、緑色を割り当てられた女の子が一番人気になる未来、無くない? どんなアイドルグループだって、どんなアニメだって、緑色が主役なことはない。でも、雪里は緑がお似合いなレベルだったのだ。自分でも、ピンクや赤ではないことは分かっていた。納得してしまったから、そこに甘んじた。
 同期にも後輩にも隅に追いやられながら、雪里は徐々にその位置に順応していった。別に、よくない? 目立たないけど踊れるし。ソロパートは無いけれど歌えるし。地下の冴えないアイドルであっても、アイドルには他ならないし。一応、顔を完全に覚えてしまえるほどのファンはいるし。たとえそれだけであっても、単なるフリーターの二十六歳よりはマシだし、好きになれた。二十代半ばになってもアイドルをやらせてくれるところが、東グレのいいところだ。雪里の長所とは、偏に高望みをしないところだったかもしれない。
 そんなぬるま湯に浸ったような生活も、終わりの時が来た。東グレが新編成となることが決まり、一期生はほぼ全員卒業を迎えることになったのだ。東グレにいても意味は無い。沈みゆく泥船に乗っているよりは、新天地へ向かう方舟に乗った方がいい。
 一応、雪里は卒業に抵抗した。残りたい人間は残っていいという話だったから、素直にその話を受け取ったのだ。まさか、緑の衣装を握りしめた雪里に「もうそろそろ、ちゃんとした方がいいと思う」なんて言葉が投げかけられるなんて思ってもみなかった。周りのみんなは卒業だったかもしれないけれど、雪里にとっては明確にクビだった。
 雪里の数少ないファンは泣いてくれて、それで雪里もふんぎりがついた。正直、今までどうして東グレが存続出来たのかわからない。ここにはアイドルになりたかった女の子がいっぱいいて、彼女達に束の間の夢を見せる為だけに運営されていたんじゃないか──なんて、そんなことまで考えた。そのくらい、東グレは雪里にとって素晴らしく、美しい舞台だった。
 東グレを辞めて『普通の女の子』になった雪里は、ただぼんやりと過ごしていた。東グレ時代は単発バイトばかりをやっていたから、いざ一から働き始めるとなっても何をしていいか分からない。もう一度どこかの地下アイドルグループに加入しようかと思ったが、雪里は既に二十七歳になっていた。古株ならまだしも新規メンバーでその年齢の女を入れてくれるところはほぼ無いだろう。雪里は自分が実年齢よりも若く見えることを知っていたけれど、それでも。
 コンビニのバイトも事務の仕事も続かなかったので、雪里はコンセプトカフェとガールズバーの間にあるような店で働くことにした。こういう店では、一応雪里の『元アイドル』の肩書きが生きる。エクセルも扱えない雪里が持っている、唯一の資格だ。人と話すのは好きだったし、人前に立つのも好きだ。バータイムに歌を披露している時は、それこそ東グレに戻ったようで楽しかった。
 その時、雪里はどうしようもなくあの舞台が好きだったことに気がついた。
 長谷川雪里は、東グレでいたかった。アイドルでいたかった。失ったものの輝きを前に、雪里はなんだか泣きそうになった。
 そんな雪里の心を埋めてくれたのが、細谷(ほそや)龍人だった。
 彼はバーの常連客で、ゲームを作る会社でプログラマーをしていた、これまた普通の男の人だった。けれど、龍人は優しかった。歳も雪里と同じだったし、趣味が近かったので話が弾んだ。
 東グレに所属していた頃は、恋愛なんか興味が無かった。表向きの恋愛禁止なんて殆ど誰も守っていなかったけれど、雪里は恋人を作る気にはなれなかった。なんだかツキが落ちるような気がしたし、楽しめもしない。ステージの上でファンに愛されることの方が、絶対に満たされるだろうに。ファンを失うリスクを背負ってまで恋人を作ったって、その愛情は結局一でしかない。大切な一人がいるより、雪里は一億人に愛されたい。
 結局、恋人を作らずに真面目にやっていた雪里より、裏でメン地下と繋がっているメンバーの方がよっぽど人気なのが世知辛かった。そんなものだよな、とも思う。
 ある意味で、龍人と付き合うことは雪里にとってのイニシエーションだった。いつまでも東グレにこだわって動けない自分を、強引に前に進める為の手段。龍人にぐいぐいとアプローチされること自体も悪くなかったし、休日にやることが出来るのも良かった。ライブやら練習やらで埋まっていたカレンダーが、ごく普通の一人としての予定で埋まっていく。龍人のお陰で、雪里は人生の最も虚無な時期を乗り越えることが出来たのだ。
 そうして安定していた雪里を呼び出したのが、とあるプロダクションを経営している木田社長だった。

 てっきりアイドルとして活動しないかとスカウトされると思っていたのに、木田は全く予想だにしないものを持って来た。アニメ調の美少女『羊星めいめい』の資料である。最近はアイドルよりも人気で、みんなが夢中になっている、企業案件もどんどん増えているバーチャルなアイドル。その中の人──魂に、雪里はスカウトされたのだった。
「雪里ちゃんの東グレ時代のライブ映像とか色々観させてもらったんだけどね、雪里ちゃんは声がいいよ。ちょっと見た目に合ってないところがあったから、アイドル時代は苦戦したと思うけど」
 木田社長の言う通りだった。雪里の声は高くて甘い、いわゆるアニメ声に近いものだ。けれど、雪里の外見は童顔よりも大人びた顔立ちに寄っていて、しかも他のメンバーよりやや歳上だった。声と外見のギャップも、長谷川雪里が人気を得られない理由だった。
 その点、このめいめいとの相性はどうだろう。まだ声も当てたことがないのに、似合う、と思った。長谷川雪里に合わなかった声は、羊星めいめいに合う。くりくりとした目、背の低い身体。今にも弾けそうな元気たっぷりの外見。冴えないと思っていた緑色の髪も、めいめいにかかれば輝かんばかりだ。きっととても可愛くなる。
「デザインいいでしょ。十二支モチーフでやってこうと思ってさ。この子はひつじの神様なんだ。リスナーを守護する守護神って設定で、天然でドジっ子なんだ。だから、元気に可愛く演じてほしい。基本は雪里ちゃんの好きにやってくれて構わないから」
「そうなんですね。その……すごく、可愛いと思います」
「でしょう!」
 木田社長が顔を綻ばせる。
 話を聞いている内に、雪里の胸はどんどん高鳴っていった。雪里は既に二十九歳になっていた。自分でも、新しくアイドルをやるのを諦めてしまっている。でも、Vtuberなら? MCをやる機会には殆ど恵まれなかったけれど、いつ振られてもいいようにトークスキルは磨いてきた。歌だって、人並み以上には歌える。この声だって、特徴的で可愛いはずだ。めいめいだったら、雪里はもう一度夢を追える。それだけじゃない。東京グレーテルの長谷川雪里が届かなかった場所まで行けるかもしれない。
「すごく……すごく、やってみたいです!」
「そう言ってもらえると嬉しいな。話をしに来た甲斐があった」
「でも、どうして私なんですか?」
 既に地下アイドルから卒業して二年近く経っていて、当時だって特に目立たないアイドルだったのに。すると木田社長は困ったような、面白がっているような、微妙な笑みを浮かべた。
「いやね、最近……東グレが熱いでしょ」
 それを聞いて腑に落ちた。──なるほど、そういうことなのか。
 殆ど花開くことなく散っていく地下アイドル業界で、東京グレーテルはなんと飛躍的に伸びたのだ。今や、あそこで雪里を追い出していて正解だったと思うような人気ぶりである。この間は地上波のテレビにまで進出していて、悪い冗談みたいだと思った。
 その躍進の立役者となったのが、センターの赤羽瑠璃(あかばねるり)という女の子だった。
 赤羽瑠璃は、雪里が所属していた時からいるメンバーの一人だ。雪里と同じくらい東グレに熱心だったけれど、雪里と同じくらい影が薄くて人気の無かった子だ。冴えないピンク色を着せられてバックダンサーのように扱われている瑠璃を見て、雪里は密かにシンパシーを覚えていた。
 今の赤羽瑠璃は、アイドル衣装としては珍しい黒を身に纏って堂々と歌い踊っている。周りの色を食ってしまいそうな黒色を見事に着こなし、しかも悪目立ちしていない。華やかで美しく、見るものの印象に強く残る子になっていた。
 アイドルグループの躍進に必要なのは、一人のカリスマである──なんて言われていたけれど、赤羽瑠璃はまさにそれを体現していた。ストイックで真面目で、美しい孤高の黒。
 それを見て、雪里は更に強く憧れを募らせた。あそこでもう少し粘っていたら。もう少しわがままを言っていたら、自分もあの輝きのおこぼれをもらえたかもしれない。地上波に出られたかもしれない。それを思うと、同じ立ち位置にいたはずの赤羽瑠璃が眩しくて仕方なかった。赤羽瑠璃は、雪里のなりたかったアイドルそのものだった。
「正直な話、あの東グレブームに乗っかりたいところがあるんだよね」
 なるほど、そういうことか。と思う。今になって東京グレーテルの価値が上がったから、引っぱられるように雪里の価値も上がったわけだ。たとえ人気の無い端役のメンバーであっても、元東グレには違いない。
「えっと……でもこれ、長谷川雪里って名前じゃなくて、この子の……羊星めいめいって名前で配信するんですよね? だとしたら、私が元東グレであっても関係無いんじゃないですか?」
「あー、まあそうなんだけど。前世は絶対にどこかでバレるから。今回の場合はさりげなく分かるようにしちゃおうかなって感じもしてるし」
「前世?」
「Vtuberがどこで何をやってたかってこと。元々が有名な配信者だったら箔がつくし、売れてなくても現役声優が中身だからってことで人気の子だっているし。元東グレで引っぱってこれる層はあると思うよ」
 次から次へと新しい情報と価値観が流し込まれて、雪里はびっくりしっぱなしだった。未年の守護神を演じながら、元地下アイドルを売りにする矛盾。でも、これから配信をしていくなら、視聴者が見るのは多分『羊星めいめい』の奥に透けている長谷川雪里なのだ。そちらの方が、多分ファンはつきやすい。
「……私、東グレであんまり人気無かったですよ? 大丈夫かな」
「それも大丈夫。あの頃の東京グレーテルを追いかけてた層なんかいないし、東グレの名前が重要なんだよ。ばねるりと一緒に歌ってたってだけで、十分なハッタリが効くんだから」
 それを聞いて、不思議な気持ちになる。あれだけ羨んで妬んでいた赤羽瑠璃のお陰で、雪里は新しい舞台を貰えたのだ。今まで瑠璃を妬んでいたことが恥ずかしくなるくらいだった。彼女が売れてくれたから、雪里がめいめいをやれるのだ。そう思うと、いよいよ雪里はこの仕事を運命だと感じた。
「やらせてください。私は必ず、めいめいを人気者にします。誰からも愛される──本物のアイドルに」
 こうして、長谷川雪里は羊星めいめいになったのだった。

 木田社長のやっている事務所に所属しているのは、もう殆どがVtuberだった。この業界では結構有名な事務所のようで、上の方には登録者数が百万人を超えている子もいた。百万人。東京グレーテルのライブなんか、三百人いたら大盛況なのに。
 なので、めいめいのデビュー配信にも結構な人数の視聴者が集まった。表示された四万人という数に、思わず笑ってしまったほどだった。
『こんにちめいめい~。北北東からやって参りました、未の守護神羊星めいめいです~』
 一生懸命考えて練習した、ごくごく無難な挨拶をすると、それだけでコメントが沸き立った。『声がかわいい』『デザインが勝ち組』『既に推せる』……雪里が言われたことのないようなコメントばかりだ。
 雪里はめいめいとして、およそ一時間一生懸命に話した。他のVtuberの配信をチェックして凝った紹介映像を作って流し、話す内容もしっかりと組み立て、何度も練習して本番に臨んだ。配信の最後では、歌も歌った。東グレの最新曲だ。木田社長に勧められて、披露出来るように練習してきたものだ。評判は上々だった。雪里の歌の上手さを褒めるコメントが溢れ返り、雪里は思わず泣いてしまった。その涙さえ、視聴者を喜ばせた。
 羊星めいめいの初配信は大成功だった。配信を終えた頃には、もう既に登録者数が五万人を超えていた。今まで味わったことのない達成感だった。この日の為に、雪里は東京グレーテルに所属していたのだとすら思った。

【きだプロ】話題の新人羊星めいめい初配信後即登録者十万人突破【元東グレ】

 自分の──めいめいの名前を検索して出てきたまとめサイトのタイトルを見て、雪里は嬉しさ半分驚き半分だった。たしかに色々と前世を仄めかしてはみたけれど、本当に特定されている。恐る恐る中身を見てみると、中は概ね好意的な反応だった。
『元東グレならあの歌の上手さとかトークスキルとか納得だわ。あのばねるりが埋もれてたところだからな』
『中の人がアイドルって強いんだな。思い知ったわ』
『魂こんな透けてるのにちゃんと羊星めいめいやってるのが偉い。これからもなるべくRP頑張ってほしい』
『これ、めいめいの前世が歌ってるところ。卒業したけどまだつべにあったわ』
『美人すぎて草』
『この時から歌上手いんだね』
『声がまんますぎる』

 またじんわりと心が温かくなっていく。東京グレーテル時代は誰にも響かなかった歌が、こうやって届いている。まるで雪里の過去が丸ごと掬い上げられているみたいだった。
 雪里はちゃんとアイドルを頑張っていて、ストイックにやってきた。誰も認めてくれなかったけれど、めいめいのファンがそれを見てくれる。やってよかった。また涙が溢れてきた。
 勿論、好意的な反応だけじゃない。『すぐ中の人をバラすの萎える』『東グレ使って売名してるのが姑息』『ていうか長谷川雪里が中の人なら、結構歳いってるな』など。でも、そんなことなんか気にならなかった。誰からも反応を寄せられないより、雪里にとってはよっぽどマシだった。
 この瞬間に雪里は、羊星めいめいに命を懸けようと思った。
 明るくて元気いっぱいな、未の守護神。みんなに愛される未間めいめいを守り抜く。他のどんなVtuberより本気で演じよう。この子を愛し、この子になろう。長谷川雪里の今までは、めいめいのこれからの為にある。
 雪里はストイックで努力家で、アイドルに人一倍熱心だった。最初の弾みさえつけば、スターになれる資質があった。赤羽瑠璃にとってのガラスの靴は黒いドレスだった。長谷川雪里にとってのガラスの靴は、羊の角を生やした世にも可愛らしい神様だった。

 当然ながら、引き留めなかった龍人は雪里の元から去って行った。
 配信の仕事があるから、雪里と龍人は同棲をしていなかった。
 それどころか、家に入れても二階の配信部屋には絶対に入れなかった。誰かを家に入れることは放送事故の元だ。だから、わざわざ自宅はメゾネットタイプにして、スペースから分けた。防音のしっかりした配信部屋は、めいめいの為だけの城だった。
 その甲斐もあって、別れたところで目に見えるところで何かが変わったわけじゃない。
 なのに、龍人と別れてからの雪里は寂しかった。こんな寂しさを覚えることがあるのか? と思うほどだった。これからは恋人がいない。五年も龍人と一緒にいたから、そのことが上手く咀嚼出来なくなる。
 二百万人のチャンネル登録者がいて、配信には二万人が来て。それで寂しいなんて、何かが間違っている。間違っているのに、雪里はベッドから動けない。未練がましい恥知らずとして、元恋人がひょっこり戻ってくるのを待っている。

 Vtuerとして活動すると決めた時、まずは龍人に相談した。雪里自体はVtuberに詳しいわけじゃなかったし、フリーター同然で仕事を転々としている雪里のことを一番心配してくれていたのも龍人だったからだ。
「へー、いいじゃん。俺はあんまりそういうの見ないけど、駅とかの広告すごいじゃん。周りにも好きなやついっぱいいるし。しかも確かそこ大手だぞ」
「そうなんだ……」
「地下アイドルよりも全然人目につくと思う」
「でも私……あんまり機械に詳しくないから……どうやったら配信出来るのかとか分かんない。大丈夫かな」
「最悪色々ミスってもさ。長谷川雪里だってことがバレバレな状態で配信するんだろ? 身バレのこととか気にしなくていいじゃん」
 機械に弱い雪里だったけれど、その『中の人』の概念については色々と調べた。社長の言う通り、なんと有名どころのVtuberは殆どが中の人がバレていた。Vtuberの『前世』は色々あり、元々が有名な配信者だったり、声優だったり、雪里のようなアイドルだったり──本当に色んな人がいて、しかもそれを公然の秘密としている。
 それが何より嬉しかった。中身が長谷川雪里であるせいで羊星めいめいの足を引っぱったらどうしよう……と思ったけれど、中身ごと愛してもらえる業界なのだ。それを思うと、勇気が出た。それなら、長谷川雪里の全てを捧げてやろう。可愛い皮に詰まった中身ごと、視聴者にくれてやる。
 それでもやっぱり、地下アイドルとVtuberはまるで違う業態だった。喋るし、歌うし、躍るのに。2Dの身体を動かすだけでてんやわんやで、雪里は逆に本物の身体の単純さに驚かされた。そのままに動く身体の情報量の少なさよ!
 そこで助けになったのが龍人だった。覚えが悪い雪里の代わりに、龍人は色んな動画やサイトを参照して、配信の全てを丹念に教え込んだ。実を言うと、めいめいの身体を最初に動かしたのは雪里じゃなくて龍人だったりする。
 もう出来ない、こんなの誰も見ない、と始める段階で音を上げる雪里のことを励まして、龍人は初配信まで導いた。
「雪里は今でもアイドルに未練があるんだろ。もっと大きな舞台で夢を叶えるチャンスだぞ」
 その言葉で、雪里は思い留まった。動かない、画面上のめいめいに視線を向ける。彼女の魂になれるのは雪里だけだった。だったら、やらないと。あの舞台に立ちたい。──赤羽瑠璃に負けないくらいの輝きに、雪里もなりたい。

 初配信を終えた羊星めいめいは、同期に先んじて登録者十万人を越えた。元・東京グレーテルという肩書が目を引いたのもあるだろう。唐突に投稿した歌が上手かったのもあるだろう。それだけでなく、めいめいは勤勉だった。
 やる気になった雪里は、まず人気の配信者達の動向を探った。彼ら、彼女らの人気の理由を分析することにしたのだ。毎日投稿、Short動画でバズを狙う、SNSの使い方──。勉強自体は苦にならなかった。東京グレーテル時代は、努力では覆せない差があった。けれど、今は違う。めいめいは大手事務所に所属してスタートを切ることが出来た。他の人達よりずっと恵まれていた。だったら、それを活かさなければならなかった。
 めいめいは差し当たって毎日配信を行うようにした。ただの雑談配信だけじゃ、伸びない。今流行っているゲームをチョイスして、サムネイルを工夫して進める。変に詰まったりしないようにちゃんと予習をして、完璧な『初見配信』を心がけた。すると、見てくれる人が増えた。視聴者数が増えない時は反省を生かして、改善に努めた。真面目な雪里に、このフィールドはよく合っていた。

『みんなー。めいめいだよー。今日も来てくれてありがーとーう! それじゃあ今日は話題の物理演算パズルを全クリするまで耐久していこうと思いまーす。みんなも今日は寝かさないかんねー』

 この頃は忙しさで目が回りそうだったので、龍人は積極的に雪里のサポートに回ってくれていた。始めてみて分かったことだけれど、Vtuberはとにかく時間に追われる仕事だった。動画の編集はおいそれと終わらない。慣れていないのもあってShort動画であっても一、二時間は掛かる。それとは別に企画だって考えなくちゃいけないし、生放送はやればやるだけ時間を取られる。人を集めやすい長時間の耐久配信企画なんかは言わずもがなだ。羊星めいめいの為に人生を捧げると決めた雪里だったけれど、それこそめいめいは全てを要求してきた。人生の、物理的な時間を。
 掃除も間に合わない。洗濯をするのだって億劫になる。食事を摂るのすらままならない。そんな雪里の部屋を掃除し、洗濯機を回し、慣れないながらご飯を作ってくれたのは龍人だった。白米を炊いてくれるだけでも、ありがたくて仕方なかった。
「ごめんね。もう少ししたら、自分でちゃんと出来るようになるはずだから」
「大事な時期なんだろ、今。すごいよな。雪里の配信を待ってる人がいっぱいいるって。昨日の歌配信とか、二千人くらいいたじゃん。あれがライブハウスって考えるととんでもないよな」
「うん……本当に嬉しい」
「多分、お金が入ってきて生活も安定するだろ。そうしたらもっと楽になるぞ。よかったなー。雪里が二日でファミレスのバイトばっくれた時、俺もうどうしようかと思って」
「あれは……黒歴史なんだけど……」
 あれはたしか、店長と死ぬほど反りが合わなかったのだ。ぽっかりと空いた履歴書の空欄を問い詰められて、地下アイドルをやっていたと素直に答えたのがいけなかった。長谷川雪里の名前で検索をかけて、YouTubeで東グレの曲を流された。悔しかった。自分がそこで、まともに歌っていなかったから、悔しかった。雪里はそこにいないから。
「あの時、雪里のことを養おうかなって思ったんだよな。結婚してさ。雪里はのびのびと好きなことをしてもらった方がいいんじゃないかって……」
「何それ。地下アイドルもう一回やるべきだとか?」
「そう思ってたわけじゃないけど……うん、まあ、人生で一番熱中出来ることを見つけられたらって思ってたのは確かだよ。なんかさ、羊星めいめいを見てるとさ、これがそうなんじゃないかと思うんだよな。この中で、雪里の魂は輝いてるよ」
 そう言って、龍人がめいめいの歌を再生する。流行の曲のカバーではあるけれど、間違いなくめいめいの歌だ。長谷川雪里の歌だ。誰にも聴かれなかった雪里の歌声に高評価がつく。それを見て、雪里は泣いた。
 龍人が優しく背中を撫でてくれたことを今でも覚えている。めいめいのことをデビュー前から知っていて、愛して支えていた相手。それが龍人だった。

『は? 何言ってんの? さっさと謝って仲直りしなって。龍人くんが可哀想すぎる。あんな相手、もうあんたの前には現れないよ?』
 かつてのバーの同僚である小森翼は、およそ雪里が言ってほしいことを言ってくれた。今すぐ雪里は龍人を引き留めなければならない。龍人とやり直して、これからも二人三脚でやっていかないと。雪里だってそれは分かっているし、そうしたい。でもどうしても決められない。
「わかってるよ……別れてわかった。私、龍人と一緒にいたい。でもさ……駄目なんだよ。めいめいがいるから……」
『何言ってんの! めいめいとか関係無いでしょ!』
「関係あるよ。めいめいは私の全てだもん」
『はあ? きっも』
 それで電話が切れた。Vtuberをほぼ見ない翼にとって、雪里が新たに選んだ職業は理解しがたいものだったらしい。彼女は未だに、めいめいをくだらないままごとのように思っている節があった。
 十万人で慄いていた羊星めいめいのチャンネルは、恐ろしいことに登録者が二百万人を超えていた。二百万人。途方も無い数だ。長谷川雪里だった頃にペンライトを振ってくれた人数って何人だっただろう? 一人? 二人? それとは比べものにならない。今でも実感が無い。雪里のことを──こんなに沢山の人が愛してくれるだなんて。
 東京グレーテルの時は夢物語だったステージにも、羊星めいめいとして立つことが出来た。順調に人気を獲得したきだプロはアリーナライブが出来るほどに成長し、経験者の雪里は他のメンバーを教え導く中心として活躍した。トラッキング用のベルトを両手足に巻いて手を振った時、雪里はここで死んでもいいと思った。あの日夢見た光景がここにある。
 羊星めいめいは所謂『歌うま枠』としてライブでも大きな時間を割いてもらった。今では何曲もオリジナルソロ曲があるし、来年には念願のソロライブまで企画されている。信じられない。夢のようだと思っていたことが、想像と期待を塗り替えながら更に大きくなっていく。羊星めいめいは紛うこと無き星になったのだ。
 その代わり、長谷川雪里のプライベートは無いに等しかった。ライブの練習、通常の配信、他のVtuberとのコラボ、動画を大事にしていためいめいは動画の投稿だって続けていたし、そもそもVtuberは事務仕事も死ぬほど多い。自分のグッズを監修し、新しい衣装や曲を依頼し、無数に来る連絡を次々打ち返していく。月に一度は十時間を越える耐久配信もやった。このスケジュールの間に、どうやったら長谷川雪里をねじ込めるだろう?
 当然、龍人と過ごす時間があるはずもなかった。
 めいめいを始めて二年目にはもう既に、龍人と遠出することは無くなっていた。毎日配信を掲げているのだ。旅行なんかに行けるはずもない。龍人に任せてしまっていた家事がハウスキーパーに依頼出来るようになった時は誇らしかった。けれど、そのせいで龍人が雪里の家に来る理由はいよいよ無くなってしまった。たまにするデートは大体が映画だった。何しろ、時間が決まっているから。
 龍人との予定は、沢山ある配信予定の中の一つ、こなすべき課題になっていた。そんなことには早々に気がついていたけれど、それでも雪里は龍人のことが好きだった。でも、時間が無かった。キスをしていても秒針の音が聞こえる。羊星めいめいに戻らないと。長谷川雪里を終わりにしないと。
 雪里に与えられたガラスの靴は、他の靴を許さなかった。四六時中履いていなければ、すぐにサイズが合わなくなってしまう。呪いの装備によって与えられた祝福、全てを捧げることで沢山の人に愛されるトレードオフ。それでも、これを履いたことで雪里は踊れるようになった。このガラスの靴は、ステージの上でよく鳴った。
『俺と会うのしんどい?』
 ある時、龍人が電話越しに尋ねた。その声があまりに疲れていて、雪里はぎょっとする。でも、何もかもを投げ出して会いに行くことは出来ない。配信予定に穴を空ければ信用を失う。信用を失えば、関心が薄れる。
「しんどくないよ。忙しいけど、それでも私は龍人との時間がほしいよ。なんでそんなこと言うの?」
『困らせるつもりじゃなかったんだ。でも、……いや、俺もどうしたらいいかわかんないや。ごめん。忙しいのに』
 それきり通話が切れた。掛け直した方がいいことは分かっている。でも、掛け直してまた会話が始まってしまったら。不毛な話し合いで何時間も消費することになったら。時間は通貨だ。雪里はめいめいに戻らないと。「ごめんね。次は絶対に予定を空けるから」と言いながら、雪里は配信の準備をする。今日は案件配信だ。企業から案件を貰えるなんて、雪里の頃は考えられない。
 電話を切った後の静寂に耐えられず、テレビを点けた。
 するとそこに、赤羽瑠璃が映っていた。

『あはは、ありがとうございます。紅白なんて夢みたいです』
 
 雪里がめいめいになるきっかけを──間接的に作ってくれた相手だ。
 赤羽瑠璃の人気は留まることを知らなかった。今では東京グレーテルというよりは『赤羽瑠璃』という名前が力を持っていて、瑠璃が一人でメディアに出ることが多い。ソロ曲ががバズってからの瑠璃は一端のアーティストだ。SNSのトレンドにも頻繁に載っているし、ネットニュースでもよく見るようになった。テレビで笑う瑠璃を見て、雪里の心はほうっとやわらいでいく。
 最初は妬ましくて仕方なかった赤羽瑠璃だけれど、今や雪里は彼女のれっきとしたファンだった。瑠璃の新曲はすぐにチェックするようにしているし、彼女のインタビューはくまなくチェックしている。テレビは本数が多すぎて追えないけれど、大きなものは観るようにしている。東京グレーテルの名前に価値を与えてくれた、美しくて麗しき後輩。
 赤羽瑠璃の愛おしいところは、彼女にスキャンダルが一つも無いことだった。人間なんて叩けば大なり小なり埃が出る。雪里だって龍人の存在をリスナーには知られないようにしている。赤羽瑠璃はこの注目度なのに、未だに何も出てこないのだ。目立つところに出入りしていないのもあるだろうが、彼女には本当に隙が無い。アイドルとしての赤羽瑠璃に、自分の人生を捧げている。その部分に、雪里は強く尊敬の念を抱いていた。
 雪里は赤羽瑠璃が売れていなかった時代を知っている。誰にも見てもらえず、飢え乾いていた頃のことを。あの時の彼女が、今の赤羽瑠璃を急き立てているのだろう。長谷川雪里が羊星めいめいを走らせ続けているように。
 羊星めいめいがソロでアリーナツアーが出来るくらいになったら、長谷川雪里はようやく許してもらえるだろう。立ち止まって、自分の人生を取り戻せるようになるかもしれない。登録者数百万人程度では足りなかった。羊星めいめいは貪欲で、底が無かった。それでも構わなかった。この細い身体の血肉を喰らわれたい。一滴残らず使い切られてしまいたい。
 でも、差し出すものに龍人は入っていなかったのに。

 話し足りなかったのか、翼はとうとう雪里の家まで乗り込んで来た。勿論、めいめいの配信が終わった午前零時過ぎに。この時間に長谷川雪里としての時間を取るのは久しぶりだ。いつもなら明日に備えてさっさと寝るか、動画の編集に充てる。翼を中にいれたのは、やっぱり寂しかったからだった。一人でいると、雪里は弱いただの人間になる。
「龍人は結局許してくれたわけ」
 梅酒を飲みながら、翼が苛立たしげに尋ねてきた。ここに来る前から、翼は大分酔っていた。今でもバーで働いている翼は、相応にお酒に強い。その翼がここまで酔っているのを見るのは久しぶりだった。嫌な予感がした。
「考えたんだけど……やっぱり龍人とは戻れないと思う。だから、連絡してない」
「はあ? なんで?」
「龍人は多分、押し切られるだろうから」
 烏龍茶のグラスを傾けながら、雪里は言う。お酒ももう久しく飲んでいない。明日に響くのは困る。
「なんで別れるってなったわけ?」
 それを尋ねられた時、雪里の胃がぎゅっと縮こまった。手の先が震えて、冷たくなる。ややあって、雪里は言った。
「結婚しようって言われた、龍人に」
 ぽつりと呟くと、翼が目を見開いた。
 大切な話がある、と言われて、雪里は別れ話を覚悟した。
 だから最初は、自分が何を言われているかわからなかったくらいだ。冷静じゃない頭では、それが結局同じ話だとも気づかなかった。
「結婚は無理だって思った。だから断った。それで喧嘩になって、それっきり」
「なんで? 話し合えばよかったじゃん。どうしてそんな……」
「結婚したら一緒に暮らすことになるでしょ。まず、それが無理。配信の頻度もリズムも変えたくない。私は外に出ることも多くてどの道一緒になんかいられないし。防音設備はちゃんとしてるけど、万が一龍人の生活音が入ったら事故だし。それに長時間配信も出来なくなる。今のスケジュールは見るだけで頭が痛くなるのに、誰かとなんか暮らせない」
 雪里の溜息が震えた。
「子供は、無理だよ」
 そこが、一番のネックだった。
 勿論、持たない選択肢はある。そういう夫婦だって沢山いる。でも、龍人は子供を欲しがっていた。だから、今じゃないといけないんだと。
「俺は雪里と家族になりたいよ。雪里はそうじゃないの?」
 雪里も子供は欲しかった。でも、妊娠なんか出来る気がしない。今でさえこんなに体調に気を遣って、仕事に影響がないようにしているのに。そんな状態でライブをするのなんて以ての外だろう。でも、激しく歌って踊れないと、雪里の理想の羊星めいめいじゃいられなくなる。
 産んだだけで終わるわけじゃない。そこから先の子育ては? 龍人に任せきりになる? それとも、家事みたいに外注する? 何も具体的なイメージが出来ない。見ている方向が全然違う。
 今楽しみにしている沢山の仕事が、龍人と暮らすことで無くなってしまう。それが、一番怖い。

 案の定、翼の理解は得られなかった。
「待ってよ。まさか配信なんかの為に全部諦めるつもり? 仕事にプライベート全振りするなんておかしいって」
「じゃあ、翼は結婚しても私が今のペースで働けると思う? 羊星めいめいが変わらないでいられると思う? 無理だと思うよね? じゃあ、結局無理じゃん」
「落とせばいいでしょペースなんて! ファンはあんたのこと待ってくれるって! 結婚も、もしかしたらあるかもしれない出産だってさ、言わなきゃいいじゃん! 調整しなよ、良い大人なんだからさ。自分を犠牲にしてまでやる仕事?」
 理解し合えないとは思っていたけれど、ここで一番の隔たりを覚えた。ペースを落とせばいい。調整すればいい。ファンは待っててくれる。翼の言葉はごもっともだ。でも、論点が違う。
 待ってくれないのは雪里自身だ。雪里が、雪里のために辞めたくない。休みたくなんかない。ずっと配信をしていたいし、羊星めいめいをやり続けたい。その視点が、翼には致命的に欠けている。
 龍人との生活が羊星めいめいより大切なら、とっくに龍人を選んでいる。それが答えだ。
「ペース……落とせないよ。今が一番良い時なのに。休みたくないよ……こんなに充実してるのに」
「あんた病気だよ。充実とかじゃないじゃん。人間らしい生活してる? マジでキモすぎ」
「睡眠時間は削ってないし三食とってる。体調が悪くなるようなことはしてない」
「あーっもう、論点ズラすのもだるいだるいだるい! 体調とかの話じゃないじゃん。休みとかさあ、それも龍人めっちゃ可哀想だったんだけど。なんなん? 金? 本ッ当わかんない」
「お金使う暇とかないよ、正直。そうじゃないんだけど、なんだろう。自分でもわかんないな。消えたくないんだよ。私はこれがやりたいの。ていうか、ねえ翼、なんで怒って──」
「私、龍人のこと好きだったんだけど」
 ひく、と雪里の喉が鳴った。全部の音が置き去りにされたように、鈍く聞こえる。翼の目には涙が浮かんでいた。
「あんたがバー来る前から仲良かったし。好きだったんだけど。なのに、ねえ、ずっと好きだったやつがさ、訳分かんない女の『理解ある彼くん』にされた気持ちわかる? わかるかっつーの、ふざけんなってマジで、あーもう、じゃあ私が龍人もらってもいいよね? そういうことだよね?」
 翼がまくし立ててきて、息が出来なくなりそうだった。
 全然気がついていなかった。そんな余裕は雪里には無かった。あまりにも感情的に雪里を責める姿を見ても、全然察せられなかった。さっきまでのは温情だった。好きな男と、好きな男が執着している女に対する温情。わかってしまえば、こんなにありふれた話もない。
「もう龍人が連絡取ろうとしても無視しろよな! より戻そうとか思うなよ、これ以上龍人のこと都合良く扱うな」
「それは、」
「お前のことだから、どうせ龍人が連絡してきてくれたらなあなあにするんだろ。それ、絶対やめろよ」
 やめられるのだろうか? と、雪里は自分でもわからなくなる。このどうしようもないほどの寂しさは、雪里にとって一番都合の良い選択肢を取らせようとするだろう。配信前にする他愛ないLINEのやり取り、編集をしながら夜中にする通話。それを取り戻す為に、雪里はまた龍人を縛るのだろうか? そうしてまた、同じことで揉めるまで、羊星めいめいを優先させる?
 黙り込んでいると、翼はますます苦しげな表情になった。どうしてそんな顔をするんだろう。吐き捨てるように、彼女が言う。
「あんた今何歳?」
「めいめいは、神様だから歳なんか取らないよ」
「めいめいの話じゃない。長谷川雪里の話だよ!」
「……三十二だけど、それが何? 配信者なら、このくらいいっぱいいるよ」
「めいめい、いつまでやるの。いつまで龍人のこと待たせるの」
 一生。だって、めいめいは、私が居る限り死なないから。
「……やっぱり私は、龍人と一緒にいられないよ。翼の気持ちは知らなかったし、私がもうどうこう言える話じゃ──」
 言い終える前に、翼の持っていたグラスの中身が雪里に掛けられた。安い梅酒のツンとする臭いが鼻につく。翼が怒って部屋を出て行くのが、まるで何かの企画みたいだった。
 事態が飲み込めていないのに、悲しみだけがはっきりと胸に迫ってくる。好きな男を蔑ろにして良いように扱ってる女。客観的に見て、酒を掛けられるに値する女だった。
 お酒に含まれていた砂糖で、髪が固まっていく。早く洗い流さなくちゃいけないのに、動けなかった。じゃあどうすれば良かったんだよ、と心の中で呟く。どうしようもない気持ちになって、スマホを手に取った。無意識に龍人に愚痴ろうとしている自分に気づいて、投げた。
 わかっている。選ばなくちゃいけない。龍人を手放すか、それとも理想の羊星めいめいを諦めるか。活動に理解があって、全てを優先してくれる恋人は、探せば見つかるだろう。でも、それは龍人じゃない。
 選びたくなんかない。今目の前にあるものが、全部理不尽に感じられてしまう。龍人がいなくなるのは嫌だ。活動だって変えたくない。今ここに龍人がいてほしい。一人になりたくないのに、二百万人の登録者を優先したい。羊星めいめいでいたいのに、長谷川雪里が足を引っぱる。わがままだって指を指されるだろう。でも、諦めなくちゃいけないことが怖い。私生活を犠牲にするのは間違っている? 犠牲にされるべき私生活なんて、この部屋に本当にある?
 翼にとって、めいめいは神様じゃない。遊びの延長にあるふざけた仕事だ。
「今はいいだろうけどさ」
 翼はよくその言葉を口にした。今はいいだろうけど。そのうち飽きられることを期待すらしているようなその言葉が、痛いほど心に残っている。それはまさしく、雪里自身の中にある問いでもあったから。
 めいめいの人気はいつまで続くんだろう。その時、長谷川雪里は後悔しないのか。あそこで龍人を選んでいたら、と思ったりしないのか。そう思うと怖い。めいめいはいつまで私と一緒にいてくれる? 一生一緒にいられるだろうか?
 今龍人から連絡が来たらどうしよう。翼の言う通りだった。多分、雪里は一番最悪な選択をする。配信頻度を落としてのんびりと活動し、適度にプライベートを充実させた羊星めいめいの姿も目に浮かぶ。それだって、十分幸せなはずなのに。

 赤羽瑠璃との対談を持ちかけられたのは、その翌日だった。

「あくまで今人気のVと今人気のアイドルの対談って体で。そろそろこのコラボも解禁かなって。もうめいめいも三年以上やってるからさ。時効みたいなもんかな」

 木田社長が言うには、そういうことらしい。それにしても、時効だなんて! 東京グレーテル時代のことは罪にもなれない黒歴史だ。未だに疼き、長谷川雪里を走らせる不格好な鞭。雪里は未だに、あの頃の自分を許せない。
 前世繋がりで東グレのメンバーとコラボする、というのには消極的だった。赤羽瑠璃なら尚更だ。赤羽瑠璃を都合良く使ってしまいそうで、怖い。今なら互いに恩恵があるけれど、それでも長谷川雪里が、全てを台無しにしてしまいそうで。
 それでも話を受けたのは、赤羽瑠璃に会いたかったからだ。
 一線で輝き続けている赤羽瑠璃。浮いた話の一つも無く、潔癖なほどに芸能界の繋がりを絶っている、偶像みたいなアイドル。その様は、Vtuberと同じくらいキャラクタナイズされているみたいだ。みんなが憧れる、みんなが理想とするアイドル。
 実を言うと雪里も──羊星めいめいも同じくらい清廉なVtuberだと扱われていた。ストイックに生活して、龍人を適当に扱っていた甲斐があった。雪里が捧げただけのものを、めいめいはちゃんと返してくれた。
 今でも思い出に残っているコメントがある。羊星めいめいについて語る掲示板で、よくある恋人論争が出ていた時のことだ。

『あれだけ配信してたら恋愛なんてダルいことやってる暇ないか』

 そのコメントが、すごく腑に落ちたのだった。その通り、恋愛はダルい。恋愛に付随するありとあらゆるものは面倒で、人を人にしてしまう。両方欲しいのに、それを許さない。だって、そこには他人が介在するから。あのコメントを見た時から、破局は始まっていたのかもしれない。
 赤羽瑠璃だって、同じはずだ。
 だって彼女も、同じ痛みを知っている。同じ処から這い上がってきた。走り続けるには、出来る限り軽くいなければ。
 赤羽瑠璃に──ばねるりに会えたら、今度こそ覚悟が決まる気がした。全ての人を愛する代わりに、誰も選ばない。理想のアイドルに、輝く星に。赤羽瑠璃だって『赤羽瑠璃』を選ぶんだと思わせて欲しい。
 そうしないと、雪里は揺らぐ。楔を打ち込んでほしい。もう二度と、ブレないように。

 とんとん拍子で決まった赤羽瑠璃との対談の日まで、龍人が連絡をしてくることはなかった。そのことに傷ついている自分が疎ましくて仕方なかった。龍人はもう吹っ切れているのかもしれない。あれからすぐに翼が龍人に告白して、二人は付き合っているのかもしれない。探るのも疲れてしまうし、雪里にそんな時間は無い。
 ここから先、自分が誰かと付き合うことはあるんだろうか? と思う。想像がまるで出来ない。
 関節にトラッキングの為の機械を付けて、写り方のチェックをする。画面の中では、赤羽瑠璃とお揃いの真っ黒な衣装を着た羊星めいめいが笑っている。羊角の神様は、寂しさなんて覚えない。
 けれど、予定された時刻を過ぎても撮影は始まらなかった。現場がざわついて、時間がどんどん押していく。一体何が起こったんだろうか?
 あちこちでざわめきが起こり、空気が緊張する。大勢の人がいる現場はこういう空気になりがちだけれど、それでもこれは異常だった。どうしたんだろうか、と思った瞬間、赤羽瑠璃のマネージャーが走ってきた。
「すいません、めいめいさん。赤羽、連絡が取れなくて」
「……え?」
 思わず呆けた声が出た。
「行方がわからないんです。今自宅にも人が向かっています」
「待ってください、だって仕事……赤羽さんは、プロ意識が高くて、」
「ええ、本当にそうで……今までこんなことなくて」
 赤羽瑠璃が行方不明?
 そこから、見るからに焦った様子のマネージャーが説明をしてくる。赤羽さんの様子がおかしくて。最近疲れている様子で。思い詰めたような顔をしていて。こちらも赤羽さんの様子は気にしていたんですが。連絡がつかなくて。
「あんな赤羽は初めてで、こちらも注視してはいたんですが──」
「まさか、恋愛絡みですか?」
 ぽつりと尋ねる。
 どうしてそんなことを言ったのか、雪里にもよくわからなかった。
 そうでなければいいと願う気持ちが、こんな失言を口にさせた。これが生放送でなくてよかったと心の底から思う。
 でも、雪里のろくでもない勘は、そうなんじゃないかと告げている。
 人がおかしくなるのは、大切なものを天秤に掛けるのは、全部とは言わない。半分くらいはそれが理由だ。
「なーんて、そんなわけないですよね」
 取って付けたように言うと、マネージャーは「そんなことは……ないと思います……」と引き攣った顔で言った。空気を悪くしてしまったことを申し訳なく思う。きっと、マネージャーもそれを疑っているのだろう。その上で、マネージャーは何も知らないはずだ。赤羽瑠璃は、みすみすそれを悟らせるようなことはしない。
 だからこそ、今消えて、これだけみんな動揺している。
 赤羽瑠璃はどうしたんだろう。仕事が嫌になったのかもしれない。どこかで倒れているのかもしれない。誰かの手を取って、遠いところに行ってしまったのかもしれない。
 どれにせよ、雪里の好きな赤羽瑠璃像が崩れていく。特に、最後の想像は最悪だった。
 雪里にとっての龍人みたいな存在が赤羽瑠璃にもいて、彼女はそちらを選んだのかもしれない。そう思うと、背筋が冷えた。
 嫌だ。誰かを好きになんてならないでほしい。だって、赤羽瑠璃は星だから。一人にこだわらないでほしい。愛されなくたって平気な顔をして、輝いていてほしい。一人よりも百億人を選んでほしい。そうじゃなきゃ、雪里だって揺らいでしまう。龍人を選ぶべきなんじゃないかと思ってしまう。
「とりあえず、めいめいさんには待って頂くということで──」
 はい、と言いかけたところで、スマホの画面が光った。
 表示された名前は『レコーディングスタッフさん』だった。万が一にもバレないように、わざわざカモフラージュ用の名前にしていた──龍人だ。
「すいません。電話が来ちゃったので一旦楽屋戻りますね」
 口早にそう言って、楽屋に駆け戻る。急いでドアを閉めてもなお、龍人からの着信は続いていた。画面をスライドして、耳に当てる。
『……もしもし?』
 龍人の声がした。それだけで、死ぬほどの安堵に包まれる。好きだ、と素直に思った。自分はまだ、龍人のことがこんなに、普通に、好きだった。
 本来なら出られなかった時間だ。
 それが赤羽瑠璃の失踪で、出られてしまった。それってどういうことだろう?
『……ごめん、今平気?』
「平気だよ、どうしたの」
『俺、色々考えたんだけど……今更になって、後悔し始めて』
 翼に言われたことや、二人で過ごした五年間が走馬燈のように駆け巡る。羊星めいめいの後ろから、長谷川雪里が顔を出す。一人は嫌だ、龍人と一緒にいたい。私はまだ、龍人が好きだから。
『もう一度話し合えないかな。俺、もう自分の意見を押しつけたりしないから。出来れば、やり直したい』
 ここで「話し合いたい」と返したら、望むものが手に入ると分かっていた。仲直りさえしてしまえば、龍人はまたしばらくの間我慢してくれる。都合の良い雪里の恋人として傍にいてくれて、雪里は元通り羊星めいめいになれるだろう。
 けれど、それで本当にいいんだろうか? いいんじゃないの? 赤羽瑠璃だって人間だった。完璧なアイドルじゃなかった。だったら、長谷川雪里だけが我慢する必要がどこにある?
 もう一度話し合おう。私には龍人が必要だから。ずっと寂しかった。そう言おうとした口から、長谷川雪里の知らない台詞が出た。
「……ごめん。それは出来ない」
 涙が溢れてくる。止まらない。
「私は、羊星めいめいでいたい。龍人と一緒に暮らすより、ずっと配信していたい。龍人一人より、めいめいを愛してくれるみんなの為に人生全部を使いたい」
『俺はもう、結婚しようとか言わないから。子供だっていらない。雪里の意志を尊重する。雪里が活動できるように協力するから』
「駄目なんだよ。それは私の理想のめいめいじゃない」
『なんでどっちかじゃなくちゃいけないんだよ』
 龍人が苦しげに言う。
『邪魔にならないから。ただの恋人でいよう。俺は雪里が好きだよ。雪里は俺のこと、もう好きじゃないのかよ』
「好きだよ。でも駄目なんだ」
『私生活諦めてまでやる仕事ってなんなんだよ。そうまでして頑張る必要なんてない』
「諦めたんじゃない。選んだの」
 雪里ははっきり言った。
「私は、何もかもを仕事に使いたい。引かれるくらい配信したい。人生全部使い切って、死に際に後悔したい。走れるだけ走りたいよ。その為に、もう戻らない」
 自分でも何を言っているか分からない。でも、この言葉が本心であることはわかる。雪里は今離れたい。目の前の男から、今。
「今までありがとう。龍人がいなかったらここまで来られなかった。本当にごめん。ありがとう。愛してる。ごめんなさい。ありがとう」
 そう言った瞬間、通話が切られた。
 それにすら気づかずに、雪里はしばらく同じ言葉を繰り返していた。ありがとう。ごめんなさい。
 いつかこの決断を後悔するかもしれない。恋愛とかいうクソダルい代物が、可処分時間を食い潰す悪魔のようなメジャーコンテンツが、かけがえのないものだと思うのかもしれない。恋人同士でいたかったし、結婚もしたかったし、家族になりたかったし、ただ隣でぬくぬく眠っていたかった。でも、羊星めいめいには関係がない。
 いつか、羊星めいめいにも視聴者にもステージにも興味が無くなるかもしれない。それより早くみんなに飽きられるかもしれない。何もかもが呪いになって、長谷川雪里の中で反響する。
 それでも、この命の使い途は呪いでいい。後悔するかもしれない十年後二十年後を、まやかしの永遠の先に置く。
 歌いたい。走りたい。走らせてほしい。離れている間、龍人は羊星めいめいの配信を観てくれただろうか? 観ていてほしい、と思う。雪里が全てを蔑ろにした分、きっと面白い配信になっているだろうから。心配はちょっと
 楽屋から戻ってきた雪里がぼろぼろ泣いているのを見て、スタッフは明らかに動揺していた。めいめいのマネージャーですら戸惑っている。これはただの自慢だけれど、雪里は今まで問題らしい問題を起こさなかった。こんなことは今日が初めてだ。
 長谷川雪里がどれだけ泣いても、羊星めいめいは然るべき操作をしない限り泣いたりしない。
 それが雪里にとっての一番の救いだった。

   *

 その夜、赤羽瑠璃はちゃんと戻って来た。撮影を飛ばしてしまったことを謝り、雪里側に合わせてスケジュールを取り直すと言い、本当に普通のアイドルとして、戻って来た。彼女に何があったのかを、雪里が知ることはないだろう。
 日を改めて会った赤羽瑠璃は、やっぱり雪里の理想のアイドルだった。同じ地下アイドルグループに所属していたとは思えない。
「めいめいさんはリスナーのことをすごく愛してらっしゃいますよね」
 赤羽瑠璃がそう言ってくれた時、雪里はまた泣きそうになった。赤羽瑠璃が、あまりにも愛おしそうに、口にしたから。
「めい確かにすっごくリスナーさん達のこと愛してるかも。ばねるりちゃんにもそう見えてるなら、嬉しいな」
 長谷川雪里も、みんなのことを心から愛している。

   *

『こんにちめいめい~未年の守護神、羊星めいめいだよ~今日はね~大事なお仕事があったんだよ。で、心がざわついたのでいっちょクリア耐久でもやろっかなーって』

『めいめい元気だよ~めいは配信やってると元気だからね』

『思ったんだよね。この世で一番羊星めいめいのことを愛してるのって、羊星めいめいなんだって。めいがめいの一番のファンなんだよね。だから一生配信したいな』

『一生配信するからね。見ててね。私が最高の人生、使い切るところ』