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アイスランド旅日誌 (9)

11月26日(5日目)
北カリフォルニアでも11月を過ぎるとしばらくは雨の季節です。この地域ではこれから年が明けて2月、3月までは雨の季節。とは言っても日本と異なるのは、雨が毎日降ることは珍しく、曇りの日が多くなる、雨が降っても驚かない、という程度に考えるのが実際に近いです。むしろこの時期に雨に降ってもらわないと夏に水不足でこまることになります。

さて、12月も押し詰まってきました、気温は早朝で10℃くらいでしょうか。空が曇っていたりすると、Reikjevikレイキェヴィクはどうしているだろうか、と今も考えたりします。これからますます寒くなるのでしょうが、一方ではこれから日照時間が長くなることでもあります。冬至の12月22日、レイキェヴィクでは太陽が昇るのは11時22分、沈むのが午後3時30分です。二つ目のツアーの案内をしてくれた初老のガイドさんが言っていましたが、「私は12月22日が一番好きだ、この後はもう日照が短くなることがないから」と言っていたことが思い出されます。

5日前の午前4時40分に初めてIcelandアイスランドの土地に着陸してから、思いのまま歩いたレイキャヴィク、それから奇岩に縁どられた海岸、厳しさを反映したような岩山の連なり、そしてその麓には度重なる地震で山頂からふるい落とされたように無造作に置かれていた岩石があって、寒風が思う存分に吹いていた痩せた平原が僕たち訪問者には無関心に広がっていた、そういうものが今は懐かしい。実際に厳しかったのは吹きやむことのなかった厳しい寒風だったのですが、そういうものはもう実感としては浮かんでくることはなく、静かな思い出ばかりが心を満たしています。

最後の日、いよいよその日の午後6時にはKeflavikケフラヴィク空港を飛び立つというその日、朝食の後にやったことは Covid-19の検査でした。場所はホテルから歩いて15分で行けるクリニックです。

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旅行客に限って検査をしているものとばかり思っていましたが、行ってみると意外にも多い人数が並んでいて驚きました。しかし手際よく処理されていて、順番はすぐに回ってきました。担当官が俯いてパスポートやワクチン接種記録カードなどを調べていましたが、突然ニッコリ顔を上げて「ワオ、誕生日おめでとう!」
そう、11月26日は直美の誕生日です。こういうところが余裕ですね。担当官が真面目に業務に就いている表情は普通は仏頂面ぶっちょうづらですが、こうした機会を捉えて相手と会話をする、残念ながら日本ではなかなか見られない光景かなと思わされました。

その後は残りの時間を惜しんで街に出てショッピング。ただし、こういう時に限って(もう一度来よう)と思っていたお店が見つからないのですね。直美は焦って歩き回るものの、結局は断念したのでした。こうした残念なこともありましたが、僕には一つ、いいこともありました。

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これは楽器店です。陳列してある楽器が窓を通して見えている。僕は楽器屋さんを探していたのです。実は僕が最初に勤めた会社は楽器の貿易会社でした。1981年だったか、僕が勤めていた会社はドイツの展示会で商品を展示していたのですが、その時に若い男性が一人、恥ずかしそうに僕の元にやってきて、「御社の代理店になりたい」と言うのです。聞いてみると、彼はアイスランドから来たといい、そのアイスランドには楽器店が2軒しかない、自分はその1軒の楽器店のオーナーだ、と言います。当時ヨーロッパのあちらこちらに出張していましたが、アイスランドがどういうところか全く知識がないまま、僕の中には「楽器店が2軒しかない国」ということで記憶に残ったものです。それで、今回の旅行中に楽器店があればそのオーナーと話がしてみたい、と考えていたのです。それで偶然にも見つけた楽器店、40年が経って、彼はまだ楽器店をやっているだろうか、残念ながらこのお店の中に入る余裕はありませんんでしたが、こうして写真を撮ることができた、そのことだけでも僕は嬉しいと思ったものでした。

それから見当をつけて坂を上ると、丘の頂上には Hallgrimsハトルグリムス教会。前回きた時には天候が悪くて残念でしたが、この日は晴天、70メートル上まで昇って街の周囲を360度グルリと見渡すことができました。

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自分たちが歩いた街を上から眺めてみると、あの辺りも行ってない、あそこも行きたかった、などという欲が出てくるものですが、大体こんなものでしょう。欲を言えばキリがない、自分たちは自分たちなりに充実した時間を過ごせたことを喜ぶのがいい。

そうして教会を出て、まっすぐに坂を下る道を歩きながら、面白いものが目に入りました。それで思わず写真を一枚。

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これは自分たちの影です。時刻は正午頃です。それなのに、まるで夕陽のような光を横から受けている自分たち。振り返ると山の端近くに、太陽。そうでした、この国は冬に太陽が高く昇ることはなく、山ぎわから昇っては、そのまま山に沿うように西に移動して、やがて沈む、そういう土地だったのでした。

それからいつも夜間に歩いた道を辿ってホテルへ戻りました。こうして最後に辿る道は、毎夜毎夜、転ばないように足元に気をつけながら歩いた道。昼に歩けばいつもと違ってペースも快調、左右の景色も改めて見るとやっぱりアイスランドです。裏寂しいと思っていた建物群も昼ならばそれなりに活気も感じられるのでした。その中で Appleの建物、ここに日の丸の旗が立っていたのを最初の日に見つけて不思議に思ったのでしたが、その理由は後になってわかりました。つまり、このビルの中に日本大使館が入居していた、それで日本国旗が立っていたわけです。そうして最後の道を辿ってホテルに戻ってきました。

さぁいよいよ最後のバスに乗って空港へ。空港では慌ただしい時間を尻目に、最後のアイスランドの片鱗を求めるのでした。出発ゲートに向かうエレベータの前にあったのが Leifur Eriksonレイフ エリクソン(970年頃〜1020)のレリーフです。実はこのレリーフのオリジナルは、あの丘の上のハットルグリムス教会の正面にあった銅像です。

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この人は11世紀初めにヨーロッパから初めて大西洋を渡ってアメリカ大陸に上陸した人、と言われています。僕たちの知識ではコロンブスが 15世紀末に大西洋を渡ってアメリカ大陸を発見したということになっていますが、詳しく調べるとそういうことではありません。1492年に大西洋航路を発見し、その先が世界の終わりではなく別の大陸があることを知ったのがコロンブス一隊であって、彼が上陸したのは実際には現在のキューバ、新大陸というものですらなかったのです。そしてコロンブスより 500年も前にヨーロッパから初めてこの地にやって来たのはエリクソンだったという事実。これは多く語られることはありませんが、アイスランド人なら誰でも知っていることでした。

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17時少し前、気がつくと太陽は地平線の下沈んでしまったのでしょう、外界はすっかり暗くなっていました。さて、僕たちはカリフォルニアに戻ります。アイスランド、案に違わないその寒さと、街と、大自然を楽しむことができました。次回来ることがあるとしたら、この国を大きく回ってみたいという気がします。でも、また戻ってくることがあるのかしらん。地球は大きくて、行きたいところはほかにもありますし、僕たちがアイスランドに戻ってくることはもうないかもしれません。しかし、その広い世界の北限で厳寒に耐えながら、短い夏を待ち侘びながら生きている人たちのことは決して忘れまいと考えています。

すでに夜のように暗くなった5時20分、僕たちが乗った Icelandairアイスランドエア機は滑走を始めて、同 21分には漆黒の空を切り裂くように飛び立ちました。アイスランドエア、この旅の最初と最後にお世話になりました。もしこれを読んでくれて興味が湧いたらぜひ行ってくださいね、アイスランド。

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