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高学歴で低年収、30代女性の明るすぎる貧困彼女を救ったのは宗教とセッ〇スだった

30代女性が高学歴でありながら低年収という現実。まさか自分が貧困に陥るなんて、彼女にとっては明るい未来を想像することすら難しい時期でした。

しかし、彼女が人生の岐路に立った時、唯一の救いとなったものがありました。ただ、それはあまりにも残酷であり、決して手を叩けるような行為ではありませんでした。

本記事では、高学歴でありながら貧困に陥った30代女性の転落人生を紹介します。

そして、彼女を救ったものについて詳しく探っていきます。ある一人の女性としての人生の軌跡に触れながら、私たちが学ぶべき教訓も見つけていきましょう。

トレンド・ウォッチャー 高松翔

以下、東洋経済オンラインより 
ノンフィクションライター中村淳彦さんの取材になります。

高学歴で低年収、30代女性の明るすぎる貧困 彼女を救ったのは宗教とセックスだった | 貧困に喘ぐ女性の現実 | 東洋経済オンライン (toyokeizai.net)

一部上場メーカーの社員時代は、年収400万円だった。なぜ彼女は貧困層に転落したのか


東洋経済オンラインでは、風俗業界やアダルトビデオ業界で働く女性を取材し続けてきた中村淳彦氏のルポルタージュを連載していく。ここで取り扱うのは「総論」ではなく「個人の物語」。具体的な物語から浮かび上がる真実があると考えているからだ。ぜひ、日本の貧困問題について思考を巡らす契機としてほしい。

神奈川県のある工場の多い地域、中小の工場と民家が入り交じる街のアパートに、現在、非正規で食品工場に勤める山口恭子さん(仮名)は住んでいる。家賃6万円。9年前、国立大学大学院修士課程を卒業し、有名企業に就職のため上京。一部上場メーカーの商品開発部に勤めたときから住んでいるアパートだ。
インターホンを押すと、恭子さんは玄関を開けて顔をのぞかせた。童顔でかわいらしく、年齢より若い。部屋の中に入ると、カーテンは閉めっぱなしで薄暗かった。部屋の掃除はしていないようで、フローリングの床にはゴミやホコリが何重にも積もっている。備え付けのベッドの周りや部屋の四角には洋服や新聞、書籍が散らばり、足の踏み場がないほどだった。

掃除機は一度もかけたことがない


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「掃除機の音が怖くて、掃除できないんです。あの大きな音は、なにか男の人に怒鳴られているような感じがするから。たまに掃き掃除くらいはしますけど、収納がないので全部は片付けられないし」
小さな1DK。折り畳み式のイスになんとか座って、話を聞くことにした。自覚はないようだったが、貧困女性の取材と伝えてある。1週間前に支給された平成28年3月分の給与明細を見せてもらった。支給総額は17万円ちょうど。厚生年金と雇用保険、健康保険、所得税で2万8700円が控除され、差引支給額は14万1300円だった。
「非正規なのでボーナスはありません。年収200万円です。29歳のとき新卒入社した会社を辞めて、それから介護職になりました。そこはすさまじいブラックな施設で、長時間労働とか残業代が支給されないとか、パワハラとかすごかった。辞めてもほかに行き場所がないので、我慢に我慢をしてきたけど、去年の年末に限界を超えたので辞めました。いろいろ仕事を探して、やっと見つかったのが今の工場です。給料安いけど、介護のときみたいにブラック労働がないのでいいです。みんな優しいので続けていけそうです」

一部上場メーカーの社員時代は、年収400万円。新卒入社した会社でもいじめとパワハラのターゲットになって、29歳で逃げるように会社を辞めている。転職活動に失敗。唯一、採用されたのは非正規の介護職だった。正社員を辞めてから貧困生活が始まる。退社をしたのは4年前、収入は半減、現在の年収は170万~210万円程度だ。彼女はある新興宗教の熱心な信者であり、ギリギリの生活を強いられても地元に帰るつもりはないという。

社会人10年目で貯金0円

つねに財政は厳しい。14万円の手取り金額から6万円の家賃を支払うと、残るおカネは8万円。携帯代や光熱費も含めた可処分所得は年間108万円しかない。相対性貧困に該当する低収入だ。現在、単身女性の33%(国立社会保障・人口問題研究所調べ、2012年)が貧困と言われている。大学院を卒業して社会人になって10年目に突入したが、貯金はゼロである。
「毎月のかかるおカネは、家賃6万円で携帯代1万円ですね。電気・ガス・水道で1万円くらい。あとは県民共済が月2000円。食費はあまりかけません。近くに5キロ1400円のお米を売っているお店があって、そのお米を買います。朝ごはんはバナナで、お昼にはご飯を炊いておにぎりとか。たまにちょっとだけ、おかずを買う。夕食は野菜炒めとか、適当に作って食べます。会社を辞めてから牛肉は買ったことないです。気が向いたときに豚肉か鶏肉を買うくらい。ぜいたくは、近くにあるのでたまにサイゼリヤとか。あとiPhone6くらい。貧乏とは思うけど、14万円あれば十分に生きてはいけますよ」


両腕に残るリストカット痕

取材時は晴天の13時。外に出れば、青空が広がる。なぜか、部屋はカーテンを閉め切っている。暗く、じめっとしている。暗くてわかりづらかったが、よく眺めると両腕にリストカット痕があった。古い細かい傷痕が何十カ所とあり、左手首の1カ所だけ大きな縫い傷が目立つ。
「全部、学生時代にやったもの。私、子供の頃からずっといじめられて、大学生のときたくさん切っちゃった。いじめは社会人になってからひどくなって、4カ月前に今の職場に就くまでずっとそんなことばかり。怒鳴られたり、いじめられたり。精神的に追い詰められてリストカットを繰り返した。けど、今の宗教を始めて自分を傷つけることはなくなりました。大きな傷は、大学4年生のころに本当に死のうと思ったとき。もう12年前のこと」
ある新興宗教の熱心な信者だった。取材に同行した女性編集者もさっそく勧誘を受けた。消えない昔の自傷は、誰にも見られたくないと思っている。普段は長袖の服と髪の毛で傷痕を隠す。現在、働く工場は作業着、帽子とマスク着用が義務なので周囲にバレていない。
国立大学大学院の卒業証書を見せてもらった。証書には、彼女の名前が記されていた。日本有数の国立大学院を卒業した高学歴女性が、どうして自傷を抱え、誰でもできる作業である低賃金の食品工場で働き、貧困状態から抜けられずにギリギリの生活を送るのか。

大学院時代、就職活動をしてすぐに一部上場メーカーから内定が出た。希望した会社だったので、そのまま入社した。大学院での研究を生かせる商品開発部に配属されて順風満帆だった。15~16人の部署で実験や試作品開発に取り組んだ。

「私、コミュニケーション能力っていうんですか、それがないのかな。宗教活動が部署の全員に広まって、当時の直属の上司から『お前は、バイ菌みたいな女だ。臭いし、消えろ』って毎日、毎日、言われた。ののしられ続けました。上司がそんな感じだから、ほかの人にも広がって通りすがりに“気持ち悪い”とか“どうして生きているの”みたいな。反論しても、もっとヒドくなると思ったから聞き流した。でも人として扱われない環境は、本当にツラいですよ。結局、自主退職しました。5年で辞めています」

29歳。退職届を提出、有給休暇の消化を含めて3カ月間、転職活動をした。本当は、大学院での研究が生かせる転職をしたかった。二十数社に応募して、書類審査は通過する。しかし、面接になると必ず落とされる。その繰り返し。わずかながら貯金はあったが、もうこれから何百社応募しても面接には通らないと思った。一人暮らしなので、生活費は稼がなければならない。フリーペーパーの求人誌に掲載されていた自宅近くの介護施設に応募した。

いじめ、パワハラ、長時間労働

「それまでは介護って立派な仕事だと思っていた。これから高齢化社会になるし、福祉だから優しい人たちが多いだろうって。そのときは、私でも誰かの役に立てるかな、みたいな前向きな気持ちがあって、頑張ろうって。未経験、無資格で介護職になった。でも、介護は本当にひどかった。すごくブラックで、連続出勤、サービス残業、経験したことない長時間労働。あと、いじめとかパワハラがすごくて、おかしくなりました。地獄みたいなところでした」

無資格、未経験だったのでパート採用、時給950円。介護施設は心優しい人たちが高齢者や地域のために笑顔で働く、というイメージだったが、彼女が働いたのはお泊りデイサービスという業態だった。お泊りデイサービスとは、デイサービスがオプションで宿泊を提供し、24時間年中無休という法の隙間をぬった業態で集客する。数ある介護サービスの中でもブラック労働の温床となり、問題視されている。

「今思えば、労働基準法をいっさい守ってなくて無茶苦茶でした。みんな朝9時から夜10時とか長時間労働をさせられて、イライラしてその矛先が私に向かってくるみたいな。最初の会社の比じゃないほどひどかった。何人かの男性の介護職員から些細なことで怒鳴られすぎて、そのトラウマで掃除機がダメになった。小さい施設だったけど、毎週誰かが辞める。私は欠員要員みたいにされて、ひどいときは15連勤とか30時間労働とか。あと介護職は読み書きが苦手な人が多くて、介護保険事業はたくさん書類があるので、全部私がやらされた」

勤務したお泊りデイサービスでは、介護職だけでなく、長時間労働に耐えられなくなって、3カ月から半年のペースで管理者が変わった。ほとんどの上司は長時間労働でうつ病になって辞めていった。長時間労働はすさまじかった。日勤からそのまま夜勤、さらに帰れずに日勤をして、さらに残業で書類仕事をするという異常といえる労働が日常茶飯事だった。過酷な労働環境で離職は延々と続き、つねに人手不足。彼女は休日も呼びだされて延々と働かされた。

「残業代不払いとか、休憩がないとか、残業を割増賃金にしてくれないとか、どれだけ頼んでも社会保険に加入してくれないとか。介護時代におかしなことは、挙げていけばキリがないです。どんなひどい扱いをされても、ほかに行き場所がないから辞めるわけにはいかなくて、3年間続けました。どれだけ人が入れ替わってもいじめみたいなことはなくならなくて、意味なく怒鳴られたり、いじめられた思い出ばかり。
長時間労働は12時間を超えたあたりから精神的にツラくなる。イライラするんです。でも“どうして普通に帰れないのですか?”とか不満を言ったら、クビになるって思って我慢しました。非正規のパートだから仕事を入れてもらえないと、家賃が払えないから死活問題です。介護施設には、そういう自分の状況をうまく利用されました」

セックスすると、みんな優しくなる


モノであふれかえった一人暮らしの部屋
労基法無視の長時間労働、パワハラ、いじめ、残業代不払い、社会保険未加入と、これ以上ないひどい労働環境。一人暮らしで、日々、生活費を稼がなければならないプレッシャーがあったことは理解できるが、どうしてそのような過酷なブラック労働を3年間も継続できたのか。
「それはセックスを覚えたからです!」
突然、笑顔になった。これ以上ない、満面の笑顔でそんなことを言いだした。劣悪な労働環境とセックスになにが関係あるのかわからないが、彼女は「セックス」という言葉が出てから人が変わったように明るくハイトーンになる。
「長時間労働で低賃金、家と介護施設の行き来だけ。介護職の人たちは弱い者いじめが好きなので、文句を言わない私はいつ怒鳴られるかわからない。ずっとビクビクしていました。さすがに我慢ばかりしている私もおかしくなります。長時間労働させられて私生活みたいなのがまったくない状況は、みんな同じだった。介護施設に勤めて1年くらい経ったとき、なんとなく帰りが一緒になった同僚の2つ年上の介護職の人とセックスしちゃった。近くの公園で。そしたらその人が突然、優しくなって、好き、好きみたいになって、セックスってすごいって思った」
その男性介護職は未婚、恋人なしでさまざまな職業を転々とするフリーターだった。周囲に流されて彼女に対して横暴な態度をとっていたひとりだったが、セックスした瞬間から態度が急変した。
「一緒に働いていてもいつもデレデレした感じで、キレイだとかかわいいとか言ってくれた。それでまた公園でしたいみたいな感じで、何度もするようになりました。最初はよかったけど、私、頭が悪い人とかあまり好きじゃなくて、3カ月くらいでほかの人がいいなってなっちゃった。ちょっと距離を置こうとしたら、ストーカーみたいになっちゃって。施設の前とか駅で待っていたり、逃げたら家まで来るようになっちゃった。最終的には警察ざたになりました」

お泊まりデイサービスという全職員が10人もいない小さな職場で、彼女は同僚と次々とセックスした。当然、職場では話題になる。上司からどんなに怒られても、セックスすると男が優しくなることが面白くてやめられなかった。
「セックスすると、みんなカラダにおぼれて優しくなる。ハハハ、すごく楽しかった。年齢が上の人が好きで、未婚の人じゃないと付き合えないので年齢は40歳とか50歳とか。介護の職場しか出会いがないので、いろんな職を転々としているような学歴ない人たちですね。セックスすると『女性と付き合ったのは初めて、君のことは生涯忘れない』みたいなことを言い出す。それで振るとおかしくなって、ひとりは精神病院に行っちゃいました。本当に楽しい。でも、あまりにひどい職場だったから3年続けるのが限界でした」

貧困かもしれないけど毎日楽しい

笑顔がおさまらない彼女は、テーブルにあったiPhone6を取り出した。そして、写真を見せてくれた。そこにはジャージ姿の老人が写っている。
「この人、今の彼氏ですぅ。83歳!」
驚いたので何度か確認したが、本当に「彼氏!」と言う。日本人男性の平均寿命は80.5歳、その年齢を超える余生を過ごす後期高齢者だ。
「宗教の勧誘で団地を回る。そこで知り合いました。ドキっとして私から声かけた。もともと学校の先生をしているインテリ男性で、スペイン語とか堪能なの。熊本地震の翌日だったかな、4月15日に出会ってその日にセックスした。今はやっと普通の仕事に就けたから、仕事が終わって夜9時ごろにチャリで彼氏の住んでいる団地に行く。シャワー浴びて、たまに一緒に浴びたりして、それで一緒に寝るの。必ずセックスします。たまにしか勃起しないから言葉で責めてくるの。スペイン語で『僕のカラダに思い出をたくさん残してください』とか叫ぶんですよ」
今日もこの取材が終わったら自転車で団地に行き、83歳の彼氏とセックスをするそうだ。
「低賃金でおカネはないし、世間で言う貧困かもしれないけど、長時間労働もなくなったし、彼氏もできたし、今は本当に楽しい。こんな楽しかったことは、今までないかも。将来のこととかなにも考えていないかな、50歳年上の彼氏が死んじゃったらそのときに考えればいいことだし。はは」
セックスの話になってから終始笑顔の彼女と、一緒に部屋を出た。暗い部屋から一歩出ると、目が痛くなるほどまぶしい。彼女は待ちきれないといった様子で自転車に乗り、猛スピードで団地へと向かっていった。立ちこぎする後ろ姿を見送った。


筆者の感想と貧困女性のこれから


この記事では、高学歴でありながら低年収という30代女性の貧困状況について取り上げました。このような事例は珍しくありませんが、日本の現代社会においてはますます増え続けています。

多くの女性が宗教や性的快楽に身を委ね、自暴自棄な生き方をしています。

しかし、私たちは彼らが諦めることなく未来を見据え、変化することができると信じています。

恋愛や結婚といった面での満足は必ずしも必要ではなく、内面的な豊かさや自己成長に焦点を当てることで、充実した人生を築くことができます。

個々の選択や意識改革が未来への一歩になるのです。

この記事を通じて、貧困女性たち一人一人が自分自身の可能性を信じ、明るい未来を切り拓くことができることを真摯に願っています。


最後まで、お読み下さり、ありがとうございました。よかったらスキ、フォローよろしくお願いします😉


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